子どもたちは、ちゃんと見ている
最近、子どもたちはよく話すようになった。
学校のこと、友達のこと、部活のこと。
そして、ときどき、父親のことも。
「パパってさ、なんで毎回言うこと違うの」
不意に、そんなことを言う。
「自分のときはいいのに、
おれが間違うと、めっちゃ怒ってくるよね」
もう一人が、当たり前みたいな顔で続ける。
「自分勝手だよね」
声は低くて、怒っているわけでもない。
ただ、観察結果を共有しているだけ。
私は一瞬、言葉に詰まる。
ああ、ここまで見えてしまったんだな、と思う。
子どもたちは、もう小さくない。
感情だけで人を判断しない。
言動の一貫性や、態度の差に気づく。
それを「おかしい」と言葉にできる。
それは、確かに成長の証だ。
でも同時に、
父親をそういう存在として認識してしまった
という事実でもある。
私は慌てて、フォローを入れる。
「疲れてるんだよ」
「仕事、大変なんだと思うよ」
「そう思うよね、わかるよ」
完全に否定はしない。
でも、同意もしきれない。
子どもたちの感じた違和感は、
たぶん、間違っていないから。
子どもたちは、それ以上深掘りしない。
「ふーん」とか「そっか」とか言って、
話題を変える。
それが、余計に胸に残る。
父親がどういう人か。
どういうときに怒って、
どういうときに自分に甘いか。
もう、説明しなくても、
ちゃんと理解している。
そして、たぶん——
夫は、それに気づいていない。
自分がどう見られているか。
どんな評価が、静かに積み重なっているか。
家庭では、誰も通知してくれない。
評価シートも、面談もない。
ただ、関係性だけが残る。
私は思う。
子どもたちには、人を見る目を持ってほしい。
でも、父親を軽蔑するようにはなってほしくない。
その間で、今日も私は立っている。
子どもたちは、ちゃんと見ている。
それだけは、もう間違いない。




