第4話 転生したら手紙だった
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
『転生の果てⅡ 』は、
“存在のかたち”をめぐる旅の記録です。
どの話からでも、どの視点からでも、
一つの“想い”として感じてもらえたら嬉しいです。
それでは、どうぞ。
私は、手紙だった。
白い便箋の上に、黒いインクで言葉を刻まれた存在。
影として見た。窓として透かした。鏡として映した。
そして今度は、言葉として運ばれる。
誰かの想いを、誰かへ届けるために。
*
私が書かれたのは、小さなアパートの部屋だった。
机の上に広げられた便箋。窓の外は夕暮れで、オレンジ色の光が部屋に差し込んでいた。その上をペン先が滑る。
一文字、また一文字。
インクが紙に染み込み、言葉が形になっていく。
書いているのは、若い男性だった。
彼は何度も手を止めて、天井を見上げた。何を書くべきか、どう書くべきか、迷っているようだった。
やがて、文字が並び始めた。
『母さん、元気ですか。』
筆圧が強い。ペン先が紙に食い込んで、裏側まで凹んでいた。文字が力強く、はっきりとしている。けれどその力強さの中に、どこか焦りが混ざっていた。
『僕は元気です。仕事も順調です。』
次の一文は、筆圧が弱くなった。文字が細く、震えている。ペン先が迷うように紙の上を滑り、線が揺れていた。
私には分かった。
この言葉は、嘘だった。
仕事は順調ではない。彼は元気ではない。
けれど、彼は書いた。
母を心配させないために。
『必ず会いに行きます。待っていてください。』
最後の一文は、また筆圧が強くなった。
文字の一つ一つに、力がこもっていた。
それは嘘ではなかった。
本当に会いたい。本当に行きたい。
けれど、行けない。
その葛藤が、文字の揺れとして残っていた。
彼は便箋を折りたたみ、封筒に入れた。
丁寧に、慎重に。角を揃えて、優しく封をした。宛名を書く手も、震えていた。
私は暗闇の中に閉じ込められた。
けれど、文字の温度は残っていた。
インクの香りと共に、彼の想いが私の中に宿っていた。
*
私は旅を始めた。
ポストに投函され、集配車に積まれ、郵便局を経由し、別の町へ運ばれる。
トラックの荷台で揺られながら、私は他の手紙たちと共に在った。それぞれが、誰かの想いを運んでいた。
その途中、雨が降った。
配達員のカバンの隙間から、雨粒が染み込んできた。
私は少しずつ、濡れていった。
封筒の端が湿り、便箋の角が柔らかくなった。
そして、文字が滲み始めた。
『母さん』の「さ」が、少し崩れた。
『元気です』の「で」が、にじんだ。
『必ず』の「ず」が、薄れた。
私は形を失っていった。
けれど、温度は残っていた。
滲んだ文字の中にも、彼の想いは宿っていた。
風が吹いた。
私は配達員のカバンの中で揺れた。
折り目が深くなり、紙が擦れて、少し破れた。
それでも、私は運ばれ続けた。
彼の想いを、彼女のもとへ。
*
やがて、私は病院に着いた。
白い壁、消毒液の匂い、静かな廊下。足音が反響し、遠くで機械の音が聞こえる。
配達員がナースステーションで私を手渡し、看護師が病室まで運んだ。
病室は静かだった。カーテンが半分閉まり、午後の光が斜めに差し込んでいる。ベッドの脇には小さなテーブルがあり、水の入ったコップが置かれていた。
そして、彼女の手に渡された。
入院中の母——彼の母。
彼女はベッドに横たわりながら、私を受け取った。
その手は冷たく、細く、震えていた。
私は初めて、誰かに触れられた。
影は触れられない。窓は触れられない。鏡は触れられない。
けれど手紙は、触れられる。
持たれて、開かれて、読まれる。
彼女の指が封筒の端に触れた。
その瞬間、私は彼女の温度を感じた。
冷たさの奥にある、かすかな温かさ。
弱々しいけれど、確かに生きている温度。
指紋の凹凸が、私の表面をなぞる。それは優しく、慎重な触れ方だった。
彼女は封を切った。
ゆっくりと、慎重に。
便箋を取り出し、広げた。
滲んだ文字が、彼女の目に映る。
『母さん、元気ですか。』
彼女の目が、文字を追った。
『僕は元気です。仕事も順調です。』
彼女は微笑んだ。
けれど、私には分かった。
彼女はこの嘘に気づいている。
母は、息子の嘘を見抜いていた。
それでも、嬉しかった。
『必ず会いに行きます。待っていてください。』
その一文を読んだとき、彼女の目から涙が落ちた。
一粒、また一粒。
ゆっくりと、静かに。
私の上に、涙が落ちた。
温かかった。
彼女の涙は、雨よりも温かかった。体温があり、想いがあり、重さがあった。
文字がさらに滲んだ。
『必ず』の文字が、涙に溶けて広がった。
けれど、想いは消えなかった。
むしろ、はっきりと伝わっていた。
言葉が届いた。
距離を越えて、想いが届いた。
私は手紙として、その瞬間を感じ取った。
*
彼女は便箋を胸に抱いた。
私は彼女の温度を感じ続けた。
心臓の鼓動が、私に伝わってくる。
ゆっくりとした、けれど確かな鼓動。
彼女は目を閉じた。
そして、小さく呟いた。
「ありがとう」
その声は、私を通して、遠くの彼に届くことはない。
けれど、私は聞いた。
彼女の声を、彼女の想いを。
私は手紙として、二つの想いを繋いだ。
言葉を運ぶことで、心を繋いだ。
触れられない距離の中で、文字が心に触れた。
それが、干渉の第四段階だった。
見ることから、透かすことへ。
映すことから、触れることへ。
視感が完成し、触感が芽生えた。
*
私は彼女の手の中で、静かに在り続けた。
滲んだ文字も、破れた端も、そのままに。
けれど、それでよかった。
完璧な形ではなくても、想いは届いた。
言葉は伝わった。
彼の温度が、彼女の温度と混ざり合った。
私はその媒介として、二人を繋いだ。
——“触感”が、芽生えた。
触れることで、想いが伝わる。
言葉が、心に触れる。
それは視ることとは違った。影や窓や鏡は、見るだけだった。距離があった。
けれど手紙は、触れる。
手に持たれ、指でなぞられ、涙に濡れる。
物理的な接触を通して、感情が流れ込む。
それが、私の新しい力だった。
夜が来て、病室の灯りが消えた。
窓の外には街の灯りが見える。遠くで救急車のサイレンが鳴っている。
彼女はまだ、私を抱いていた。
枕元に置くこともなく、ベッドの上に置くこともなく、ただ胸に抱いたまま。
私は彼女の温度の中で、溶けていく。
次の転生へと、また進んでいく。
けれど今は、ただここに在る。
彼の想いと、彼女の想いの間に。
私は、届いた。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
一つひとつの転生は、ただの物語ではなく、
“想いの在り方”を描いた断片です。
何か一つでも、あなたの中に残るものがあれば幸いです。
次の転生でも、静かにお会いしましょう。




