第3話 転生したら鏡だった
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
『転生の果てⅡ 』は、
“存在のかたち”をめぐる旅の記録です。
どの話からでも、どの視点からでも、
一つの“想い”として感じてもらえたら嬉しいです。
それでは、どうぞ。
私は、鏡だった。
姿見として壁に掛けられ、人を映す存在。
影は見るだけだった。窓は透かすだけだった。
けれど鏡は、映す。
そして映すことで、嘘を暴く。
*
最初に映ったのは、笑顔の女性だった。
彼女は鏡の前に立ち、口角を上げた。目を細めて、頬を膨らませて、完璧な笑顔を作った。
私はそれを映した。
けれど、私には見えた。
彼女の笑顔が、ずれていることが。
口は笑っているのに、目が笑っていない。頬は上がっているのに、眉が下がっている。表情の各部が、別々の感情を抱えていた。
鏡の中の彼女は、わずかに歪んでいた。
口角だけが不自然に浮き上がり、目だけが暗く沈んでいた。それは彼女の本当の顔ではなく、彼女が作ろうとした顔でもなかった。
外面と内面のズレが、像として現れていた。
彼女は鏡を見つめて、さらに笑顔を作り直した。
けれど、歪みは消えなかった。
私は映し続けた。
彼女の嘘を、彼女の迷いを。
*
次に映ったのは、スーツ姿の男性だった。
彼は鏡の前でネクタイを直しながら、自信に満ちた表情を浮かべていた。
「今日のプレゼン、完璧だった」
独り言のように呟いて、胸を張った。
私はそれを映した。
けれど、私には見えた。
彼の背後に、薄いひびが走っていることが。
実際にひびがあるわけではない。鏡の表面は傷一つない。けれど、彼の像の背後に、透明な亀裂が浮かび上がっていた。
それは彼の自信の裏にある、不安の形だった。
成功を語る口元は強く結ばれているのに、肩はわずかに震えていた。胸を張っているのに、背中は丸まっていた。
外面と内面が、ずれていた。
鏡の中の彼は、二重に映っていた。
表層の自信と、深層の不安が、重なり合って揺らいでいた。
彼は鏡に向かって微笑んで、部屋を出て行った。
けれど、ひびは残っていた。
私は映し続けた。
彼の強がりを、彼の脆さを。
*
そして、病室の母が映った。
彼女はベッドの脇に置かれた小さな手鏡——私の一部——を手に取り、自分の顔を見つめた。
やつれた頬。薄くなった髪。くすんだ肌。
彼女は静かに微笑んだ。
「まだ、大丈夫」
誰にも聞こえない声で呟いた。
私はそれを映した。
けれど、私には見えた。
鏡の中の彼女だけが、泣いていることが。
現実の彼女は微笑んでいる。けれど、鏡の中の彼女の目からは、涙が流れていた。
それは見せたくない感情だった。外に出してはいけない弱さだった。
だから彼女は、鏡の中でだけ泣いた。
自分の頬に触れる。現実では乾いているのに、鏡の中では濡れていた。
外面と内面のズレが、像として分離していた。
彼女は手鏡を置いた。
そして、また微笑んだ。
私は映し続けた。
彼女の強さを、彼女の悲しみを。
*
やがて、誰かが私を拭いた。
曇り止めの布で、表面を磨いた。
指紋が消え、埃が取れ、鏡面が澄んでいく。
映る像は、より鮮明になった。
けれど、歪みは消えなかった。
むしろ、はっきりと見えるようになった。
外面を整えれば整えるほど、内面とのズレが際立っていく。
笑顔はより完璧に映り、その裏の空虚もより深く映った。
自信はより強く映り、その背後の不安もより濃く映った。
強さはより明確に映り、その奥の悲しみもより鮮やかに映った。
私は磨かれるたび、真実を映すようになった。
表面だけではなく、内側も。
見せたいものだけではなく、隠したいものも。
それが、鏡の役割だった。
*
ある日、ひとりの少女が私の前に立った。
彼女は自分の顔を見つめて、首を傾げた。
髪を直し、服を整え、表情を作った。
けれど、何かが違うと感じているようだった。
彼女は鏡の中の自分と、長い間見つめ合った。
そして、小さく呟いた。
「本当の私、どっち?」
その瞬間、私の中で何かが起きた。
鏡面が揺らいだ。
表層の像と、深層の像が、ずれた。
そして一瞬だけ、もう一つの顔が重なった。
それは彼女の”本当の顔”だった。
笑顔でも、泣き顔でもなく。強がりでも、弱さでもなく。
ただ、彼女そのものの顔。
外面と内面が一致した、唯一の正しい像。
けれどそれは、一瞬で消えた。
鏡は再び、二重の像を映し始めた。
私は理解した。
鏡が映すものは、現実の一部でしかない。
外側だけを映し、内側を歪ませる。
あるいは、内側を暴き、外側を否定する。
どちらにせよ、完全な真実は映らない。
映るものと、在るものは、違う。
それが、鏡の限界だった。
*
私は鏡として、多くの人を映した。
笑顔の裏の孤独を。
自信の裏の不安を。
強さの裏の悲しみを。
そして、それらすべてが”ズレ”として現れることを知った。
外面と内面は、決して一致しない。
人は常に、何かを隠し、何かを作り、何かを演じている。
私はそれを映すことで、嘘を暴いた。
けれど同時に、真実も見失った。
——“視感”が、完成した。
見ることから、透かすことへ。
そして、映すことへ。
三段階を経て、私は他人の心を視る力を手に入れた。
けれど、視るだけでは足りないことも知った。
映るものは、現実の一部でしかない。
表面だけを捉えても、内側には届かない。
次は、触れる番だ。
私は鏡として、最後の光を反射した。
そして、次の転生へと溶けていく。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
一つひとつの転生は、ただの物語ではなく、
“想いの在り方”を描いた断片です。
何か一つでも、あなたの中に残るものがあれば幸いです。
次の転生でも、静かにお会いしましょう。




