第2話 転生したら窓だった
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
『転生の果てⅡ 』は、
“存在のかたち”をめぐる旅の記録です。
どの話からでも、どの視点からでも、
一つの“想い”として感じてもらえたら嬉しいです。
それでは、どうぞ。
私は窓だった。
透明で、硬く、動けない。ただそこに在って、光を通す存在。
影として世界を”見た”次は、窓として世界を”透かす”番だった。
見ることから、透かすことへ。
それが、干渉の次の段階だった。
私はとある家の居間に嵌め込まれていた。木枠に支えられ、外の景色と内の暮らしを隔てる一枚のガラス。
朝日が私を通り抜け、部屋の中を照らす。
風が吹いても、私は揺れない。
雨が降れば、私に当たって流れ落ちる。
私は透明だった。
だから、すべてが見えた。
外の世界も、内の世界も。
外には青い空があり、雲が流れ、鳥が飛んでいた。木々が風に揺れ、人々が行き交い、車が通り過ぎていった。
内には家族の暮らしがあり、声があり、温度があった。
*
この家には、三人の家族が住んでいた。
父と、母と、小学生くらいの娘。
朝、父が最初にリビングへやってくる。スーツを着て、ネクタイを締めながら、私の向こうの空を見上げる。青く澄んだ空が、私を通して彼の目に映る。
母が朝食を並べる。テーブルに皿が並ぶ音が、私に微かに伝わる。トースト、目玉焼き、コーヒーの湯気が立ち上る。
娘がランドセルを背負って、慌ただしく席につく。髪を結びながら、パンを頬張る。
「いってきます」
三人の声が重なって、玄関のドアが閉まる。
私は、その光景を透かして見ていた。
最初は、温かかった。
朝日が部屋を満たし、笑い声が響き、家族が揃っている。それは穏やかな日常の色だった。
光が私を通り抜けて、部屋中を照らす。テーブルの上、壁、床——すべてが朝の光を受けていた。
けれど、日が傾くにつれて、何かが変わっていった。
*
昼間、家には母だけがいた。
彼女は洗濯物を畳んだり、掃除機をかけたり、テレビを見たりしていた。窓際で洗濯物を干すとき、私のすぐ近くに立つ。彼女の吐息が、私を曇らせる。すぐに消えるけれど、その一瞬だけ、私は彼女の温度を感じた。
けれど、私には分かった。
彼女の動きが、どこか虚ろだった。
手を動かしているのに、目が遠くを見ている。笑っているのに、温度がない。
私を通り抜ける光は温かいのに、彼女の周りだけが冷たかった。
私は窓として、その温度の違いを感じ取っていた。
外の光は暖かく、明るい。
けれど、内側には何か冷たいものが沈殿していた。
それは影のように黒くはなく、透明なままだった。
けれど、確かに”ある”ものだった。
*
夕方、娘が帰ってきた。
ランドセルを放り投げて、リビングに駆け込む。
「ただいま!」
明るい声。弾んだ足音。
母が微笑んで、おやつを差し出す。
娘は私の前に座って、外を眺めた。
夕日が私を通り抜けて、彼女の顔を照らす。オレンジ色の光が、彼女の頬を染める。
私には見えた。
彼女の瞳に映る、外の景色。
公園で遊ぶ子どもたち。夕焼けに染まる空。ゆっくりと飛ぶ鳥。誰かが笑っている声が、遠くから聞こえる。
彼女はそれを見ながら、小さくため息をついた。
その息が、私に触れた。
温かくて、少し湿っていて、切なさが混ざっていた。
私は窓として、その温度を受け止めた。
*
夜、父が帰ってきた。
玄関のドアが開く音。重い足音。廊下を歩く音が、リビングへ近づいてくる。
父はリビングに入ってきて、ソファに座った。
母が夕食を運ぶ。箸が皿に当たる音だけが響く。
娘がテレビを見ている。画面の光が、私に反射する。
三人が揃った。
けれど、朝とは違う何かが、そこにあった。
父は黙ってスマートフォンを見ている。青白い光が、彼の顔を照らす。
母は黙って食器を片付けている。水が流れる音だけが、静寂を破る。
娘は黙ってテレビを見ている。けれど、画面を見ているのではなく、ただ目を向けているだけだった。
誰も、誰とも話さなかった。
私を通り抜ける月明かりは冷たく、部屋の中はもっと冷たかった。
*
ある夜、父と母が言い争った。
最初は小さな声だった。けれどそれは次第に大きくなり、言葉が激しくなり、私を震わせた。
ガラスは音を伝える。
怒号が、私を通り抜けた。振動が私の表面を走り、部屋全体に響いた。
娘は部屋の隅で、膝を抱えて座っていた。耳を塞いで、目を閉じて、小さく縮こまっている。
私には見えた。
彼女の目から、涙が流れているのが。
その涙が、私を濡らすような錯覚があった。
透明で、動けなくて、ただそこに在るだけ。
けれど、感じていた。
彼女の悲しみを、父の怒りを、母の疲れを。
それらが私を通り抜けて、内と外を行き来していた。
私は透過していた。
ただ光を通すだけではなく、感情を通していた。
家族の想いが、私という透明な存在を揺らしていた。
*
翌朝、何かが飛んできた。
父が投げたコップだった。
それは回転しながら私に向かって飛び、私に当たった。
私は割れた。
ガラスが砕ける音。
鋭い音が部屋中に響いた。破片が床に落ちて、さらに細かく砕けた。
私は割れながら、すべてを感じた。
衝撃、痛み、そして——透過の完成。
割れた瞬間、私は完全に透明になった。
もう光を遮ることもなく、温度を隔てることもなく、ただすべてを通した。
外の風が、部屋の中へ流れ込んだ。
内の温度が、外へ漏れ出した。
私は割れながら、家族の感情をすべて透かして見た。
父の後悔。
母の諦め。
娘の悲しみ。
そのすべてが、私を通り抜けていった。
*
夕暮れ、割れた私に夕陽が反射した。
オレンジ色の光が、砕けたガラスの破片に映り込む。大きな破片も、小さな破片も、それぞれが光を受け止めて輝いた。
無数の光が、部屋の中で踊った。
壁に、天井に、床に。光の粒が散らばって、部屋全体が輝いた。
私は窓として、最後に美しい光景を見た。
割れることで、私は完全に透過した。
隔てることをやめて、すべてを通した。
透明であることの意味を、知った。
他人の感情を通して、自分も揺れること。
それが、干渉の第二段階だった。
影として”見る”ことから、窓として”透かす”ことへ。
私は他人の想いを通し、その温度を感じ取った。
痛みも、美しさも、すべて透過して。
——“視感”が、深化した。
他人の心を透かして視る力が、私の中で育っていた。
影として見ることから、窓として透かすことへ。
段階が、一つ進んだ。
透過の意味を、私はようやく知った。
それは隔てることではなく、繋ぐことだった。
外と内を、光と影を、温かさと冷たさを。
受け止めて、通して、揺れること。
私は割れた窓として、静かに夕陽を受け止めた。
破片の一つ一つが、最後の光を映していた。
まるでそれぞれが、一つの記憶のように。
そして次の転生へと、溶けていく。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
一つひとつの転生は、ただの物語ではなく、
“想いの在り方”を描いた断片です。
何か一つでも、あなたの中に残るものがあれば幸いです。
次の転生でも、静かにお会いしましょう。




