第1話 転生したら影だった
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
『転生の果てⅡ 』は、
“存在のかたち”をめぐる旅の記録です。
どの話からでも、どの視点からでも、
一つの“想い”として感じてもらえたら嬉しいです。
それでは、どうぞ。
私は、影だった。
それが始まりなのか終わりなのかも、分からなかった。
光が差せば形を得て、消えれば闇に溶ける。声も重さも持たない、ただそこに在るだけの存在。
最初、私は何も分からなかった。
体がない。触れられない。声が出ない。
ただ地面に張り付いて、誰かの形をなぞるだけ。光の角度が変われば、私も変わる。人が動けば、私も動く。
風が吹いても、私には感じられない。雨が降っても、私は濡れない。ただアスファルトの上で、黒い輪郭として存在するだけ。
それ以上のことは、何もできなかった。
けれど、“見る”ことはできた。
私は影として、世界を見つめ続けた。
*
街を歩く人々の足元に、私はいた。
朝の通勤路。昼の商店街。夕暮れの公園。夜の駅前。
光がある限り、私は存在し続けた。
朝日が昇れば、影は長く西へ伸びる。正午になれば、影は短く足元に縮む。夕日が沈めば、影は再び長く東へ伸びていく。
人が歩けば、影も歩く。
人が立ち止まれば、影も止まる。
誰もが、自分の影を連れていた。
そして私は、その全てを見ていた。
アスファルトの上を滑る黒い輪郭たち。伸びたり縮んだり、濃くなったり薄れたり。太陽の位置によって、影は姿を変えた。
ビルの影、街路樹の影、電柱の影。すべてが地面に映り込んで、世界を二重にしていた。
最初はただの黒だった。
どの影も同じに見えた。
けれど私は、ある時気づいた。
影の色が、それぞれ違うことに。
*
笑いながら歩く人の影は、淡かった。
黒いはずの影が、どこか軽やかで、透明感を帯びている。地面に落ちた輪郭が、ふわりと揺れる。その人が笑うたび、影も一緒に弾んだ。
まるで影そのものが、笑っているかのように。
泣きながら歩く人の影は、深かった。
濃く、重く、地面に沈み込むように広がっている。その人が足を引きずるたび、影も一緒に歪んだ。影の縁が滲んで、アスファルトに染み込んでいくようだった。
怒りを抱えた人の影は、赤黒かった。
黒の中に、何か熱いものが混ざっている。影の縁が揺らめいて、炎のように揺れた。その人が拳を握りしめるたび、影も一緒に震えた。
迷っている人の影は、滲んでいた。
輪郭がはっきりしない。ぼやけて、揺らいで、どこか定まらない。その人が立ち止まるたび、影も一緒に揺れた。方向が分からず、ただそこに留まっている。
私は、それらを見ていた。
影を通して、人の”心の色”を感じ取っていた。
これが、“視感”の始まりだった。
見ることで、他人の内側に触れる力。
それが私の中に、静かに芽生えていた。
*
ある朝、ひとりの男性が駅のホームに立っていた。
彼の影は、私の目に焼き付いた。
それは、灰色だった。
黒でも白でもなく、ただ灰色。色がない。温度がない。感情が、凍りついているような影。
彼はスーツを着て、まっすぐ前を見つめていた。表情は穏やかで、何も問題がないように見えた。通勤する人々の中で、彼だけが異様に静かだった。
けれど、彼の影は嘘をつけなかった。
私には見えた。
彼の心が、空っぽになっていくのが。
影の色が、少しずつ薄れていくのが。
まるで、存在そのものが消えていくかのように。
電車が来た。
ホームに風が吹き込み、人々が動いた。
彼は乗り込んだ。
影も、一緒に電車の中へ消えた。
私は、ただ見送ることしかできなかった。
声をかけることも、手を伸ばすこともできない。ただ彼の影が消えていくのを、見守るだけだった。
*
昼下がり、公園でひとりの少女が座っていた。
彼女の影は、揺れていた。
笑顔を作っているのに、影は深く沈んでいる。友達と話しているのに、影は冷たく固まっている。
彼女は明るく振る舞っていた。
声を弾ませて、笑って、友達の話に相槌を打っていた。
けれど、影は嘘をつけなかった。
私には見えた。
彼女の孤独が、影の底に沈殿しているのが。
笑顔の裏に、悲しみの色が混ざっているのが。
友達が立ち去ったあと、彼女はひとりベンチに座っていた。笑顔が消えて、ため息をついた。
影が、より深く沈んだ。
やがて彼女は立ち上がり、また歩き始めた。
影も、一緒に動いた。
私は、ただ見守ることしかできなかった。
*
夕暮れ、商店街をひとりの老人が歩いていた。
彼の影は、長く伸びていた。
その影は、温かかった。
黒の中に、淡いオレンジ色が混ざっている。夕日の色ではない。彼自身の”色”だった。
彼はゆっくりと歩いていた。
杖をつきながら、一歩一歩を確かめるように。
時々立ち止まって、空を見上げた。
影も、一緒に止まった。
私には見えた。
彼の心が、静かに満ちているのが。
長い人生の果てに、穏やかさを手に入れたのが。
彼は微笑んで、また歩き始めた。
影も、一緒に動いた。
夕日が彼の背中を照らし、影は長く長く伸びていった。
私は、それを見届けた。
*
夜が来ると、影は消える。
光がなければ、私は存在できない。
けれど、消える瞬間まで、私は見続けた。
街灯の下を通る人々の影。
月明かりに照らされる建物の影。
車のヘッドライトが作り出す、動く影たち。
すべてが、心の色を映していた。
私は影として、ただ見ることしかできなかった。
触れられない。
語りかけられない。
救うこともできない。
けれど、“見る”ことが、干渉の始まりだと知った。
他人の心を視ること。
それは、誰かに寄り添う最初の一歩だった。
影には手も声もないけれど、見守ることはできる。
それだけで、何かが伝わるかもしれない。
*
日が沈み、街灯が消えていく。
闇が広がり、影たちが溶けていく。
私も、少しずつ薄れていく。
けれど、消える前に、私は確かに見た。
今日歩いた人々の、心の色を。
笑顔の裏の孤独を。
怒りの奥の悲しみを。
迷いの先の光を。
空っぽになりかけた魂を。
満ち足りた穏やかさを。
私は影として、世界を見つめた。
それが、私にできる唯一の干渉だった。
——“視感”が、芽生えた。
他人の心を視る力が、私の中に宿った。
これから私は、もっと深く、もっと近くへ。
干渉の意味を知るために、次の転生へと進んでいく。
けれど今は、ただ影として。
光と闇の狭間で、誰かを見守り続ける。
それだけで、きっと何かが伝わるはずだから。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
一つひとつの転生は、ただの物語ではなく、
“想いの在り方”を描いた断片です。
何か一つでも、あなたの中に残るものがあれば幸いです。
次の転生でも、静かにお会いしましょう。




