ひと時の光、密やかなかげ
の診療所は、いつもより柔らかい空気に包まれていた。窓から差し込む陽光が床を淡く照らし、薬草の香りと子どもたちの笑い声が混じる。戦いのあとの静かな日常が、まるで宝物のように思えた。
「リリア先生、昨日のお薬、もう効いてきたよ!」
小さな男の子が包帯を外しながら笑顔を見せる。リリアは微笑んで彼の頭をそっと撫でた。
「よかったね、痛くない?無理しないでね」
その声は温かく、しかし少しだけ息が乱れていた。誰にも気づかれないように、彼女はゆっくりと深呼吸をする。
奥の台所からは、セリナの大きな声が響いてきた。
「わっ、砂糖と塩間違えたー!」
「またですかセリナさん…」とカイルが苦笑しながら鍋をのぞき込む。
そんな二人のやり取りに、リリアは思わず小さく笑った。戦場では頼もしい仲間たちが、こうして台所でドタバタしている姿は、どこか愛おしい。
クロードは黙って窓辺に立ち、街を見下ろしていた。彼の表情は相変わらず鋭いが、ふと振り向いたときにリリアと目が合い、わずかに口元が緩む。
「……君の笑顔は、不思議と人を救うな」
不意に言われて、リリアは胸が締めつけられたように感じた。その言葉が、まるで彼女の秘密を知っているかのように響いたからだ。
午後、診療所に一匹の子猫が迷い込んできた。灰色の毛並みに大きな傷があり、リリアはすぐに応急手当てをする。小さな命の鼓動が指先に伝わると、彼女の胸に過去の記憶がよみがえる。
――前世でも、こんな風に救えなかった命があった。
誰にも見られないように、リリアはそっと瞼を閉じ、深呼吸をした。
「先生、大丈夫?」
隣で心配そうに覗き込むセリナの手が温かい。
「うん、大丈夫。ただ、もう少し抱っこしててあげて」
猫をセリナに渡すと、リリアは背中を向けて棚から薬を取った。誰にも気づかれないように、指先が震えているのを隠しながら。
その日の夕暮れ、診療所の前で全員が揃って簡単な夕食を取った。焼きたてのパンと、少し焦げたスープ。笑い声が夕空に溶ける。
「こんな日が、ずっと続けばいいのにね」
セリナの呟きに、誰も何も言えなかった。クロードは黙って空を見上げ、カイルはパンをかじりながら遠くを見ている。
リリアは笑顔を浮かべたが、その胸の奥では別の言葉がこだましていた。
――この時間が、ずっと続くわけじゃない。私の身体は、そう長く持たない。
そんな想いを隠しながら、彼女は目の前の仲間たちを見つめ、心に刻む。
“この温もりを、必ず守りたい”と。
夕陽が完全に沈む直前、クロードがふと低い声で呟いた。
「嵐は、もうすぐ来る。準備しておけよ」
その声は、日常の柔らかさを一瞬にして引き締めるものだった。
リリアはゆっくりと頷き、胸の奥の痛みに気づかれないよう、笑顔で返した。