魔王城の影に潜む病
リリアが訪れたのは、かつて「魔王城」と呼ばれた巨大な黒い要塞だった。
いまは魔王が倒れ、表向きは廃墟となっているが、そこにはいまだ人々の恐怖と伝説が息づいていた。
だが──リリアが目にしたのは、勇者の伝説とはかけ離れた光景だった。
瓦礫の奥から、咳き込み、呻き声を漏らす人々。黒ずんだ皮膚に高熱。呼吸すらままならない者たちが、地べたに横たわっている。
「……これは」
リリアは思わず膝をついた。
魔物の呪い? いや、これは──
集団感染。
かつて魔王軍が使っていた地下水路。その水が汚染され、村人たちを次々と病に侵していたのだ。
熱と咳。皮膚の発疹。弱った者から次々に倒れていく。
まさに、疫病の震源地。
「リリア様!」
駆けつけてきたのは、冒険者仲間のカイル。
彼は剣を抜き、周囲を警戒している。
「魔物の仕業に違いない! ここは危険だ、すぐ離れよう!」
「違うの!」リリアは強く首を振った。
「これは魔物じゃない。人間の体の中で起きてる“病気”よ。
でも……このままじゃ何十人、何百人だって命を落とす!」
カイルは剣を握り締めたまま、困惑した表情を見せる。
「じゃあ……俺に何ができる?」
リリアは深呼吸をして、決意を込めて答えた。
「まずは“隔離”。患者さんと健康な人を分けて。
それから水の供給源を止める。汚染が広がる前に!」
瞬間、リリアの脳裏にかつての病棟がよみがえる。
インフルエンザの大流行、ノロウイルスの院内感染。
そのたびに必死で患者を守り抜いた日々。
(あのときの知識と経験……今こそ使う時!)
リリアは冒険者たちに次々と指示を飛ばしていく。
「患者さんは一カ所にまとめて! 他の人は入らないようにして!
水は煮沸して、清潔な布で濾してから!
薬草は……この症状なら《青銀草》が効くはず!」
動き出す仲間たち。混乱は収まり、次第に秩序が生まれていく。
だが、安堵する間もなく──
「……リリア様」
床に倒れていたひとりの少女が、弱々しい声を上げた。
その顔を見た瞬間、リリアの表情が凍りつく。
黒髪に、見覚えのある瞳。
それはかつて彼女が病院で見送った、あの“末期患者の少女”にそっくりだったのだ。
「どうして……あなたが……」
リリアの心臓が高鳴る。
異世界に来て初めて、過去と現在が交錯する瞬間だった。