嵐の前触れ
教会との裁定の日から、町は再び活気を取り戻しつつあった。
診療所には相変わらず人が訪れ、明日香は笑顔で患者を迎えていた。
――だが、その平穏は長くは続かなかった。
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ある日、旅商人が駆け込んできた。
「助けてくれ! 仲間が突然、高熱を出して倒れたんだ!」
診療所に運び込まれた男は、全身が汗で濡れ、意識が朦朧としていた。
呼吸も荒く、体中に赤い斑点が浮かび始めている。
「……これは」
明日香の顔が青ざめる。
現代の知識を持つ彼女には見覚えがあった。
感染症――しかも、ただの風邪では済まない危険なもの。
慌ててリオンが駆け寄る。
「どうすればいい!? 俺が支えようか?」
「だめ! リオンさんは近づかないで!」
厳しい声に、リオンは思わず息をのむ。
エリナも顔を強張らせた。
「まさか……人から人へ移る病気なの?」
明日香は深く頷いた。
「ここで広がったら、町全体が危ない。すぐに隔離しないと!」
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診療所の一角を仕切り、急ごしらえの隔離室が作られた。
エリナは消毒に使える薬草を必死に煎じ、ハルトは記録を取りながら人々を説得に回る。
だが、不安に駆られた町人たちの間には動揺が広がっていた。
「病気がうつるって? じゃあ診療所ごと閉じてしまえ!」
「神の裁きだ! 教会が言っていた通りじゃないか!」
ざわめきと恐怖の声が広がる。
リオンが剣を持って人々を制止しようとするが、その目には迷いがあった。
剣で不安を斬り払うことはできない。
そんな中、明日香は声を張り上げた。
「落ち着いて! これは恐ろしい病気だけど、正しく対応すれば必ず防げる!
だからお願い、私を信じて――!」
彼女の必死の言葉に、群衆は一瞬静まった。
その姿は、かつて病弱で守られるばかりだった少女ではない。
今や「町の希望」として、彼女は立っていた。
⸻
夜。
隔離室の中で、患者の男はうわごとを繰り返していた。
汗を拭き、体を冷やし、少しでも苦しみを和らげる。
明日香はその手を握りしめながら、胸の奥で震える声を押し殺した。
「……お願い。どうか、流行になりませんように」
その祈りのような言葉を、リオンはすぐそばで聞いていた。
彼はそっと彼女の肩に手を置き、真剣な眼差しで言う。
「明日香。大丈夫だ。お前はひとりじゃない。俺たちがいる」
その言葉に、明日香は小さく頷いた。
けれど――心の奥底では確信していた。
これは始まりに過ぎない、と。