A3
#1
帝都端区にある中央通り。そこから一本外れた誰も寄り付かない、通称死体通りを歩く使い人の姿があった。
雪の積もり始める路地を足早に歩く。その足が不意に止まった。
「まったく。いつまで付いてくるつもりですか、葵さん」
そう言って振り返った先、在りし日の世界では「翠静香」と呼ばれた少女がいた。
むくれた様に、静香が口を尖らせる。
「仕方ないでしょ。あなたが怪しいっていう事実には変わりないし」
「だからと言って普通、警察に追われている指定手配犯と行動を共にしますかね」
「でも、信頼出来ない相手とは契約出来ないし」
「それを込みでの破格のオファーだったのですがね」
フードの下、呆れたように使い人が溜息を吐いた。
「一応言っておきますが、契約を待てるのは1週間が限界です。それ以上は私も待てない」
「分かってるし……」
そう不貞腐れたように呟く。
二人が歩いていたのはコンクリート造りの建物の狭間にある通り道で、道端には排泄物や吐瀉物、その他の誰の物ともしれない肉片が転がっていた。
時折捨てられる死体の身ぐるみを誰かが剥いでいく。故に付けられた名前が“死体通り”と。
口元を手で押さえながら、静香が問いかける。
「こんな所に一体何のようなの?」
「私個人の私的理由です。話す義理は有りません」
そう言いつつ、突き放すつもりも無いのか、使い人の歩調は速いものではなかった。
「ねぇ、なんで人を殺したの?」
ひたりと、使い人の足が止まった。
「それは、疑問ですか」
「ううん。質問」
「そうですか」
そう言うと、使い人は高いコンクリート壁から覗く寒空を見上げた。暗い灰色の空から白い雪の結晶が降り注ぐ。フードの端で銀色の髪が風に揺れた。
「人殺しは悪いこと、だよ?」
そんな声すら耳に入らないのか、桃奈は夜の雪空を見あげている。唐突に、その口が開いた。
「以前、私も似たような疑問を抱いたことがある。なぜあの人は人を殺すのか。なぜ、私は人を殺すのか」
フードの肩口に雪が降り注いでいく。溶けることなく、それは降り積もっていき、その肩で小さな山となった。
「憎んでいるのか、苦しんでいるのか。或いは怒りなのか。
なぜあの人は聖母のような笑みで人を殺せるのか。なぜ私はこの道を選んでいるのか、今でも解らない」
熱が外気に奪われていく。手袋越しに指を擦ると、少しだけ血流が戻った。
彼女は相変わらず空を見あげている。
「しかし一つだけ解っている。許せないということだけを。この憎悪を絶やしてはならないと」
#2
死体通りを抜けると、か細い路地から一変、大きく開けた広場に出た。露店やオフィスが並んでいるためか、比較的清掃が行き届いている。
使い人が向かったのは露店の一つ、老婆が握り飯を売る店だった。辛うじて三角と解る絵の描かれた旗が掲げれている。
「ここが目的地、ですか?」
「ええ」
「でも確かここ、あんまり美味しくないって友達が」
そう忠告するも、使い人は老婆に紙幣を数枚握らせた。目が悪いのか、老婆はそれを確かめるように何度も触って数えた後、何も言わずそれを懐にしまい、冷めきった白米を握り始める。
その近くの柱に使い人が背中を預けるのを見て、小走りで静香が近寄ってきた。
「幾ら渡したの?」
「5万円ほど」
「5万って、あんな塩も付けない味の悪い握り飯に払うお金じゃないでしょ」
「でしょうね」
そうあっさり頷くと、益々困惑したように顔を潜める。そして直ぐに、台に並べられた握り飯が端から消えていっていることに気付いた。
「ぁ……」
痩せこけた汚い手が、握り飯を掴んでは消えていっている。それが孤児達の手だと気付くのに、そう時間は掛からなかった。
「まさか……施し、ですか」
「それこそまさか。あの子達が勝手に持って行っているだけですよ」
そう言いつつ止める気が全く無いのか、使い人の背は柱にもたれ掛かったままで。間でも埋めるように、使い人が口を開いた。
「あの屋台は、この近辺で唯一口にできるものを売っている。他の店は……味はともかく、内実は最悪だ。薬や、時には人肉すら平気で混ぜてくる」
ぎょっとしたように振り向くが、彼女に嘘を言っているような素振りはなかった。
「……偽善ね。それでストリートの孤児達全員の腹を満たす気?」
「そのつもりですが」
あっさり返され、静香の口が一瞬閉口する。
「それで、あなたが居なくなったその先は?あの子達はどうするの?」
「どうもしませんよ。そもそも私は悪人だ、こんな柄に無いことを続ける義務は無い。ましてあの子達の行く末など知ったことではない。私が死ねば、その時はその時です」
小さくせせら笑う。視線の先、握り飯を受け取った孤児の一人が使い人の方へ頭を下げようとして、リーダーと思わしき年長の子に頭を叩かれた。そして結局、無言で去っていく。
その様子を愉快そうに使い人が見ていた。
「君よりもあの子の方が良く解っている。こんな事をするのは碌でも無い方法で金を得た奴か、さもなくば極悪人のどちらか。そんな奴に頭なんか下げなくていい」
そう言って、屋台に並ぶ孤児達の様子をじっと見つめている。時折、浮浪者や身なりが異常な程に汚い人間が憎々しげに、或いは羨ましげに孤児等を睨みつけ、使い人の姿を見て慌てて去っていく。
結局、老婆の握り飯が全て捌け終わったのは、子ども達が現れてから30分後の事だった。
安くて安全なだけの不味い飯を美味しそうに頬張る孤児達を見ていると、その集団の中から一人がやってきた。先程、頭を下げようとした仲間の頭を叩いた者だった。
開口一番、挨拶も抜きに「次はいつ来る?」と尋ねる。
「明後日だ」
「それじゃ持たない。明日も来てくれ」
「ふーん……」
そう呟いた使い人の目が細くなる。それは、側にいた静香が足を竦めるような瞳で。
しかしその子は「明日だ」と返した。
「今年の冬が早い。このままだと仕事に有りつけずに飢える子が出る」
「ちっ」
そう舌打ちすると、使い人は「明日のこの時間だ」と返しすと、答えを待たずにそのまま踵を返す。その後を、一瞬遅れて静香が追いかけてきた。
「あなたって多重人格者?」
「いえ、そう言うわけでは有りませんよ」
いつもの口調で、首を振って見せる。街灯の下、仄暗く照らされた使い人は、普段通りの薄い笑みを浮かべていた。
「ならどうして。あんな言い方じゃ、まるで悪人」
「悪人ですよ」
小さく、使い人が笑った。
「私のような指名手配人とは本来親しい関係にあるべきでは無い。今くらいの関係が丁度良いのですよ。彼らにとっても、私にとっても」
#3
時計の針が明日を刻む。深夜を回った帝都は一層の寒さを見せ、街中を冷え枯れた風が彼処を駆け抜ける。例えばそれは、死体通りの狭い路地も例外ではなく。
帰路を辿る静香の唇も真っ青に染まっていた。
「寒い……」
そう手を擦り合わせていると、溜息をつくように使い人がその手を握った。そして小さく、囁くように「第3及び第4を起動」と術式を起動させた。
途端に、身体全体をほんのりとした温もりが膜のように覆った。
「あ、ありがと……」
「どういたしまして」
何でも無いことかのように素っ気なく返すと、使い人の手がまた離れていく。その指を一瞬追いかけようとして、慌てて彼女は手を引っ込めた。
「……」
代わりにその指を、じっと見つめる。不審に思ったのか、使い人が振り返った。
「どうかしましたか」
「ううん。ただ、あなたのことが却って、よく解らなくなってきたから。優しいのか、残酷なのか」
「さあ、それならコインの裏表で決めてみますか」
「私、真面目な話してるんだけど」
「私も至って真面目ですよ」
そう誂うように笑いながら、ポケットから取り出した硬貨を夜空に彈く。街灯の光を反射した表層が宙で輝く。
それを見上げながら、使い人が呟いた。
「勝手に理解しようとして、勝手に的外れな見当を得て。そして勝手に失望する。それならコインで占われた方が幾らかマシです」
「……もしかして、私って迷惑?」
「それも占ってみますか」
落ちてきたコインを使い人が掴まえる。果たして、手の中にあったのは裏表の無い玩具のコインだった。
「残念。答えは保留ですって」
「どっちが?」
その質問には答えず、それきり会話が途切れてしまう。
無言のままに歩き続け、そして気付けば死体通りを抜けており、いつの間にか“ドバウ海運商”の事務所前に戻っていた。
「ここまでで大丈夫。送ってくれてありがとう」
そう言って頭を下げると、使い人が苦笑する。
「だから。私のような人間に頭を下げるべきでは有りませんよ」
「変なの。お礼くらい素直に受け取ればいいのに」
そう言いつつ頭を上げて、静香は「ねぇ、二つ聞いていい?」と声をかけた。
「明日は何処に行けば会える?」
「明日も、ですか」
あからさまに迷惑そうに答えると、静香は「うん、明日も。明後日も」と笑顔で返した。
「悪人になら気を使わなくてもいいでしょ」
「あら。これは一本取られましたね」
そう言うと、使い人は少し悩んだ後「明日の夕方、ここに迎えに来ます」と答えた。
「伯爵からの頼まれ事をお見せすることはできませんが、私個人のものは構いません。それで、もう一つは」
「お父さんが契約書に署名する直前に私が止めた時、あなたはどう思った?」
その質問に、初めて使い人の口元が歪んだ。
「なんてことをしてくれた」
「やったぜ」
#4
夜が終わり、また日が傾く。
昨晩と変わらず、老婆の握り飯屋は相変わらず閑散とした様相だった。誰にも取られることなく干乾びた握り飯が屋台の前に陳列されており。時折、壁に掛けられた壊れかけのラジオから思い出したように、ノイズ交じりの声が流れてくる。
その老婆の前に人影が表れたのは、丁度アナウンサーが本日夜から猛烈な吹雪になるであろう予報を告げた時だった。
「これを」
そう言って、使い人は老婆の嗄れた手に一抱え程ある壺を握らせた。
「今晩もまた来ます。その際、握り飯にこれを混ぜて下さい」
その言葉に、老婆は壺の中身を検めることなくそのまま突き返した。
「けぇりな。オラの飯には食いもん以外混ぜねえ」
「ただの梅干しですよ。米だけ食んでいればいずれ脚気になる」
そう言われて老婆は、改めて屋台の上に置かれた壺を開けると、中から一粒頬張る。そして味を確かめるように顔をシワだらけにすると、漸くそれを屋台の中へ入れた。
「おめぇも物好きだな。なんだって餓鬼共の面倒を見る。あんなの死んだって誰も哀しまねぇよ」
「死に損ないに話すようなことでは有りませんね」
「ちげぇねぇや」
そう興味無さげに頷くと、老婆は一緒に握らされた紙幣を数えだした。
「さっさと失せろや。おめぇがいると、客がよりつかねえ」
「その暖簾程にはお役に立てませんよ……くれぐれも、私が来たことは誰にも漏らさぬように」
そう言って、不味い事で有名で客避けになっている暖簾を尻目に背を向ける。そして次に老婆が瞬いたときにはその姿を消していた。
広場を背に、死体通りを抜けていく。途中、犬の死体を啄む烏の背を跨ぎ、ドバウ海運商の事務所前に着いた頃には日も沈みかけていた。
「少し遅くなったか」と独り言ちつつ、静香の姿を探す。果たして、彼女の姿を見つけるよりも先に、その子が使い人の姿を見つけた。
昨晩話しかけてきたリーダー格の孤児が息を切らしたように駆け寄ってくる。そして、探し疲れたように、泣きつかれたように、使い人のローブに縋り付いた。助けてと、小さく啜り泣くような声が聞こえた。
「落ち着きなさい。一体どうしたのです」
「子ども達が……子ども達が攫われたんだ、俺の妹も!」
明確に、白瀬桃奈の纏う雰囲気が一変した。息も絶え絶えに孤児の手がローブを、その悪人の手を握りしめる。
「なぁ、あんたお使い様なんだろ!頼むよ、助けてくれよ!俺には……俺にはっ」
御拝読及びブックマーク頂きありがとうございます。活動報告の方にも書きましたが、改めてこの場を借り、本作を一度非公開化した件をお詫び申し上げます。
そして、それにも関わらず本作お読み頂いてくれる方々には感謝の言葉も有りません。併せて、感謝申し上げます。
※追記
今回の話は推敲の時間が無かった為、後々修正することになるかと思います。




