A2〈後編〉
※3『X年7月16日』
梅雨時の雨は過ぎ、時折雪も混じり始める頃。部屋の中は芳しい木のしけた匂いと煙草の臭いが立ち込めており。夜も半ば、窓の外から時折雨音が聞こえる。
手に咥えていた煙草の灰が指に落ち、「あつっ」と部屋の主が漏らした。
「どうしやした?」
控えていた男が慌てたように駆け寄ると、女は気にするなと言いたげに手を振り返す。
二人がいたのは帝都近郊から少し外れた位置にある、俗に言う川向こうの街にあるテナントビルの一室だった。治安は程々に良く、程々に悪く。時折住民がいなくなることを除けば平和な地区に構えられた事務所の一室、石炭ストーブの音が乾いた部屋に響いた。
「少し舟を漕いだだけだよ。それよりアツシ、この記事読んだか」
そう言って、先ほどまで読んでいた雑誌を投げ渡すと、受け取った男はそれに軽く目を通した。
「ああ、例の警察官殺害事件の。ええ、読みましたとも」
「それは結構。まさかウチの若いもんの仕業じゃないよな」
冗談めかして言うと、男は苦笑を浮かべた。
「ははっ、それこそまさかでしょう。警察に楯突く馬鹿はこの稼業やってられんですから」
「違いない」
女がせせら笑い、もたれ掛かった拍子に椅子が悲鳴を挙げる。そして一変、今度は少し考え耽るような表情を見せた。
「しかし、そう考えるとこの専門家センセーの話も強ち的外れではないか。フラスコ伯爵というのは引際を知らないようだ、明らかに殺し過ぎている」
確かにプロの仕業とは思えませんと、男も同意する。
「しかし、それならそれで手際が良すぎるのが引っかかります。プロ思考を有しないプロの犯行というのは、有り得ない」
「つまり、犯人は殺された警官が警戒しないほどに信頼していた相手だった、ということか?」
「或いは高位魔術師という可能性も」
という男の推測に、女は首を横に振った。
「知人説はともかく、魔術師というのは有り得ないだろう。刑事課の連中が本気で設置した警備システムを突破するとなると、恐らく4属性持ち相当の高位魔術師だ」
「まぁ、滅多にいないのは同意しますが……他にも警察の情報解禁タイミングも気になりませんかい?」
「確かにそっちは気になるな……」
そう頷くと、煙草を咥え直す。紫煙が女の顔を隠した。
「首都警察ってのは大抵が根性曲がりきったエリート集団だ。ソイツらが犯人の目星すら見つけてられてない段階で失態を世間様に晒すか?」
「いえ。恐らくはもう何人か餌にしてでも犯人を追うかと」
「警察はフラスコ伯爵の特定を止めた……?いや、それこそあり得ん」
何度か可能性を挙げては首を振って否定する。
ランプの火が揺れ、男が吟味するように部屋を見渡した。
「念の為、ここの防犯システムをチェックし直しませんか?幾ら何でも自動ロックシステムだけじゃあんまりだ」
「高位魔術師相手には汎用警備システムなんて役に立たないだろうけどな。まぁ、その当たりはアツシに任せるよ」
「うす。じゃあ、やらせて貰いますわ」
男の手が扉の取手口にかざされると同時、緑色の淡い光があふれ出した。
「第1及び第2を起動」
発現した光が鉄製の扉へ浸透していく。やがて、作業が終わったのか、疲れたように男が息を吐いた。
「魔力施錠を施しました。開ける際の鍵が若干重くなったと思いますが、外からはボスの鍵が無いと解錠できないようになってます」
「おお、助かる。それじゃ、お休み」
「ええ、お先に失礼します。ボス」
そう言い残して、男が部屋から出ていく。扉を閉める際、錠の無機質な音が部屋に響き。そしてまたすぐに扉がノックされた。
「なんだアツシ、忘れ物か」
そう苦笑し、一向に扉が開かない状況に少しだけ女の眉が窄まり。直ぐに先程の「外からは開錠できない」という言葉を思い出した。
「こういう時は面倒だな」と愚痴を零しながら腰を上げ、扉の方へ寄る。そしてノブへ手をかけようとしたその手が、直前で止まった。
「待て。アツシは防音機能までは付与していなかった筈だ……そこにいるのは誰だ?」
そう誰何するも、扉の向こうから声が返ってくることはなかった。腰元の物に手を掛けながら、ゆっくりと扉の覗き穴から外を確認する。そして、背後に人の気配を感じ取った。
反射的に銃口を向けながら振り返る。それは、涼やかな女の声だった。
「第3から第5までを解除」
魔術行使する際の光が影を照らし出す。そこには目元までフードを被った人影が立っていた。
薄汚れた襤褸の茶色いフード、それと相反するように女の周りには金糸のような光が、砂を擦るように音を立てている。もし不吉が事象化すれば、それは陽の黒点であると信じさせるような姿だった。
気圧されたように口を開く。
「来客の予定は無かったはずだが……どちらさん、かな?」
その質問に、フードの女は答えず。ただ、薄暗い部屋の中で、鉄屑を入れたフラスコが鳴らされたのみで。引金にかけられた指を引くには十分過ぎる理由だった。
「っ!」
ハンマーが音を立てる。しかしそこから銃声が鳴り響くことはなく、代わりフードの女の口から「ばぁん」と楽しげに笑う声が聞こえた。
「は、え?」
呆けたように、何度か引き金を引き直す。しかし、シリンダーが回転するだけで銃弾は一向に出ず。それは、先程からフラスコの中で音を立てているものが銃弾だと気付くまで続けられた。
「なんなんだよ……いったい」
手汗で濡れたハンドガンが滑り落ちる。小さく鳴り響いたその音に満足したのか、フードの女が嬉しそうに手を合わせた。
「素晴らしい。アーランドファミリーの組長は聡明な方と伺っていましたが、噂以上です」
「…………」
「今までの方は助けを呼ぼうと大声を上げたり、挙げ句には逃げ出そうと窓から飛び降りようとしたり。全く、伯爵も舐められたものです」
「伯爵……やっぱり、そうなのか?」
楽しげに、フードの女は「ええ」と頷いた。
「お初にお目にかかります。私は伯爵の使い人、要するに代理人のようなものです。伯爵が表舞台に立つのは本業をするときのみですので、姿無きことはご容赦のほどを」
そう言って使い人は嫌味なほど綺麗に頭を下げる。その際に零れた銀色の髪房に若干気勢を取り戻したのか、組長は「どうだか」と口の端を吊り上げて見せた。
「と、申しますと」
「伯爵の名は今や誰もが知るところだ。アンタが伯爵の名を騙る偽物ではないって保証がどこにある」
「なるほど。確かに道理ですね」
頷くと、使い人は黒い袋を投げ渡した。
「これは伯爵より預かったものです。見る者が見れば、必ず伯爵と解る証拠物件になるとのこと。但し、扱いには十分お気を付けを」
「これを、私が確認する義務は?」
「見なければ後悔するかと」
そう言われて、女は慎重に袋の封を解く。密閉処理されていたのか、最初開けた時、鼻を劈くような異臭が漂った。それが肉の腐る死臭だと気付いたのは、血に黒ずんだ警帽を取り出したときだった。
「っ!?」
指がそれを取り落とす。中には殺されたと思わしき警察官の一部が収められており、そこから零れた目玉が組長の目を見つめた。
小さく使い人の笑い声が漏れる。
「困りましたね。扱いにはお気を付けてと申し上げましたのに」
「くそっ!クソがっ!こんなもん持ってくるんじゃねぇよ!」
それから逃げるように警帽を、そこから零れた物を袋に詰め直して押し付け返す。空気を読まないように、使い人が口を開いた。
「それで。私が伯爵の使い人であることについて御納得頂けたでしょうか」
「信じる!信じるよクソッタレが!首都警察の死骸を持ち歩くイカれた野郎なんてテメーらくらいのものだ!」
「それは重畳。これで漸く、私の仕事ができるというものです」
一歩、使い人が足を踏み出した。その姿に組長は一瞬たじろぎ、束の間の内、諦めたように目を閉じた。
視界が暗く閉ざされ、肌が使い人の気配だけを鋭敏に感じ取った。
「殺すのか?私を」
次に一歩、使い人が近付いてくる。
「なぜその様なお考えに」
「アンタらがやる事なんて殺しくらいなもんだろ」
また一歩、使い人の足音が近くなる。
「その点は否定しません。確かに、我々には殺し以外の才能は有りませんから」
「なら、私だけにしろ。下の連中には手ぇ出すな」
更に一歩、その気配が遂に真正面にまで来た。
「そのお願いは聞けませんね」
「……そうか。まぁ、恨まれるような仕事もしてきたしな」
寂しそうに呟く。そして最後に一歩、使い人がその足を踏み出して。そのまま女の側を素通りした。
「そもそも私の仕事は殺しでは有りませんので」
「は?」
慌てて目を見開くと、彼女を素通りした使い人は、その後ろにある来客用のソファーに腰掛けていた。
肩越しに、何らかの書類を広げているのが見える。
「言ったでしょう、伯爵は表舞台にしか現れないと。代理人である私が手を下すことは有りえません……ですから、確かめなくてもその首は繋がっていますよ」
疑わしげに自身の首周りを触る組長に声を掛ける。
「殺しが目的じゃない……?じゃあ、アンタは一体何の目的で」
「ふむ。まぁ、一言で言ってしまうとビジネスです」
「びじ……?」
訝しげに首を傾げる組長に、使い人は告げた。
「単刀直入に申し上げます。アーランドファミリー組長、鈴木様。フラスコ伯爵の力を買ってみませんか?」




