望んだ最期
「うわーん! あのおもちゃ欲しいー!」
「ちょ、静かにして…!」
周りがこちらを見ていることは全然わかっていた。
人前で---土日のショッピングモールのおもちゃ屋さんの店内で泣くことが恥ずかしいことだとも、よくわかっているつもりだった。
着ている服の丈も短くなってきて、身長も伸びている実感もあった。
そんな「いいお年頃」の男子がおもちゃ一つで喚き散らかしていた、公衆の面前で。
多分、「うるさい」と思われてるだろうな。
あの人、めっちゃ睨んでるな。
せめてその時、俺を連れて申し訳なさそうにしていた母に少しでも罪悪感があれば、すぐ泣き止んで「ごめんなさい」ができたんだろうな。いや、「いいお年頃」の男子が、あんな大勢の前でしょうもないことを理由に泣きわめくこと自体、まずありえなかったんだけどな。
× × ×
「お前がもってきたんだろ?河野!!」
「あ、いや……」
担任である大柄な男教師は、手に握った携帯ゲーム機を俺の目の前に持ってきて怒鳴る。
俺の斜め後ろでは、何も言わず呆然と、いや、ふかしたような顔で同級生の男子が2人その光景を眺めていた。
俺だけじゃないのに……
「……はい、僕です」
「またお前か!!」
ガミガミと説教されている俺を横目に怒られまいと地蔵になっている共犯者が2人。
本当は「お前らもだろ!」って言いたい。……けど、そうやったとしたら、俺とこの2人との関係性は今後どうなるのだろうか?今まで仲良く学校で隠れてコソコソゲームを楽しんでいた仲から、仲間外れにされるのだろうか?
……こんなことばっかりだ。こうやって変なことを考えていつもヘイトをため込んでしまう。
× × ×
「いや~、ご、ごめんな?」
「ま、まぁさ、健太って頭いいし、運動もできるし、新藤やつ嫉妬してんだよ!」
「そ、そうだよ!大人のくせに小学生に嫉妬ってな~!」
見ていた2人はうなだれる俺に肩を組んでくる。表情には申し訳なさも見えるが、ヘラヘラと笑っている。
俺は半泣きになりながら、何とも言えないもどかしさに苛まれるだけだった。
× × ×
「あ、……」
リビングに入るなり、両親が俺の顔を見た。もうそれで察せられる程だったんだろう。
「……浪人は、しないわ」
「わかった」
高校受験に続き大学受験も不合格。
俺は地元の公立中学ではそこそこの文武両道だったが、いわゆるトップ校に落ちて滑り止めの私立の進学校に通った。
文化祭も遠足もないような本当に勉強しか取柄を作ることができない学校で、そんな校風に集まるのは俺のような滑り止めで入った人間ではなく、俺なんかより受験勉強のポテンシャルが数倍あるような奴らばっかりだった。
見事に落ちこぼれてなんの取柄も作れなかった。知ってるだろうけど、暗黙で皆が行っているのに倣って、高校まで受験結果の報告に行った際には、受かった同級生たちの幸せそうなオーラを嫌でも感じた。
中学の時に始めたギターも、大好きだったN天堂のゲームも、大学受験のために全部我慢したんだけどな……そんなやつ、俺以外にも星の数ほどいるだろうけど……
「なんか、しんどいな……」
× × ×
夜の22時。
俺は練習着にジャケットを羽織ってスタジオに向かおうとしていた。
「お前、また夜中に遊びにいくつもりか!」
「だからダンスの練習だっつってんだろ!」
このやりとり、何回目なんだろうか。
大学から始めたストリートダンスは、その文化やオールでの練習の数も多かったせいか、全く親に受け入れられなかったがーーー
「お前、全国大会で優勝って本当か!」
「フジソニックで踊れるなんてすごいじゃない!」
俺が有名な学生コンテストで優勝した瞬間に手のひらをクルっと返された。
もちろん、優勝したことが嬉しくなかったわけではない。
今まで大きい成功体験という体験が記憶になかった俺からしたら、たったの3,4年の期間で自分を認めてもらえる結果を出せたことは死んでしまいそうなくらい嬉しかった。
ただ、手のひらをクルクルしてきたのは素人である俺の両親だけではない。
今まで散々俺のことを馬鹿にしてきた人間もそうだし、結果が出たとたんに俺に対しての接し方を変えてきた奴もたくさんいた。
俺がひねくれてるだけだとは思う。けど、背中を押されるような嬉しさは全く感じられなかった。
ダンススタジオのインストラクターやバックダンサーの仕事も一時期経験したが、就職と同時にダンスにかける熱量は減っていった。
そんな就職先が決まった時だ。小さいころからゲームが好きだった一心で就活して、世界でも有数のビデオゲームのメーカーから内定をもらった。
そんな内定先を親に伝えると、
「ほ~、いい値段するじゃねぇか~」
「え、やっぱり高いの?ねぇ、ねぇ!」
両親そろって、株を見始めた。
なんだか、冷めた。ーーー
今までのことなんてなんにもドラマティックでもないし、大学生になってからなんてむしろいいことの方が多かったと思う。
けど、心の底からの喜怒哀楽ってあったっけ?
おもちゃ一つで恥じらいもなく泣いて喚いていた自分を、何故かうらやましく思った。
× × ×
国内最大手のゲームメーカーに入社した俺の配属は、家庭用ゲームの営業部門だった。
対人的な部分に不信感が積もり積もっていた俺からすると、リアルに人対人で折衝するのが仕事のそれである営業なんて一番行きたくなかったが、そうは言ってられないので一生懸命頑張った。
「おい、さっきのメールなんで俺に送られてきてんの?」
「ねぇちょっと、販売本数先週の数字になってない?」
「前にも言っただろ!もう書け!いいからもう一回メモしろ!」
頑張ったって見られるのはできているかできていないかだ。毎日ミスの連続で、上司からは呆れられ、同期からも徐々に裏で馬鹿にされるようになった。髪を洗っていたら毛がごっそり抜けた。あれって円形脱毛症だったのかな……
もう、限界だった。
精神科などにかかったことのなかった俺は、会社に産業医なるお医者さんがいることすら知らなかった。毎日半泣きになっていた俺は必死に産業医に助けを求めて、近くの大学病院の紹介状を書いてもらった。
「ADHD優性の発達障害ですね」
そういわれて、幼少期の癇癪や落ち着きのなさや、一つのことに取り組む能力が他人より高いことや、いわゆる総合職で求められるようなマルチタスクが全く周りよりもできないことに合点がいった。
でも、合点がいくだけだった。
薬などの処方もあって一部症状?が緩和されていたが、求められる仕事の能力が他人より低いことは明らかだった。
× × ×
「いやー、河野君、研磨うまいんだよなー」
「ああ、ありがとうございます」
「しかも早いし!これだったらあと3枚は写真取れるよ!よろしく!」
「承知しました」
一般就労をあきらめた俺は、障がい者雇用を頼ってゲームとは違う半導体の大手メーカーの現場職に転職した。
構内で使用する設備の使い方は一定で、イレギュラーが起きることはない。使い方のマニュアルだってちゃんとある。要領さえつかんだらあとは単純作業になるこの仕事は、俺にとっていい着地点だった。
ここでは前職と違って仲の良い同僚や先輩後輩がたくさんできた。名の知られている大手企業ではあるものの、それをもってふんぞり返った態度をとる人もいないし、何より適材適所で働けば、ちゃんと評価されるんだと自分の中での成功体験を増やすことができた。
仕事が楽しくなり、俺はダンスの練習も再開した。
過去の栄光ではあるが、元学生チャンピオンという建前で、また新たに色んなダンサーと交流し、切磋琢磨できる機会も増えた。
楽しい。楽しい。楽しくて仕方ない。
お金なんて必要最低限でいい。この時間が長く続いてくれればーーー
× × ×
「きこえますかー?」
低い男性の声がぼんやりと聞こえた。
「きこえてますかー?」
今度は女性の声。
はい、と力なく返事をすると、ガタガタと揺れる部屋の中で仰向けに寝ている俺を、3人の救急隊員が囲んでいることに気が付いた。
……救急車の中だった。
会話のラリーを数回した後、こういわれた。
「あなた、倒れてたんです。マンションの駐輪場で」
楽しいと思っていた生活の中で、数か月前から食欲がなくなっていき、1か月でいきなり10キロも体重が落ちた。
仕事への不満もなかったし、何よりプライベートもとても充実していると思っていたのに、ご飯が喉を通らなくなるのは正直「???」でしかなかった。病院にも行ったが、原因はわからなかった。
さらにその一か月後には寝られなくなった。いわゆる不眠症の症状が身体に出始めた。
薬を飲んでも、寝具を変えても、安眠効果のある音楽を聴いても、全く眠れなかった。
エネルギーを摂取できないうえに寝不足の症状まで出てきてしまい、自分でも焦ったが、生活の楽しさで何とかごまかしていた……けど、無理もそう続かなかった。
× × ×
「全身の精密検査も受けたんだろ?精神科でも特に異常はなかったんだろ?ならお前自身の責任ってことだからな。お前の行いが、お前を追い詰めたんだ」
休職面談の際、今まで信用していた部長にそういわれたのは今でも忘れられない。
俺はその時、さすがに暴力は振るわなかったが、子供の時に起こしていた癇癪のごとく、部長に対して、ヨロヨロで半分くらいしか残っていない身体のエネルギーを全集中させてブチギレた覚えがある。
不眠も中々よくならず、部長との確執ができてしまったことによってすんなりと職場に復帰することもできなくなり、休職期間満了で俺は2社目を退職することになった。
最初のうちは退職金と確定拠出年金、さらに療養中に申請した障害年金で何とか生活できていたが、そのうち貯えもそこをついてきた。
早いうちから転職活動もしていたが、休職期間の長さや病状がネックとなって、正社員では全く内定が取れなかった。
そのうち正社員をあきらめて派遣をやるようになったが、事務の多い派遣仕事はマルチタスクが苦手な俺には合わず、精神を病んで短期離職するか、契約を更新されずに切られるかで、どれも長続きしなかった。
× × ×
組織で働けないなら何かスキルを、と思って、プログラミング教室やゲーム制作の専門学校に通ったが、正直なんのスキルも身につけられずに終わってしまい、お金だけを浪費した。また、変なビジネスの話に乗っかってしまい、多額の借金をすることにもなった。
その際、お金の出どころは常に親の懐からだった。でも、この時俺はこれが後々大問題になるとは知らず、金の無心で親に甘えた生活を続けるのだった。
× × ×
もはや一般就労ができなくなった俺は、アルバイトの仕事すらうまく続けられなくなっていた。
ここまで落ちぶれてしまったうえに、未だに親に足りないお金を出してもらう日々。
30を過ぎてこんな実家暮らしのみじめな奴に、生きる価値なんてあるのかな……そう思ってとぼとぼリビングに向かうと、両親の言い合う声が聞こえてきた。
……一瞬でシビアなのはわかった。
「健太、あの子あとどれだけ借金があるのよ!」
「仕方ないだろ、あいつだって病気したんだし、あいつなりに色々チャレンジはしてただろ」
「でもお父さんの入院費用がもうないのよ!私たちもとっくに定年だし……」
「そんなこといったって……」
あー。
生きる価値なんて、なかったわ。
両親は自分の生活基盤を削ってまでこんなろくに働けない人間に尽くしてたのか。
俺のせいで、両親の生活の首を締めてたのか。
「……ごめん、もうしんどいわ」
× × ×
両親の会話を聞いてしまったあの日から、俺は極力家の外で散歩していた。
馬鹿な話だけど、自分で「死ぬ 楽な方法」とか調べたりして、希死念慮を煽っていた。
「楽な方法」とかって、死に際も楽しようとしてるのが本当にゴミの発想だよな。
そういや、今まで両親は俺に払わなくていい金をいくら払ったんだろう。
ーーー死にたいとか思ってるやつがこんなこと考えてるって、まだ生きたいとか思ってるってことかな。
本当に図々しいな、俺。なにが「しんどい」だよ。
もっと俺よりも苦労してるやつなんてっーーーーーーーーーーーー
ザクッッ
周りの悲鳴とともに、俺の膝の力が抜けて地面にうつぶせの状態になった。
ドスッ!グジャ!
気づいたときには背中がめちゃくちゃ痛かったが、痛さと同時に、生々しい刃物の音や、口から溢れてくる血の味や、シパシパしてかすんでいく視界の見え方など、色んな感覚に鋭くなっていた。
「おい!やめろぉ!」
後ろからかかっていた体重から解放される。
触覚・聴覚・視覚・味覚・嗅覚、すべての感覚が薄れていく。
あ、俺、死ぬのか。死ねるのか。
ああ、、、あ、、、
やっと、、、あ、、、
なんでだろう、、、苦しくなくなったのにな、、、
しんどいな、、、