初恋が忘れられないまま政略結婚をしたものの、結婚相手が初恋の相手だった件について 〜私の事を愛していませんよね?〜
伯爵家の一つ、デービス家の一室では、二人の男女が肌を重ね合わせていた。
デービス家の長男であり、跡継ぎ筆頭であるエドワードと、その妻のアイラだ。
「アイラ、そろそろ……!」
「はい」
エドワードの動きが速くなる。
それからすぐに、宣言通り、彼は果てた。
アイラは彼のモノに被さっていた袋を取り、中身が漏れ出ないように縛ってからゴミ箱に捨てた。
「お風呂に入ってきます」
「あぁ」
アイラは全裸のまま風呂場に向かい、汗を流した。
アイラが部屋に戻ると、今度はエドワードが風呂に入る。
彼が上がるまで待ってから、就寝前の挨拶を交わしてそれぞれの布団に入る。
それが、行為をした日の二人のルーティーンだった。
しかし、その日は違った。
「ねぇ、エドワードさん」
互いのベッドに腰掛けた状態で、アイラはエドワードに話しかけた。
「どうした?」
エドワードは、アイラが真剣な表情を浮かべている事に気づいて、少しだけ身構えた。
「エドワードさんは素敵な男性だと思いますし、私の事もよく考えてくださっています。あなたとの結婚生活に不満はありません。それを前提に、一つお尋ねしたいのですが——」
アイラのまっすぐな瞳が、エドワードを射抜いた。
「エドワードさんって、私の事を愛していませんよね?」
「っ——⁉︎」
エドワードの肩が跳ねた。彼は目を見開いた。
何も言わなかったが、その態度こそが、アイラの言葉が真実である事を証明していた。
「やっぱり」
アイラは小さく笑みを浮かべた。
「な、んで……」
エドワードはうわごとのように呟いた。
「女の勘、というやつです。まあ、夫婦にしてはお互いのプライバシーを尊重しすぎていたり、干渉が少なすぎたり、セックスの時にあんまりがっついてこなかったり、なんだかんだで中出しを避けてきたりと、一応それっぽい理由もいくつかはありますけど。どなたか、忘れられない想い人でもいらっしゃるのでしょう?」
アイラの口調は終始穏やかで、その瞳はまっすぐにエドワードを捉えていた。
そんな状況下で、エドワードにシラを切り通す事はできなかった。
「君の、言う通りだ……本当にすまないっ……!」
エドワードは深く頭を下げた。
罪悪感で胸がいっぱいだった。
こぼれそうになる涙を必死に堪える。自分に涙を流す権利などない。
アイラの推測通り、エドワードには忘れられない初恋があった。
十五年以上前、まだ十歳にも満たなかった頃、エドワードはその少女——アリアと出会った。
エドワードは当時、家にいる事が退屈で、時々こっそりと家を抜け出していた。
その時、身分がバレないようにみすぼらしい格好に変装して、名前を聞かれた時もルイという偽名を名乗っていた。
それが良くなかったのだろう。
ある時から、街の子供たちにいじめられるようになってしまった。
彼らはエドワードを見つけるたびに、何かしらのちょっかいをかけてきた。
やめてと懇願しても、素直にやめてくれるどころか、段々とエスカレートしていく始末だった。
これなら家にいた方がマシか——。
そう思い始めていた頃に助けてくれたのが、アリアだった。
アリアは、幼い少女とは思えないほどの貫禄を発揮して、いじめっ子たちを追い払ってくれた。
それから、二人は頻繁に遊ぶようになった。
アリアは週に何度か、同じ時間、同じ場所に姿を現した。
エドワードは必ず、その時間よりも少し早い時間に、その場所にいるようにした。
今日も来てくれたんだ——。
そう言って笑う彼女の笑顔が好きだった。
エドワードは、少しでも彼女を喜ばせようと頑張った。
彼女が現れない日は、本を読んで過ごした。
ある日突然、アリアは引っ越す事になったと告げた。
家庭の事情だ。子供ではどうしようもなかった。
アリアを困らせないように、エドワードは必死に涙を堪えたが、お別れの際に我慢できなくなって号泣してしまった。
男の子なんだから泣かないの——。
そう言って笑うアリアの瞳にも、光るものがあった。
会えなくなってからも、アリアとの思い出は色褪せるばかりか、時が経つごとに存在感を増していった。
お茶会などで見目麗しい令嬢と言葉を交わす機会はそれなりにあったが、友人と話しているような楽しさはあっても、心が躍る事はなかった。
アイラとの婚約も、両家の当主同士が決めた、いわば政略結婚だ。
アイラは少しアリアに似ているところがあったし、人柄も好ましかった。
彼女と過ごせば、アリアの事を忘れられるかもしれない。
そう思った。
現実は逆だった。
アイラをきっかけにしてアリアを想起すればするほど、アリアへの想いは増すばかりだった。
アイラへの罪悪感は増すばかりだったが、家の都合で結婚した以上、相手を愛せないからといって離婚する事はできないし、何よりそれはアイラの尊厳を傷つける事になる。
だから、できるだけ不自由をさせないようにしようと誓った。
せめて快適な生活が送れるように、できるだけの便宜は図ったし、円満な夫婦関係が築けるようにと努力もしてきた。
しかし、そんな演技は見抜かれていたのだ。
「顔をあげてください、エドワードさん。最初に申し上げたはずです。私はあなたとの結婚生活に満足していると」
温かく、包み込むような優しい声色。
顔を上げると、彼女はその声色に相応しい、柔らかい笑みを浮かべていた。
優しく対応されるほど、胸が痛くなる。
いっそ、罵倒してくれた方がマシだった。
罪悪感に苛まれるエドワードに、アイラは軽い口調で話しかけてきた。
「ねえ、エドワードさん。私って多分、結構感度がいい方なんですよ」
「……はっ?」
エドワードは思わず、アイラの顔をまじまじと見つめた。
何の話だ? こんな時に猥談?
「あなた以外の殿方に抱かれた事はないので確証はないですけど、自分でした時とかを振り返ると、感じやすいはずなんです」
「……はあ」
「だけど私、あなたとのセックスではほとんどイった事はないし、潮を吹いた事もありません」
「……」
これは、セックスが下手だと詰られているのか?
裏切り行為を働いたエドワードへの、報復としての精神攻撃なのだろうか?
そんなエドワードの疑問を読み取ったかのように、アイラは続けた。
「誤解しないでいただきたいのですが、あなたとのセックスに不満があるわけではありません。独りよがりじゃないし、前戯もちゃんとしてくれますし、気持ちよさは味わっていますから。それでも私が絶頂を迎えられない理由。それは、あなたと同じです」
「俺と……同じ?」
「はい」
アイラが自分の胸に手を当てた。
「実は、私の中にもくすぶっているのです——消えない恋心が」
「……えっ?」
エドワードは、アイラの顔を凝視した。
「やだ。そんなに見ないでください。照れます」
「全く気持ちがこもってないな」
エドワードが思わずツッコんでしまうと、アイラが小さく吹き出した。
釣られて、エドワードも口元を緩める。
「つまり、なんだ。俺たちはどちらも同じ状況だった……という事か?」
「そういう事になりますね。というより、同じ状況だったからこそ気づけたというのもありますが。だから、私たちは同罪なんです。同じ穴のムジナってやつです」
「全然気づかなかった……確かに少し淡白だとは思っていたけど、君はクールだから、そういうものなのかと思っていた」
「それは、私の方が一枚上手だった、というだけの話ですよ。こればっかりは人生経験の差なので、仕方ないです」
「いや、同い年だろう」
「そうでしたっけ?」
二人で笑い合う。
エドワードは、喉に刺さっていた小骨が取れたような、すっきりした気分を味わっていた。
くつくつと笑い続けるアイラの表情も、心なしかいつもよりリラックスしているように見える。
「あー、笑った……こんなにスッキリするなら、もっと早く確認すればよかったです。愛する演技をするというのはなかなか精神的に辛かったですから……あぁ、でも、勘違いしないでくださいね。私はエドワードさんの事だって大切に想っていますし、人としては大好きです。あなたとの結婚生活も楽しいし、何一つ不満はありません。そうでなければ、それとなくセックスの回数も減らしていますから」
そう言って、アイラはチロリと舌を出して微笑んだ。
「君って意外と下ネタ好きだよね」
「だって楽しいじゃないですか」
否定はしないけど、とエドワードは苦笑した。
それから、真剣な表情を浮かべる。
「俺も同じだよ。アイラの事は魅力的な女性だと思っているし、君とこうして話している時間は楽しい。何一つ不満はないよ」
「それは嬉しいお言葉です。物語に出てくるような運命とはかけ離れていますけど、これはこれで良い巡り合わせでしたね。互いに淡い初恋を忘れられず、それでいて波長の合う人と伴侶になる事ができるなんて、そうそうあり得ませんよ」
「運命の人と結ばれるよりも、低い確率なんじゃないかな」
「確かに」
また、二人で笑い合う。
「困りました。全然眠くならないのですけど」
「俺もだ」
きっと、互いに抱えていたものを吐き出せた事で、ハイになっているのだろう。
「なあ、アイラ。良ければでいいんだが、君の想い人の話を聞かせてくれないか?」
「いいですよ。その代わり、エドワードさんのお話もお聞かせ願いますか?」
「あぁ、もちろん」
「やった」
アイラは拳を握りしめた。
エドワードに言ったように、アイラにも心に居座り続けている恋心があるが、それがなければ好きになっていただろうと思うほどに、エドワードは魅力的な男性だ。
彼の心を射止め続けている人の話は、純粋に興味があった。
「エドワードさんならわかると思うのですけど、子供にとって貴族の家って、息苦しくてつまらないじゃないですか」
「間違いない」
「だから私、たまに、というか頻繁に変装して家を抜け出していたんですよ」
「よくある話だね」
エドワードが大きく頷いた。
もしかしたら、彼も似たような経験があるのかもしれない。
「ある時、私はいじめの現場に遭遇しました。みすぼらしい格好をした男の子が、数人の子供たちに本を奪われていたんです。くだらねえ事すんなこいつら、と思って、私は怒鳴りつけました。そしたらいじめっ子たちは半べそをかいて逃げて行きました。その時にいじめられていた男の子が、私の初恋の相手なんです」
エドワードは真剣な表情で聞き入っている。
そんなに真面目な顔されても困るんだけどな、と思いながら、アイラは話を続けた。
「それから、私はその男の子と頻繁に遊ぶようになりました。会える日と会えない日がありましたけど、私はその男の子と遊ぶのが何よりも好きでした。波長も合ったし、必死に私を喜ばせようとしてくれる彼の事を、いつしか好きになっていました」
あの時は楽しかったなぁ、とアイラはしばし回想に浸った。
「それで?」
エドワードが続きを促してくる。
「あぁ、すみません」
意外とこういう話も好きなのだろうか。
そんな事を思いながら、アイラは話を続けた。
「それからもしばらく彼との関係は続いたのですが、家庭の事情で私が引っ越す事になり、彼とは離れ離れになってしまったんです。互いに最後は笑顔でお別れしようねって話していたんですけど、最後の最後でその子が大泣きしちゃって、私も少し泣いちゃいました。なんだかムズムズするんですけど、これが私の忘れられない初恋です……って、あの、エドワードさん?」
アイラが話し終えても、エドワードは真剣な表情のまま固まっていた。
「おーい、エドワードさん? そんなに真剣な表情をして、どうしたのですか? 純粋な子供の恋愛を聞いて、大人の世界の醜さに絶望してしまったんですか?」
「その側面もないとは言わないが……って、そうではなくて、その男の子の名前はなんと言うんだ?」
「名前ですか? ルイです」
「っ……!」
エドワードが目を見開いた。
彼は震える声で言った。
「アイラ……君はその時、変装していたのだろう?」
「えっ? はい」
何が言いたいのだろう。
まさか、私の話を添削するつもりではあるまいな、とアイラは内心でごちた。
「という事は、君も偽名を名乗っていたのか?」
「はい」
……ん? 君も?
違和感を覚えるアイラの瞳を、エドワードが覗き込んでくる。
「その時、君はアリア……と名乗っていたんじゃないのか?」
「……えっ?」
アイラは言葉を失った。
アリアは、確かにアイラが名乗っていた偽名だった。
なぜエドワードがその名を知っているのか。
その答えなど、一つしかなった。
「まさかっ、あなたがルイっ……⁉︎」
エドワードは首を縦に振った。
「嘘……」
アイラは口元を覆った。
少しだけ似ているな、とは思っていた。
でも、まさか、初恋の少年と政略結婚の相手が同一人物だなんて思わないだろう。
「……る、ルイはいつも、私を待っている間は本を読んでいました。彼がその時一番好きだった本は——」
「——『双生島』。アリアが一番ハマっていた本は『四国史』、だろ?」
……確定だった。
「こんな事って、あるんだな……」
「えぇ……」
アイラとエドワードはしばしの間、無言で見つめ合っていた。
それからどちらからともなく、口づけを交わした。
最初はソフトなものだったが、徐々に深いものに変わっていった。
エドワードの舌がアイラの口内を蹂躙する。アイラも負けじと彼の舌に自分のそれを絡ませた。
十分ほどそうしていただろうか。
すっかり腰の砕けてしまったアイラは、倒れ込むようにエドワードに寄りかかった。
「困りました……現状に相応しい言葉が出てきません」
「感動の再会ではないから、会いたかった、は使えないしね。ずっと会っていたわけだから」
エドワードがクスクス笑った。
「もう……何で最初に出会った時に言ってくれなかったのですか? あの時のルイだよって」
アイラはエドワードの脇腹をつねった。
「いててててっ。そんな無茶な。気づくわけないだろう。お互い変装して偽名を名乗っていたんだから。そういう君だって気づかなかったくせに」
「あなたがあんなにみすぼらしい変装をしていたから、気づけなくて当然です。私はあなたほどは変装していませんでした」
「それはそうだけど」
エドワードが納得がいかないという表情で、唇を尖らせる。
込み上げてくる笑いを、アイラは抑えようとはしなかった。
笑い終えると、エドワードに体を預けたまま、アイラは押し黙った。
感情の整理が追いつかない。きっと、エドワードもそうだったのだろう。
むず痒い、それでいて心地よい沈黙が部屋を支配した。
「不思議なものだな」
アイラの頭をゆっくりと撫でながら、エドワードがポツリと呟いた。
「何がでしょう?」
「君はさっきと何も変わっていないはずなのに、さっきよりもずっと愛おしく感じる」
「私もです」
アイラはエドワードの胸板に頬を擦り付けた。
程よく筋肉がついている。
「服の上から触れ合っているだけなのに、交わっていた時よりもよほどドキドキしています」
「俺もだよ」
「そのようですね」
アイラは声高に存在を主張し始めているエドワードのモノを見て、クスッと笑った。
「アイラ……していい? 二回目なんて初めてだけど、抑えられなくて」
「もちろん。あなたから言い出さなければ、私からお誘いするつもりで——」
言葉も終わらぬうちに、アイラはエドワードに押し倒された。
その瞳は、かつてないほどギラギラと輝いていた。
男は狼、という言葉がアイラの頭に浮かんだ。
「ごめん。優しくできないかもしれない」
「っ……!」
アイラの下腹部の辺りがキュンッとうずいた。
小説でしか聞いた事のないセリフだ。
現実でこんな言葉を言われても冷めるだけだろうな——。
これまでアイラはずっとそう思っていたのに、いざ好きな人に言われてみればどうだ。
こんなに嬉しくて、胸が熱くなるものだったとは。
アイラは衝動のまま体を起こし、エドワードの口に貪りついた。
「可愛いよ、アイラ」
キスの合間に、優しい笑みを浮かべながらエドワードはそう言って、アイラの頭を撫でた。
「っ〜!」
どうしようもないほどの嬉しさを感じて、アイラは頬を染めながらにやけてしまった。
触れられてもいないのに、自分の大事なところから水が漏れ出している事に気づいて、アイラはさらに赤面した。
間もなくして、エドワードもそれに気づいた。
「感じやすいって、本当の事だったんだね」
「い、言わないでくださいっ!」
アイラは自分の顔を覆った。
恥ずかしくて堪らなかった。
エドワードに罪悪感を抱かせないために言った事が、こんな形で自分に返ってくるなんて。
「可愛い」
指の隙間から、エドワードがニヤリと笑うのが見えた。
悪い笑みだ。どうやら彼は、Sっ気があるらしい。
それから一晩中いじめられ続け、エドワードが自分を貫く頃には、アイラの意識は朦朧としていた。
◇ ◇ ◇
「ん……」
眩しさを感じて、アイラは目を覚ました。
「朝か……」
小鳥のさえずりが聞こえる。
隣を見た。すぐそばに、エドワードの端正な寝顔があった。
二人は同じベッドに横たわっていた。
これまでならあり得なかったその光景が、昨晩の一部始終が夢の中の出来事ではなかった事を証明していた。
シーツがぐしゃぐしゃになっている。
自分の乱れようを思い返し、アイラは布団に顔を埋めた。
何度絶頂を迎えただろう。何度潮を吹いただろう。
エドワードが果てた時には、アイラは自分で体を動かせないほどに消耗していた。
なんとなく、エドワードが風呂に入れてくれて、着替えまで全て手伝ってくれた事を覚えている。
頬の熱が引くまで、そのままの格好でいた。
それから目を覚ます様子のない夫の寝顔をじっくりと観察する。
普段は精悍な顔立ちだが、元々整っているだけに、寝顔はなかなかに可愛らしい。
「私と別れるのが悲しくてギャン泣きしていた男の子が、こんなに格好良くなっているなんて思いませんよ……」
アイラはそっとエドワードの頬にキスを落とした。
それから我慢できなくなり、彼に抱きついて胸に頬を擦り付けた。
彼の正体を知らなかった頃には鍛えていてすごいな、くらいにしか思わなかった筋肉が、今はこんなにも愛おしい。
「……もしかして、誘ってる?」
「ふえっ⁉︎」
突然頭上から降ってきた声に、アイラは素っ頓狂な声をあげた。
おそるおそる顔を上げると、バッチリ目が合った。
「お、起きていたのですか⁉︎」
「キスの感触でね。裸で抱きついてこられると、さすがにそういう気分になってくるんだけど……」
彼の布団の一部が盛り上がっている。
それを見て、アイラは生唾を飲み込んだ。
昨日の恥ずかしさ、そしてそれ以上に感じた下腹部の甘美な感覚が蘇ってくる。
「いいよね?」
「……はい」
アイラは、頬を染めてコクリと頷いた。
「そういえば、昨日は勢いで中に出しちゃったけど……」
「も、もちろん構いませんよ。だって、私たちは夫婦なのですから」
「……そうだね」
二人が笑みをかわす。
朝日に照らされた二人の影が、ゆっくりと重なった。
その日、エドワードは全く仕事に集中できなかった。
脳裏に浮かぶのはアイラの事ばかり。
これでは駄目だと思い、気分転換に庭に出た。
「ねぇ、聞いてよ!」
使用人たちの賑やかな声が聞こえてくる。
今日は天気が良いので、洗濯でもしているのだろう。
労いの言葉でもかけるか、と思ってエドワードは近づいて行ったが、
「どうしたの? そんなに興奮して」
「それが、若様のベッドが大層乱れていて、奥様のベッドはまるで誰も寝ていないかのように綺麗なままだったのよ!」
「なんですって⁉︎」
「そういえば、今日、どちらも朝が少し遅かったような……」
「では、とうとう、とうとう……!」
「御二方は、真の意味で愛し合ったのですね!」
わあ、と歓声が沸いた。
エドワードは物陰に隠れたまま、赤面した。
確かにあの乱れようだ。びしょびしょになってもいたし、そりゃ気づくよな。
歓喜の声に混じって、すすり泣く声も聞こえてくる。
彼女らも、淡白すぎる主人の結婚生活に不安を覚えていたのだろう。
心労をかけたお詫びとして、豪勢な食事くらいは用意しよう、とエドワードは心に決めた。
◇ ◇ ◇
——夜。
昨晩と今朝にごっそりと体力を削られていたアイラは、眠気を覚えてあくびをした。
「大丈夫かい?」
「はい……大丈夫です」
エドワードに返事をしているうちにも、あくびが漏れる。
「無理させてしまって申し訳ない。今日はやめておこうか?」
エドワードが気遣ってくれているのはわかった。
しかし同時に、彼がそういう事を期待しているのも、アイラは見抜いていた。
「き、昨日ほど激しくしないのであれば……構いません」
「本当に?」
「はい……その、私も、したいなとは思っていたので」
自分で言ってて恥ずかしくなる。
アイラは顔を両手で覆った。
「そうやって煽られると、優しくできるか不安になるんだけど」
「あっ、す、すみません!」
「謝る事はないさ。約束するよ。今日は激しくはしない」
「はい、ありがとうございます……」
大切にしてもらっている実感が湧いて、アイラは胸の内が温かくなるのを感じた。
宣言通り、エドワードは丁重に扱ってくれた。
昨日と違って体力の残っていたアイラは、一人で風呂に入っていた。
「自分から優しくして、と頼んでおいて、もう一回おねだりするのは違いますよね……」
アイラは頭からお湯を浴びながら、ハァ、とため息を吐いた。
昨晩と今朝の、気が狂いそうになるほどの激しさを体が覚えてしまったらしく、正直言って少し物足りなかったのだ。
かといって、淫乱な女だと思われたくもない。
我慢するしかないな、とアイラは思っていたのだが、
「アイラ……いいかい?」
「ふえっ⁉︎」
エドワードが扉をノックしてきて、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ど、どうしたのですか?」
「いや、その、本当に申し訳ないんだけど……もう一回だけ、していい?」
アイラは迷った。
ここで受諾してしまったら、はしたない女だと思われてしまうのではないか、と。
しかし、本能には逆らえなかった。
「仕方ありませんね……あと一回だけですよ?」
アイラはエドワードを招き入れた。
これまで、風呂場でセックスした事はおろか、一緒に風呂に入った事もなかった。
それだけ彼が求めてくれているのだという事がわかり、アイラはそれまで以上に感じてしまった。
「……風呂場でよかったね。床を拭く必要がない」
「うるさいです。エドワードさんなんて嫌いです」
◇ ◇ ◇
それからも、アイラとエドワードの仲睦まじい生活は続いた。
互いが互いの初恋の相手であったと判明して以降、セックスの回数は増え、エドワードは全て中に出すようになった。
なので、アイラがお腹に子供を宿すのは、当然の事だった。
「っ……!」
「頑張れ、頑張れアイラ……!」
歯を食いしばって痛みに耐える妻の手を握りながら、エドワードは励ましの言葉をかけ続けた。
戦いは何時間にも及んだが、ついにその時はやってきた。
「お疲れ様でした、元気な女の子です!」
「おぎゃああああ!」
助産師が取り上げた生命が、私はここにいるよと主張するように、大きな産声を上げた。
エドワードの瞳から、涙が溢れた。
「ありがとう、アイラっ……よく頑張ってくれた……!」
「あなたが支えてくれたおかげですよ」
アイラが優しく手を握り返してくる。
血液などを拭き取った後、助産師が赤ちゃんをアイラに手渡した。
彼女は愛おしいそうに我が子を撫でた。
「エドと私の子供……可愛い……! ねえ、見て——」
エドワードは、赤ちゃんごとアイラを優しく抱きしめた。
「お前の事も、この子の事も、必ず幸せにする。誓うよ」
腕の中で、アイラがふふっと笑った。
その瞳には光るものがあったが、口元は弧を描いていた。
「ありがとうございますっ……でも、私の方がもっともっと幸せにしますからね。この子の事も、あなたの事も」
「っ……まったく、アイラには敵わないな」
「ふふっ、母は強し、というでしょう?」
「使い方間違っていないか?」
「いいのです」
なぜかドヤ顔をするアイラに、エドワードはぷっと吹き出してしまった。
アイラもクスクスと笑い、釣られたのか、赤ちゃんまでが笑い始めた。
「……アイラ、俺は無神教だが、天使は存在したんだな」
「私も同じ事を思っていました」
こうして家族が増えた二人の家は、ますます活気にあふれる事となった。
なお、二人の頑張りで「天使」が「天使たち」になるのは、また別のお話である。