プロローグ
彼女はこの箱庭である施設以外の場所を知らない。
それは彼女だけではなく、そこにいる子供たち全員が同じであった。
暗殺から傭兵、警備護衛まで対人戦闘に特化した仕事ならばなんでも請け負うのが、兵器派遣組織フォルゴンの理念。
フォルゴンが管理する未開の島の更に森の奥。そこにそびえ立つ周囲の森に似合わない灰色の数々の建物。そこはフォルゴンの中枢であり最も重要な研究施設、通称『箱庭』と呼ばれる場所である。
箱庭こそが彼ら彼女らの家であり、世界であり全てであった。
箱庭には定期的に物心つかない赤子が連れてこられる。
その赤子達は男女問わず、幼少期より皆同じ食事を食べ、同じデザインの衣服を与えられ、同じ訓練を行う。
彼ら彼女らはここでは飯を食らい排泄するだけの道具であった。
物心つく頃には既に頭を切り開かれ、極微細の多機能チップを埋め込まれ、余計な事は考えない。
頭の中の機械により思考は誘導され、更に徹底した洗脳教育によって道具達は外の世界を知ろうともしないし、自身の存在を道具だと疑わない。
自らが考えるのはいかに敵を上手く殺せるかどうかのみ。
脳に埋め込まれたチップは高性能GPSや、研究員に手を出す事ができないようプログラムされており、廃棄もボタン一つで頭のチップが爆発する仕組みという、徹底した管理体制が敷かれていた。
道具達の日々はあらゆる状況にも対応出来るよう戦闘技術のみでなく、一般教養等の基礎知識から周囲に溶け込む術まで全てを叩きこまれる。
八歳までに目立った成績を上げた数名には更に厳しい訓練と勉強が待っている。
大人達からはエリートコースと呼ばれていたが、その実情は地獄の日々をより濃密にした別の地獄のような生活だった。
古今東西あらゆる武術、殺人術を学び、人に紛れ溶け込む術を教育され、多人数を相手に立ち回る戦闘センスを磨き、そこで記録された結果を『進路調査機』と呼ばれるAIに演算させ、どんな殺人系統がその道具に向いているのかを算出させる。
そんな箱庭に現在、大人達に特別視されている異質の存在が七体いる。
『ホムンクルス兵器化計画』と呼ばれる計画によって、より高度な戦闘を行えるよう遺伝子組み換え技術を用いて生み出されたデザイナーベビー達。
男も女も美しい容姿と肢体を持って生まれさせるよう遺伝子を改良させられたため、見目は箱庭にいる誰よりも美しい。
しかしこの道具達が特別とされる所以はそこではない。
この道具達は『魔素』を多く取り込めるよう設計され、生み出された試験的な存在であるからだ。
『魔素』と呼ばれる新たに発見された、ある特定の大気中にしか発生しない新たな元素。
350年前に発見されたものの、なぜ特定の場所でしか発生しないのか、未だ完全な解明には至っていない。
あらゆる形態に変化する性質を持つ粒子であり、物質に影響を受けず、干渉もしない。
唯一例外とされるのが人間であり、人間が魔素を体内に取り込んだ場合、完全に人体に定着し、多様な変化を見せるが、人間の構成組織そのものにはなんの反応も変化もなく『生きた人間』のみがなぜか魔素の影響を受ける。
幼少期に魔素を多く吸収した者は、驚異的な身体能力と頭脳を誇る。
更にそれは人の意思や無意識に深く関わっているようで、極端な例をあげるとするのならば『火がトラウマのもの』あるいは『発火能力を強く願う人物』などが突然パイロキネシスとしての能力を発揮したという報告もある。
極論、魔素という元素は人の意思や無意識にまるで合わせたかのような、特異な変化が起こりうる未知の性質をもっている。
魔素の取り込みによって身体能力や論理的思考能力が向上されるのは、無意識下の生存本能によるものなのではないか、と一部研究員に推察されてはいるが、未だ確固たる理由は分かっていない。
魔素発見から長い年月の研究を重ねた末、フォルゴンは『魔素』を取り込み身体中に循環させるという機能を有した疑似器官を、飛躍的な進歩を遂げた三次元培養によって創出した。
それは単純に『魔素器官』と呼称される。
魔素器官を人間に移植する、という方法を持って、人類はかつては眉唾ものと唾棄していた、超能力という魔法のような超常の力を得る事が可能となった。
人体の仕組みの殆どが解明されて久しく、フォルゴンによる新たな元素『魔素』の発見から魔素器官と呼ばれるオルガノイドが生み出され、その研究結果を独占した結果、フォルゴンは世界中に名を轟かせるほど飛躍的な進歩を遂げた世界的組織となった。
そうした魔素を利用した商品の、より高品質化を目指すべくして、フォルゴン初の試みである研究が行われていた。
それこそが『ホムンクルス兵器化計画』である。
ホムンクルス兵器化計画によって生み出された七体は、心臓や脳などといった人体の重要な役割を持つ器官を〝初めから〟魔素器官に置き換えて生み出された成功例であった。
正式名称『ホムンクルス兵器化計画実行体試作型戦闘兵器』番号一番から四番までの四体が女性型。五番から七番までの三体が男性型である。
『ホムンクルス兵器化計画実行体試作型戦闘兵器』は箱庭において、唯一洗脳手術による思考誘導の効果を受けなかった。
それは重要な器官が魔素器官であるからなのか、あるいは取り込んだ魔素の量によるものなのか理由は定かではないが、彼ら彼女らは自身が人間であるという自覚を持っていた。
本来であれば危険視される存在ですらある。
――しかし彼ら彼女らは生まれた頃より明確な意識を持ち、あたかも洗脳されたかのように振る舞い、七名全員が大人を欺いて行動していた。
その高い能力、低い成功例の中で生まれるまでに要した莫大なコスト故に、大人達は七名を特別視していたが、所詮は道具であり実験体である。
それにも関わらず研究員達は彼ら彼女らを通称『魔素の子』と呼んでおり、道具として育てられる箱庭に置いては、人として見られる異例の呼称でもあった。
それは見目の麗しさから、大人達を欺くため学んだ、心理的に有効な高度なコミュニケーション能力からか、次第に大人達の態度は軟化していったが、それでも道具は道具。
箱庭に置いて魔素の子らを人の子と等しく扱うという事はなく、無意識下で人として見ている、といった程度の認識である。
そんな魔素の子達は、世界を嘆いた。
この世で唯一信頼出来るのは姉弟である同じ魔素の子だけ。
何か大きな変化が訪れてくれさえすれば――そう願う。
洗脳が失敗したのは魔素の子達にとっては幸か不幸か、日々摩耗する精神を保つのに必死であった。
そしてそんな魔素の子の中でも突出した能力を発揮したのが、脳を魔素器官で代替できた唯一の成功例でもある、正式名称『ホムンクルス兵器化計画実行体試作型戦闘兵器四番』であった。
――彼女には計画がある。
「世界を変えましょう」
ある種、妄執とも言える程の強い思い。
それが彼女の世界を変えるキッカケとなり得た。