5話 絆
(羨ましい……か)
ヘルメスの気持ちは分からなくも無い。
何せ主人があのイザベラなのだから。
どう言うことかと言えば、使える先が優秀過ぎると言うのも考えものと言う事だ。
幼い頃から魔力も桁外れに持っていて、知識など無くても魔法を具現化する事が出来た稀に見る天才魔女。
そんなのがご主人だと、使い魔の仕事は精々話し相手位だ。
このご主人には足りない魔力を補う事も、助言をする必要も無い。
つまり使い魔など要らない、自分は要らない存在なのだと。
そう思ってしまうのも無理からぬ事だろう。
かと言ってイザベラがヘルメスを無下に扱っているかと言えば全くそんな事は無く、寧ろかけがえの無い家族として大切に扱っているの、それはこの世界に来て日の浅い俺の目から見ても明らかだった。
まあ俺に言わせりゃ、何の手も掛からないご主人なんざ羨ましい限りだけどな。
毎日食って寝て、それこそ普通の猫の様に生活してりゃ良いんだから楽なもんだろ……
(……本当にそうか?)
俺たち使い魔はご主人の役に立つ事を目的として造られ、ご主人と一緒に成長して行く。
最初からそう造られているのに、それ以外の生き方が出来るのか……?
(まあ、ブラック企業で朝から晩まであくせく働いてた俺なら、暇の使い方も分からず最初の一ヶ月で飽きるだろうな)
少なくともマーリンの使い魔で有る内は、当分そんなに楽はさせて貰えないだろう。
何にしろ毎日やる事や覚える事が多過ぎて、今の俺にそんな先の事まで考えている暇は無いのだ。
✳︎
地下へ通ずる階段近くに来ると、丁度イザベラがマーリンを抱き抱えて上って来るのが見えた。
(マーリン!)
転がるようにイザベラの足元へ駆け寄ると、俺の気持ちを察したイザベラが優しく微笑む。
「大丈夫よ、初期の魔力枯渇症状で気を失っただけ。
相互共有も解除したので、これ以上魔力を消費する事も無いわ」
その言葉を聞いて安堵していると、イザベラは俺の頭を軽く撫で「良く知らせてくれたわ、有り難う」と呟き、マーリンの私室へ向かっていった。
(良かった……)
魔力枯渇は言ってみれば貧血のような物だ。
軽度な物なら横になって安静にしていれば、その内魔力が回復して目も覚ます。
だが、今回のように持続性の魔法を使った状態で気を失えば、術者の意思に関わらず魔力は消費され続けてしまう。
そうするといずれ魔力は完全にゼロとなり、二度と回復しなくなってしまう。
魔力が無ければ当然魔法を使う事も出来なくなり、それはつまり魔法使いとしての死と同義なのだ。
僅かでも残っていれば回復するが、全て使い切ってしまうと回復しなくなる。
不思議な事だが、それがこの世界の常識なので有る。
✳︎
「ん……」
ベッドに寝ているマーリンが、モソモソと身じろぎする。
時計を見れば、ここに運ばれてから二時間程が経過していた。
(やっと目を覚ましたか)
マーリンの頬に頭を軽く押し付けると、子供特有の少し高めな体温がじんわりと伝わって来る。
そのまま暫く押し付けたり、軽く擦り付けたりしていたが目を開ける様子は無く、それどころかニヘっと笑みを浮かべたまま、また眠りにつこうとする始末だ。
(こんにゃろ、何ノンキに寝てやがる。俺がどんだけ心配したと思ってんだ)
一度は安心したがマーリンのだらし無い顔を見ている内、段々とイライラが募ってくる。
(そっちがその気なら俺にも考えが有るぞ)
俺はマーリンの小さな身体で出来た掛け布団の小山に登り、顔を正面から覗き込むと、そのいかにも柔らかそうな頬に狙いを定める。
(これでも食らえ!)
プニ……
「んにゃ!」
俺は両前脚をマーリンの頬目掛け、思い切りネコパンチを食らわせる。
当然爪は出していないが、体重を乗せた打撃は如何に柔らかな肉球パンチだとしても、それなりのダメージになる筈だ。
その一撃に奇声を上げたマーリンでは有ったが、それでも目を開けるどころかより一層固く目を閉じる。
その仕草から目を覚ましているのは明らかだったが、意地でも目は開けないつもりらしい。
(ほう、成る程成る程。そっちがその気なら……)
俺はそのまま左右の頬に置いた脚へ交互に力を入れ、リズミカルにフミフミを始める。
「あびゃびゃびゃびゃ!」
(ふっふっふ、どうだこれでもまだ目を開けないか〜? このこの〜プニプニのほっぺしやがって〜)
「ひゃめてふぁうひゅと、おきるかりゃ〜」
俺のフミフミ攻撃にやっと観念したマーリンが、叫びながら手をパタパタさせるが、俺の手は止まらない。
(やべー何だこれ、このプニプニ感クセになる……)
肉球から伝わって来る未知の感触に心を奪われ、一心不乱にフミフミを続ける俺だったが……
「ひゃっ! ひゃめてったらー!」
ツル、ゴンッ!!!
フミフミに耐えられなくなったマーリンが勢い良く上体を起こした為、脚がすべりバランスを崩して前のめりに倒れる俺、更に起き上がったマーリンの勢いが合わさった一撃が互いの額に炸裂する。
「「っ〜〜〜〜……」」
お互いしばし声にならない叫びを上げながら、ベットの上を転げ回る事になってしまった。
「……ファウスト、ゴメンね」
先に復活したマーリンが俺に謝罪の声を掛けてくる。
はたしてそれは、俺の魔力を根こそぎ持っていこうとした事か、それともなかなか目を覚まさず心配を掛けたことか。
まさか今頭をぶつけた事にでは無いだろう、これは俺が調子に乗ってしまったのが原因だし……
「つぎはきちんと魔力をせいぎょできるようにがんばるから……だから私の使い魔をやめないで!」
胸の前で手を合わせ真剣な面持ちで、そして最後には今にも泣き出しそうな顔でそう懇願してくるマーリン。
(使い魔を辞める? 何を言ってるんだこのプニプニは)
俺はその言葉に半ば呆れつつ、ノソノソとマーリンの膝の上に乗り頭をグリグリとお腹辺りに擦り付け、まだ不安げな表情のマーリンを見上げ「ニャーン」と一鳴きする。
「!……エヘヘ、ファウストだいすき!」
ようやく笑顔の戻ったマーリンは俺を抱きしめ、抱え込んだ俺の頭にスリスリと頬擦りをしてくる。これではどっちがネコだか分からないが……まあ悪い気分では無いので良しとしよう。
「エヘヘ〜ファウストあったかーい、今日はいっしょに寝ようね」
そう言うとマーリンは、俺を抱えたままいそいそと布団に潜り込もうとする。
(なにっ! 待てご主人、それは駄目だ!)
四肢をバタつかせ何とか逃れようと抵抗するが、思いの外力が強くマーリンの手は緩まない。
「照れなくて良いんだよ〜。さいしょはいっしょに寝てたんだから……あれ? どうしていっしょに寝なくなったんだっけ……?
まあいっかー」
(良いことあるかー! それはご主人が俺の事を潰しそうになったからじゃねーか、忘れてんじゃねー!!)
確かに俺が来て数日はマーリンと一緒に寝ていた。(と言うか、興奮したマーリンが俺を離してくれなかった)
しかしまだ小さかった俺は、寝て居る間に何度も何度も襲い来る腕や脚や身体に潰され掛け、まともに寝る事が出来なかった。
そう、マーリンの寝相は壊滅的に悪いのだ。
そんな事が何日か続き、寝不足でゲッソリとした俺を見かねたイザベラが同衾禁止令を出し、専用の寝床を用意してくれたお陰で難を逃れる事が出来たのたが……
当の本人はそんな事すっかり忘れてしまっている様子で、必死に暴れる俺を「はいはい、あばれないんですよ〜」だの「いい子でちゅね〜」だの言いながら、布団に引っ張り込もうとしてくる。
(勘弁してくれ〜俺だって色々有って疲れてるんだぞ……)
その後も暫くの間一進一退の攻防を繰り返していたが、最終的には抵抗するのに疲れた俺を布団に引っ張り込んでしまう。
(ダメだ……眠い……もう抵抗する気力も起きない……)
(明日の朝日を無事拝めりゃ良いな……)
最後にそんな事を考えながら、俺の意識は夢の中に旅立つので有った。