2話 異世界
使い魔として召喚され一月が経った。
この一月で分かったことだが……
先ずはこの世界の事。
パターンから言ってどうせ異世界とかなんだろ? と思っていたらやっぱり異世界だった。
より正確に言うなら並行世界のようだ。
つまり『元々いた世界とは微妙に違っていて、多少の違和感は感じるが普通に生活出来る程度』の違いなのである。
並行世界でもここは日本と呼ばれているし、イザベラやマーリンの言っている事を普通に理解出来る事から、言葉の違いも無い様に思える。
まあこれに付いては使い魔として召喚された時に、最低限の知識として与えられた物とも考えられるので、日本語で話しているとは限らないのだが取り敢えず今の所不便を感じた事は無い。
そして元いた世界と同じ様な歴史を辿ったのか、良く話題に出て来る『異世界には存在しない言葉』もキチンと存在している。
因みに今朝の朝食はハムとレタスのサンドイッチだった。
当然元いた世界と違う所も有る、それが魔法の存在だ。
この世界では『魔法』と言う概念が科学と同じ程度に発達していて、きちんとした学問として定着している。
なのでその気になれば誰でも魔法を使えるらしい。
しかし思い通りに魔法を使いこなすには、所謂『修行』を幼少時代から積まねばならず、またいくら修行を積もうとも『魔力』と呼ばれる魔法を使うための力が希薄ならば、永遠に魔法を使う事は出来ないし使えたとしても殆ど役に立たない程度の効果しか望めなかったりするのだ。
知識を詰め込む事は努力で何とでもなるが、魔力については生まれ持った素質や血筋にもある程度影響されるので、最終的に自分が思い描いていた通りの魔法使いになれるかどうかは、やって見ないと分からないと言う、一生を掛けるにはかなりリスキーな面が有り魔法使いを志す者は、今では極少数しか居ないらしい。
それに加え、いざ修行を終えある程度の知識と魔力を身に付けたとしても『魔法執行権』と呼ばれる恐ろしく難しい国家試験に合格しなければ、人前で自由に魔法を使う事は許されないのだ。
マーリンの師匠であり母親のイザベラはその『魔法執行権』を持つ『魔法使い』で有り、魔法によって人々や時には自治体からの頼まれごとをこなし生活の糧を稼いでいた。
言ってみれば魔法で色々解決する、何でも屋みたいな存在なのだが本来イザベラ程の実力が有れば引く手数多で、もっと国家事業に携わる様な仕事にも就けたのだろうが、そこは本人の意思なのでどうする事も出来ない。
次に魔法使いと使い魔の関係だが……
「ファウスト、食べてすぐねたらブーになっちゃうよ! さあ今日も魔法のしゅぎょうがはじまるよー!」
朝食後のマッタリした時間を、マーリンのベッドの直ぐ横に設られた俺専用ベッド(フカフカなクッションを敷き詰めたバスケット)で優雅に過ごしていた俺に、いつもより少々……いやかなり高いテンションのご主人様からお声が掛かる。
それもその筈、今日からいよいよ実技を伴う本格的な魔法修行が始まるのだ。
昨日まで行われていた座学では、お互い睡魔と言う強敵と戦い最終的にはイザベラのデコピンで覚醒すると言う、辛い修行に耐えて来たのだ。
そりゃあテンションの一つや二つ上がるだろう。
斯く言う俺としても実際に魔法を見るのは、実は初めてのだったりする。
それをようやくこの目に出来るのだから、そりゃあ楽しみってもんだ。
(しかし魔法使いの家に居るってのに、魔法を見れないってのもおかしな話だよな)
イザベラが家で魔法を使っている所を、俺は見た事が無い。
掃除や洗濯、料理なんかも普通に身体を使い行なっている。
それは側から見れば、極一般的な主婦と何一つ変わらない様にだ。
魔法を使えば、そのどれもがもっと簡単に手間も掛からず終わらせる事が出来るはずなのに。
マーリンも同じ事を疑問に思っていたのだろう、座学中にイザベラへ質問した事が有った。それに対して「魔法を使わなくても済むなら極力使いたく無いの、使えば使う程人として堕落してしまいそうだから」と答えた。
そしてこうも言っていた「私は魔法使いである前に、あなたの母親です。母親が手を抜いてしまったら、それを見て育ったあなたまでそうなってしまいますからね」と。
(イザベラは立派な師であり、それ以上に立派な母親だな……)
(しかしイザベラにとって魔法を使うのは、楽をする事になるのか。普通魔法を自在に操れる様になるには、それこそ血の滲むような努力と膨大な知識が必要だってのに。流石百年に一人の“天才魔女“と言われる事は有るな……)
そんな事をボンヤリ思い出していた俺だったが、急激に現実へと引き戻される。
マーリンが俺を居心地の良いベッドから引き剥がし、まだ凹凸とは程遠い胸元に細い両腕でしっかりと抱き留めたからだ。
そして……
「……ファウストがほんとうにブーになっちゃった」
眉をハの字にしプルプルと震える手で俺を抱き抱え、何とも失礼なセリフを口にするマーリン。
(失礼な! 断じて俺は太って無い!)
確かに俺の身体は随分大きくなった、最初はネズミ程度の大きさだったのに今では成猫と然程変わらない程だ。
普通の猫がどの程度の速度で成長するのかは知らないが、間違い無くそれとは比べ物にならない程早く成長していると思われる。
小さなマーリンにとってはさぞ重たく感じるのだろう、ならわざわざ抱き抱える必要も無いだろうに……と思うのだが、俺が小さかった頃の習慣がどうにも抜け切らない様で、マーリンが俺と行動を共にする時はこうやって抱っこをしたがる。
(俺の事を気に入って大切にしてくれているのは充分すぎる程分かるんだが、少しばかり過保護が過ぎるんじゃ無いか?)
それにこれから魔法の修行を始めると言うのに、無駄に疲れさせるのも悪い気がする訳で。
「あっ! ファウストあばれちゃダメだよ!」
俺は腕を突っ張り身体をくねらせると、マーリンの細腕から抜け出し床に降り立つ。
その拍子に首元から「チリン」と鈴の音が響いた。
目を見開いて俺を見つめるマーリンの顔を見上げ、行くぞと言わんばかりにフンッと鼻を鳴らし彼女の横をすり抜けると、修練部屋に向い歩き始める。
「ああ! もう。待ってよ!」
マーリンは静止の声を掛けつつ、俺の後を追う様に付いてくる。
他にも「ファウストがはんこうきになっちゃった……」とか何とか聞こえてくるが、それは聞き流す事にした。
俺はそんなマーリンをたまに振り返りながら、付かず離れずの距離を保ち修練部屋へと向かうのだった。