夏のバス停
ある、夏の終わりの日のことだった。
篠原結衣 と 小野小太郎 は、「ちょっとした観光地化されている池に隣接された寂れた小さな茶屋の目の前にあるバス停のベンチ」で1時間に1本しか運行していないバスを待っていた。
「あのう…篠原さんは、今はどれぐらいのペースでお仕事されてるんですかね?」
沈黙に気まずさを感じた小野が、当たり障りのない、かつ、自身が興味があり聞いてみたいと思った質問を投げかける。
「どれくらい…と、言いますと?」
「いや…フリーランスですと、週に7日でも仕事できますし、逆にかなり少ない日数で仕事を片付けていらっしゃる方も多いのかなと。僕もよくわかってなくてアレなんですけど…」
「私は、普段は会社勤めなんですよ」
「えっ?篠原さん…普通にOLなんですか?」
「そうなんです」
「えええっ…大変じゃないですか?」
「大変です」
篠原はそう言って、ニコニコっと笑った。『大変です』と言うセリフとは相反して、幸せが滲み出るような柔らかい口調と体の芯から溢れるような笑顔に、小野は魅了された。
篠原と小野の出会いは1ヶ月前。お互いにSNSで作品の発表をしていて繋がり、共同で作品を作ろうということになった。
自称ライターの篠原と自称絵師の小野が手を組んで、「とても短いロードムービー風のもの」を作る予定である。メッセージのやり取りだけでイメージの擦り合わせが難しいと感じた2人は、実際に観光地に行ってみようとなって今に至る。
「小野さんも会社勤めですか?」
篠原は、自分が聞かれた質問をそのまま投げ返す。
「いやあ…恥ずかしいんですけど、僕はアルバイトで生計を立てています」
「恥ずかしくないですよ!私の方が恥ずかしいです」
「何でですか?会社勤めしながらライターのお仕事もしてるだなんて…尊敬ですよ」
「いえ、私なんてどっちも中途半端ですから。小野さんみたいに、自分の目指すことの為に割り切ってアルバイトで生計を立てる方が立派だと思っています」
篠原のそのセリフは相手を立てるためのお世辞ではなく、心底そう思っているのだと…小野は感じた。
「…ありがとうございます」
小野は社会から認められていないであろう自分を、自分さえも認めることができないでいた。だから篠原にそう言ってもらえたことは、ここ何年か生きていた中では最上級に嬉しい出来事であった。
「今日、あなたとここへ来れて良かった」
小野の口から思わずその言葉が溢れた。…が、しかしすぐに後悔した。なんなんだ俺、気持ち悪いな…SNSで繋がっていたとはいえ、今日初対面の女性に対して今のセリフは何だ。キモい、キモすぎる…最低だ俺…穴があったら入りたい…。
「私もです。来て良かった」
「え?」
本当なのか…?どこまでが社交辞令でどこまでが本音なんだろう…。
小野は、篠原という人間を真っ直ぐで汚れのない人間性に溢れた素敵な女性だと認識していたが、少しわからなくなった。
「バス、来ましたね」
遠くにバスの四角い顔が見える。それはこちらに向かってどんどん面積を広げてくるようであった。
バスに揺られて10分足らずで、駅に着く。
駅からは反対方向の電車で、帰路につく。
「じゃあ、またご連絡します」
連絡はこれからも取り合うだろう。でも、会うのはこれが最初で最後かもしれないし、もしかしたらまた割とすぐに会うのかもしれない。
でも多分、あの人はいい人だった。多分そう。
その人がどんな人かなんて、本当のことは誰がいつわかるんだろうか。
毎日一緒に暮らしている家族が、寸分の狂いもなくお互いのことを知れるだろうか。
会ったことのない人のことを、「多分こういう人」って思う、推測すること。
一期一会で、その時の相手のことを推測すること。
何回か会って、その人のことを推測すること。
全部が自分次第で、自分の物差し上の世界なんだ…。
そんなことを帰りの電車内でぼんやり考えていたのは…篠原と小野の双方だ。
きっとこの2人は相性がいい。
だからまたいつか、縁があったら、距離が近づくといいんじゃないかと…そう思う。