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 海一はトイレの個室にこもって携帯電話を操作していた。


 この学園はトイレ一つにも十分すぎるスペースを取り、非常に広々とした個室になっている。

 しかもちょっとした西洋の美術館のようなデザインで、この場所をこんなに洒落される意味はあるのだろうか、と部外者の海一からすると首をかしげたくなる思いだ。


 海一の携帯は半ばモバイルPCに近く、もはや小さなパソコンと言える。

 それは自宅のパソコンと同期されており、SS本部に送付を依頼しておいた資料を参照していた。

 それは「この学校に派遣されている用務員たち」のデータである。


 一人一人名前と顔写真を見ていくが、見たことをはっきり思い出せる人間は一人も居ない。

 しかも最新情報だといって送られてきたものが今日より日付が二か月以上も前のものだった。


 念のため、ここ最近でこの学園に仕事等で立ち入った外部の人間も、出来る限り全てリストアップしてもらっていた。


 その百人単位にも及ぶ情報を見ながら、海一はふつふつと疑問がわきあがるのを感じていた。


「これだけの人間の顔を見ながら、なぜピンと来る顔が一人も居ないんだ? 普段から見ている顔のはずなのに……」


 海一は顔だけでなく、脇に書き添えられている氏名や簡単な経歴、掃除の担当場所などにも目を通していく。

 ふと、ある点に気がついた。


 いくつかの掃除夫の担当場所がかぶっている。


 要は、彼らは掃除担当場所を複数名で複数箇所受け持っているのだ。

 その中で自由にローテーションをしていると考えられる。


 海一は掃除担当場所別に共通する者をリストアップし、その中でも繋がりの強い者同士でグル-プ分けをするよう操作した。


 帰宅して家のパソコンでさっさと手早く操作したいといういらつきをぐっと抑えて、小さな画面を見つめていた。


 すると、十五程のグループに分かれた。

 あくまで共通の掃除担当場所が同じという項目のみで分けただけだが、どこのグループにも該当しない数名以外はハッキリ分かれたのだ。


 海一は身近な掃除夫の顔を誰でもいいから思いだそうとしてみた。しかし、思いだせない。

 SSとして普通の生徒よりははるかに記憶力が優れているであろう海一ですら一人も思いだせない原因はこれだ。


 毎日毎日、同じ場所を別の人間が不規則に掃除しているのだ。しかも似たような格好をし、名札もつけず顔も上げずに。


 海一は深夜に職員室に忍び込んだ時、あの掃除夫が出てきた五階が担当のグループを調べてみる。


 五階の廊下と教室を担当するグループ、校舎のトイレを担当する複数グループのうち五階を担当するグループの二つが浮上した。


 彼らだったら五階を自由に歩き回り、セキュリティを回避してドアを開け閉めできるはずであると海一は確信した。


 これらのグループ構成員約十数名の顔を頭に入れて、彼らが担当しているであろう掃除ポジションを携帯にメモした。


 どこのグループにも分類出来ない掃除夫らがいる以上、この振り分けに確実な自信はなかったが、とにかく行動して確かめてみるしかない。


 そして、さてそろそろ戻らないとな、と腕時計を見た。


 実は今は授業中。海一はトイレに行くといってさぼって作業をしていたのだ。


 海一は基礎教科のほとんどを自主学習で済ませてしまっているため、無理に授業に出る必要はないと考えている。


 それにしても。


 と、海一は心の中で自分の仕事仲間のことを思い出す。


 綾香のあの頭の悪さは一体なんなのだろう、と本当に理解できない海一であった。


 綾香からすると、海一が“自主勉強”の成果で頭がいいというのが非常に納得いかないようだが。


 二人は学力面で、認識にも実力にも大きな開きがあるのであった。






「あらまあ。おしとやかなお坊ちゃまお嬢様の集まりだと思ったら、中にはこんなバイオレンスなお坊ちゃまもいたものね」


 綾香はバットで殴打された己の左腕をかばいながら、目の前の男子生徒たちに言葉を吐いた。

 彼女が今こんな状況に陥っているなど、海一は全く想像だにしていないだろう。


 骨の芯から疼く痛みに姿勢は前かがみになり奥歯をかみしめるが、綾香の瞳は変わらず真っ直ぐで強気だった。


「ハッ。言ってくれるじゃん。学校来られなくなるくらいまでしちゃっていいって言われてるんだけどね、俺ら」


 大柄な男子生徒たちは綾香と対峙し下卑に笑っていた。


 教師の目が届かなくなった昼休み。

 部活動も行われず誰も来ない家庭科室にて、動きやすいよう制服を着崩した彼らは、己の手足以外にバットという武器を携えていた。


 綾香は齋藤に呼び出された通り、昼休みが始まってすぐ家庭科室に出向いた。

 任務よりまず自分の食事時間が大事、といつも小笠原と食堂に直行していた綾香が、昼食も後回しにして。


 待てども現れない齋藤。

 腹の虫の悲鳴を聞きながらいらだっていたところに、彼らがやってきたのだ。


 見たことのない顔の、体格のいい男子生徒たち三人組。恐らく学年が違うのだろうと綾香は冷静に推定した。


 彼らはニヤニヤしながら入ってくるとすぐカーテンを閉め、ドアを内側から全てロックした。

 綾香の問いかけにも一切応じず、彼らが返したものは暴力であった。


 綾香は持ち前の運動神経と、SSとして訓練された身体能力と実戦経験から身軽に跳ねて逃げ、普通の女学生とは思えないほど機敏に動いた。

 しかし相手は三人がかりで、しかも密室ということもあり逃げ場もなく、綾香は強引にバットで床に叩き落とされ、暴力を浴びせられた。

 しかも汚い事に制服からでは分からない場所に、だ。


 全身が訴える痛み。特に最初にバッドで殴打された左腕のきしみを感じながらも、綾香は一切「やめて」と乞うような悲鳴をあげることはなかった。


 それが気に食わなかったことに加え不思議だったらしく、彼らは一旦綾香と対峙したのだ。


「アンタ、よく見ると可愛い顔してんじゃん。将来は美人になるよ、俺たちが何にもしなければ、ね」


 男たちのうちの一人が言葉を発し、それに合わせて二人がいやらしく笑う。


 綾香が脅えた様子を見せることはない。彼女の脳内はフル回転していた。


 逃走者確保・対犯人護身用のスタンガンを制服の下に忍ばせているのだが、今はこれを使ってはいけないだろうと、綾香はぐっとこらえる。


 この武器を使えば相手をすぐに制圧することが出来るが、それを学校側や他の人間に言いふらされたりしたら、任務遂行失敗、即刻解任となるだろう。


 普通の女子中学生が日常的に、こんな数値の高いスタンガンを持ち歩いているなどありえないことなのだから。勿論これはSS本部からの支給品だ。


 一対一だったらこんな奴ら体一つで倒せるのに、と綾香は奥歯をかみしめる。

 そして、齋藤が恐らく宇津田に泣きついて、己らの手を汚さずに自分を痛めつけようとしたのであろう企みにも怒りを覚えていた。


「なんだよお前。本当に女か?」


 バットを背中に構えた男が顔をしかめる。

 あまりに怯えを見せない綾香に軽く恐れすら感じているのだろう。


 綾香は心を決める。

 男にニッと笑ってみせ、


「そうよ。かわいくて気高い、お年頃の女の子なんだから!」


 と言うやいなや、不意打ちで再び振りかぶられたバットの一撃をしゃがんでかわす。

 それから素早く足を蹴りだし、相手の足をすくう。バランスを崩したところに飛びあがり、首の裏の急所に強烈な踵落としを食らわせた。


「しびれるでしょ、それ。この革靴はただのローファーじゃないのよ」


 綾香は振り向いて、身を丸くする男に向かってウインクを投げた。


 踵と爪先の素材は、実は特殊な強化素材でコーティングされている。これもSSの本部からの支給品だ。


 他の二人の男子生徒たちが、目の前の少女の戦闘能力に驚きながらも拳を振りかざして向かってきた。


 最初にきた男の拳を右手で脇に浮け流し、その反動で体を左に飛び退かせる。


 もう一人の男が拳を振りかざしてくるギリギリのところで斜め上方向に飛びはね、彼の拳に床を掻かせる。つんのめった男はそのまま体のバランスを崩した。彼を踏み台にして、綾香はまだ戦意を失っていない男と対峙する。


 アクティブな動きをするたびにきしむような痛みを左腕に感じながら、綾香は一切視線を逸らさなかった。


「ケンカ、暴力、慣れてないでしょ。慣れないことはしない方がいいわよ」


 綾香の挑発を皮切りに、がむしゃらに蹴りやパンチを繰り出す男。


 訓練された人間は別として、感情的になるほど人の動きは雑になる。

 綾香は素早くそれらをかわしながら男の懐に入り込み、強度を増させるために携帯電話を握った拳で鳩尾を一突きした。

 綾香の戦いの腕は並の学生の比ではないのだ。それはたとえ学年が上の相手であろうと、男子生徒相手であろうと。


 ふう、と一息ついて左腕の様子を確認する。

 気合を入れて一気に片付けたが、腕は尋常でない痛みと熱を帯びている。

 「これは、ヒビは覚悟だなぁ……」と苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。


 そうして綾香が、倒れた男たちに背を向けた瞬間。


 鈍く重い刺激が再び、今度は綾香の後頭部を襲った。

 綾香はそのまま床へと倒れこむ。疼く左腕から転げ落ちたせいで、かばうことも出来ず反射的に細く悲鳴を上げた。


 目の前でフラッシュが焚かれたような感覚に陥ってから、吐き気と共に頭に激しい鈍痛を感じ出す。


「このクソ女……覚悟しろよ!」


 暗くなっていく視界の中、男が自分に迫ってくるのが分かった。

 そのまま腹を踏みつけられ、綾香は言葉にならない叫びをあげる。


 綾香は飛び上がろうとしたが、体が動かない。

 男がバットを振りかざしているのがぼんやり見えた。


 ああ、どうして私はSSなんてやってるんだろう。


 どうして私は普通の女子中学生じゃないんだろう。


 ああ、お父さん、お母さん……。


 薄れゆく意識の中で、綾香は人の名を呼んだ。






 海一は昼休みになるとすぐに行動を起こした。


 小休憩時に少しずつ腹に溜まるものを食べているので、昼休みをフル活用できる。


 先程授業中に抜け出して携帯で調べた掃除夫たちを確認するため、まずは五階を歩いて回った。掃除夫は常駐制で、必ず誰かかしらがそのフロアにいることになっている。


 五階の廊下に立つ男性は、確かに先程確認した掃除夫の顔写真の記憶と一致する人物だった。そしてさりげなく、顔を詳しく確認する。


 背格好や雰囲気からも、あの夜に出会った掃除夫ではないと判断できた。


 そして各階に設置されているトイレ。トイレは流石に常駐というわけには行くはずもなく、掃除夫の姿は無かった。


 そしてこれからが自信のない賭けだった。


 本当に掃除場所のローテーションが行われているのか。

 五階が清掃担当の掃除夫たちがもう一つの担当する場所である、二階に向かうことにした。


 と、その時、足早に廊下を一人で進んでいく、見慣れた黒髪を視界の隅にとらえた。


 いつも昼食を優先する彼女が一体何をしているのだろうかと不思議に思ったが、海一はとりあえず思考を切り替えようとする。


 中川の正体が臨時の英語教師だということ。

 「落とす」とは高額献金をさせることであること。

 理事長と学園長は対立関係にあること。

 掃除夫の謎。

 そして昨晩気づいてしまった最も重大なこと。


 綾香に伝えるべき事項は多々あったが、今夜にでもまた自宅で作戦会議をすればよいだろう。綾香のことは一旦思考から消した。


 そして階段で二階に下る。掃除夫常駐のおかげでちりひとつない、分厚い赤い絨毯を踏みしめながら。


 するとそこにもせっせと仕事をする掃除夫が居た。保健室の窓を磨いている。


 図書室の前で、待ち合わせを装いつつ様子をうかがう。


 やはり先程確認した顔写真と同じ人物だった。更に、それは五階で確認した男性と同じグループであると分類された男性だった。

 読み通り、同じ掃除場所を受け持つグループ内で、不規則に掃除場所を交換している可能性がある。


 海一はそう確信するとともに、もう少しよく姿をうかがった。この人物はあの夜の掃除夫ではない。


 その時海一はふと眉をひそめる。


 初めて校舎巡りをした日、茶道部の部室で宇津田に目をつけられた日。


 そういえばその日は二階で掃除夫にうとましそうに睨まれたんだった、と海一は思いだした。なんとも神経質そうな雰囲気をしていたのは思いだせるのだが、顔が思いだせない。というより、特に注意を払っていなかったせいもあり背格好すら出てこない。


 なんとも歯がゆい思いをしながら、最後の場所へと向かう。


 五回を担当する掃除夫のグループは、五階のほかに二階と十一階を担当していた。

 十一階は職員室や学園長室、理事長室がある階だ。


 このキーになる階への出入りが自由ということは大きい。

 だからこそ、あの夜五階から出てきた怪しい掃除夫は非常に重要な存在なのだ。


 海一はエレベーターを使って十一階へと向かった。そのエレベーターの中で再び、あの日二階で掃除夫に睨まれたことを思い出していた。


 もしかしたら、その時の掃除夫こそあの夜の掃除夫なのではないだろうか。

 もしかしたら、自分の正体の何かしらがばれているのではないか。

 まさかな、と思いたいのだが、海一は不思議とそれを一笑に付すことはできなかった。


 十一階には相変わらず生徒はおらず、奥の職員室の方からは休憩と昼食をとる教師たちの談笑が聞こえる。


 そんな中、ひとりせっせと廊下を掃除をする掃除夫が居た。

 本当は高いであろう身長を隠すかのような猫背。目深にかぶった帽子。うっすらと生えたひげ。


 遠目から見ただけで、海一は確信を持っていた。


 彼はただの掃除夫ではない。

 同業者、もしくはそれによく似た類の業種の者だと悟った。

 警戒して歩いていればこんなことすぐに分かるのに、どうして今まで意識をしなかったのだろうと悔いていた。


 エレベーターを降りた口で立ち止まったまま、その男性を凝視していた。長い廊下に彼ら二人だけが存在していた。


 そしてこの険しい眼差しに、相手が気づいていないはずがなかった。

 なぜなら、海一の推察では、この男性は一般人ではないのだから。


 男性は掃除の為に落としていた腰をゆっくり上げて、立ち止まったままの海一の方へ近寄ってきた。


 海一はじっと相手の出方をうかがっていた。


 相変わらず帽子のかぶりは深く、鼻より上がうかがえない。ただ、推定年齢に対してはそう汚いおやじといった感じの顔立ちではないようだ。

 それはわざと“掃除夫らしい汚さ”を装っているようにさえ見えた。


 彼は海一の前に二メートル程度の距離を開けて立ち止まった。


 しばらくお互い口を開かないで居たが、しびれを切らした海一が学校モードで言葉を発する。


「掃除夫さん、僕に一体何」


「おたくらの素性に触れるつもりはねぇけどよ、ぼっちゃん」


 海一の言葉をさえぎって、ぶっきらぼうな言葉が掃除夫の唇から放たれた。

 低く空気を振動させるような音で、40代くらいといったところだろうと海一はあたりをつけた。


「アンタの連れてた嬢ちゃんが、一人で家庭科室に行くのを見た。その後を追うようにして、物騒なツラした複数の三年生男子らが家庭科室に向かったぞ」


 掃除夫の指しているのが綾香のことだとすぐに分かって、海一は目を見開いた。


「フッ。……坊や、なんて顔してんだよ。ま、この情報でお互いもう貸し借り無しにしようや」


 掃除夫はそう言ってひらひらと手を振って、掃除場所に戻って行った。

 姿勢も、話していた時の威圧感など全くない猫背に戻して。


「早く助けに行ってやった方がいいと思うぜ~」


 海一は掃除夫の言葉とほぼ同時に駆け出していた。

 階段で、家庭科室のある八階に。

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