「それはSランクチーター」:4
「それはSランクチーター」:4
そこには、虚ろな目をしたシュタルクが立っていた。
その赤い瞳は何も見ておらず、ただ開かれているだけで、そこに彼女自身の意志が存在している気配は少しも感じられない。
その眦にかすかに残る涙の跡が、彼女に存在した意志のわずかな痕跡だった。
和真はそのシュタルクの瞳を見て、彼女の姿をはじめて目にした時のことを思い出していた。
「それじゃぁ、シュタルク。あなたが作った小さな[太陽]、消してもらえるかしら? 」
「はい」
同じく虚ろな目をした女医にそう命じられると、シュタルクは緩慢な動きでうなずき、それから、その手を上空へと向けた。
女医が背後を振り返って視線を送ると、時間を停止させる氷で、上空に小さな太陽と見間違えるほど強く、巨大に発達した炎の渦を抑え込んでいたセシールは女医にうなずいてみせ、シュタルクの姿を一瞬だけ見て表情を曇らせた後、上空に手をかざして時間停止の氷を解除した。
抑え込まれていた炎の渦は再び強い光と高熱を辺りに放ち始めたが、その作り手であるシュタルク自身によって、徐々に縮小され、光も熱も弱くなっていく。
和真が呆気にとられたまま見上げていると、やがて、炎は完全に消滅し、そこには元の青空が存在するだけとなっていた。
「どうやら、丸く収まりそうですね」
シュタルクの暴走が止まり、チータープリズンを危険にさらしていた炎の渦が消滅すると、相変わらず柔和な笑顔を浮かべたままのヤァスがそう言った。
「シュタルク、彼女のことは、我々にお任せください。何が原因だったのかは分かりませんが、今後、このようなことがないように、徹底的に再調整させていただきます」
「ふん。オレとしちゃぁ、もう、ああいうチーターに頼るのはやめにしたいんだがな」
ヤァスの言葉に、カルケルはおもしろくなさそうに答える。
「チートスキルってやつは、便利なもんだ。そいつはこの俺でさえ、認めるしかねェ。火事も囚人どものおかげですぐに消えた。だがな、制御できねェ力ってのは、危険なだけだぜ。……ヤァス殿、忘れちゃいないだろうが、俺たちの仕事は、そういう危ないチートスキルを制御して管理することも含まれているんだ。あんな調子じゃァ、とても、コントロールできているとは言えねェじゃねェか? 」
「はい。もちろん、心得ていますよ。これでも、ボクは管理部の人間ですから」
ヤァスは、カルケルの苦言にもやはり、柔和な表情を崩さない。
まるで、作った仮面を常に被っているようだと、和真にはそう思えた。
「しかし、大きな力は、使いこなせればボクたちにとって大きく役立つことにもなりますから。もう少し、見守ってはいただけないでしょうか? 今後このようなことが起きないように、ボクもより一層、注意していますから」
カルケルの言葉を真剣に受け止めているのかいないのか、ヤァスの変化のない柔和な笑顔からはうかがい知れない。
そんなヤァスの方を一瞥して、カルケルは舌打ちをして顔をそむけた。
「どうぞ、ご自由に。監獄のことは俺の管轄だが、管理部のお偉いさん方については、俺の権限じゃどうにもならねェからな」
「はい。ありがとうございます」
不満を隠そうともしないカルケルに、ヤァスは微笑みかけながら軽く頭を下げると、どういうわけか、一度だけ和真の方をちらりと見る。
ただ偶然視界に入っただけかもしれなかったが、和真はヤァスが一瞬だけ笑みを深くしたような気がして、そして、その笑みに不気味なものを感じて、小さく身震いをした。
それからヤァスは「それでは、ボクは仕事がありますので」とカルケルに断りを入れ、女医とシュタルクの方へと歩き去って行った。
相手の健康状態を診断する医師のようにシュタルクのことを診察していた女医にヤァスが「行きましょう。続きは処置室で」と声をかけると、女医は「分かりました」と棒読みで答え、それから、ヤァスと共にシュタルクを連れ立って歩き始める。
それをプリズントルーパーたちは護衛しようとしたが、ヤァスはそれを断った。
ヤァスは中庭の出入り口で待機していたセシールとも合流すると、四人で建物の中に消えていった。
「気に入らねェ……。気に入らねェよ」
ヤァスたちの背中が見えなくなると、カルケルはそう憎々し気に呟き、ペッ、と唾を地面に吐き出した。
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それから、カルケルは周囲のプリズントルーパーたちに、事件の後始末の指示を次々に出し始めた。
和真のことなど、少しも眼中にないようだ。
事件がどうやら無事に収まったことでよおうやく安心し、まともに動けるようになった和真は立ちあがると、そのまま、カルケルが自分に気づくのを待った。
このまま事件の後処理の喧騒にまぎれて立ち去ろうと思えば、簡単に立ち去ることができただろう。
しかし、和真がこのチータープリズンから逃げ出すことができるはずもなく、結局、和真はこの事件の関係者としての取り調べを受けなければいけなくなる。
もし、カルケルの指示もなしに勝手にこの場を立ち去りでもしたら、取り調べの際の心証が悪くなってしまう。
自分でも情けない、とは思うものの、和真は、あくまで従順な行動をとることで、後々のトラブルを避けることを選んだ。
痛い思いはできる限り避けたいのだ。
だが、和真の順番はなかなか回ってこなかった。
カルケルは大勢のプリズントルーパーたちに指示をするので忙しいようだったし、和真のことなど、本当に忘れ去っているのかもしれない。
このままでは、日が暮れてもこのままここで立っていなければならない、ということになるかもしれなかった。
「あ、あのぅ、獄長さん、いえ、獄長様?」
正直言ってかなり気がひけたが、いい加減待ち続けるのも嫌になったし、ちゃんと言葉を選べば痛い目を見ることはないかなと、和真はカルケルに声をかけていた。
「ァァン? なんだァ、てめェは? まだそこにいたのか」
だが、返って来た不機嫌そうなカルケルの声に、和真は思わず「ひィっ!? ごめんなさいっ!! 」と言っていた。
和真は声をかけてしまったことを後悔していたが、しかし、恐れていた鉄拳制裁などはなかった。
「なるほど。オレ様の指示をずっと待ってたってわけか。なかなか、殊勝な心がけじゃねェか」
カルケルは和真がまだここにいる理由をすぐに察し、少しだけ満足そうな声で言った。
どうやら、和真の判断は間違いではなかったらしい。
「イイ子にしていたご褒美だ。お前、今日はもう自由にしていいぞ」
「……、へ? 」
予想もしていなかったその言葉に、和真はきょとんとした顔でカルケルの方を見上げていた。
そんな和真に向かって、カルケルは不敵な笑みを返す。
「オレ様も、今日は疲れちまったからな。……ォオっと、勘違いするなよ? お前の取り調べは明日だ。たっぷり聞いてやるから、今日はしっかり休んでおくんだな」
このまま帰してもらえるのは、正直に言うと嬉しくはあった。
だが、取り調べまで免除されるということはさすがにないようで、和真は落胆しつつも、カルケルに「失礼します」と断りを入れ、自分の牢獄へとトボトボとした足取りで向かった。
何にしても、今日は疲れて、くたくたで、そして、和真が休める場所は、このチータープリズンでは牢獄の中にしか存在しなかった。