「接触(コンタクト)」:3
「接触」:3
あの強烈な炎で、長野は焼かれてしまったのに違いない。
和真はそう思っていたのだが、そこには、ほとんど無傷の長野の姿があった。
そして、その姿に、和真は唖然として、その場から逃げようとする動作そ取ることも忘れてしまう。
長野は、平然とした様子で立っていた。
地面にではない。
監獄棟の、無機質なコンクリート製の壁の上に、だった。
長野は今、地面に対して九十度直角に立っていた。
まるで、長野にだけ、重力が全く別の方向に働いているかのようだった。
「シュタルク! 目を覚ますんだ! 」
壁の上に立った長野は、自身を攻撃するために再び手の中に炎を凝縮しつつあるシュタルクに向かって叫んだ。
「シュタルク! キミは、アヴニールを取り戻すんだろう! なのに、どうして奴らに協力しているんだ!? 奴らに、キミはいったい、何をされたっていうんだ!? 」
そんな長野に向かって、シュタルクは何も答えず、代わりに次々と火球を放った。
その火球は着弾するのと同時に周囲に炎をまき散らす爆弾のようなもので、向かってくるそれをかわすために壁を走る長野の後を追うように次々と監獄棟の壁に突き刺さり、周囲に高温の炎をまき散らす。
長野は素早く壁面を走り抜けてシュタルクの攻撃をかわしたが、確実に追い詰められていった。
シュタルクが放つ火球の着弾点は確実に長野に近づいていき、長野を徐々に包み込むようにしていく。
とうとう長野の逃げ道が失われ、火球が彼を直撃すると思われた瞬間、長野は垂直に切り立った壁面から空中へと飛び出していた。
壁面を蹴って空中へと躍り出た長野は、何かに引き寄せられるようにスイっと空中を進み、今まで自分がいたのとは反対側の壁面に取りついて、そこに立った。
長野に働く重力の向きが、長野の周囲でだけ変わっている、そんな印象がする。
もしかすると、長野が持っているチートスキルは、重力を操るものなのかもしれなかった。
「シュタルク! 自分を取り戻すんだ! 」
再び手の平の中で火球を生み出すシュタルクと対峙しながら、長野は必死にシュタルクに呼びかける。
「キミがやりたかったこと、やらなければならなかったことは、こんなことじゃないはずだ! キミは、アヴニールを救いたかったんだろう!? 」
チートスキルを用いた戦いの中に取り残され、腰が抜けたまま成り行きを見守っていた和真はそこで、突然、シュタルクが身体をよろめかせたことに気がついた。
「ぅっ……、ぐっ……! 」
そう呻き声を漏らしながら数歩よろめいたシュタルクは、手の平の中で渦を巻かせていた炎をかき消し、自身の頭を手で押さえながら、苦しそうな表情を浮かべる。
どうやら、シュタルクは長野からの呼びかけに反応している様子だった。
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もう少しで、何か、変化が起きる。
和真もそう思ったし、おそらくは長野も同じように思っただろう。
だが、言葉を重ねてたたみかけようとした長野を、一発の銃声が遮った。
和真はこの時、生まれて初めて銃声というものを聞いた。
ゲームなどでは日常的に何度も耳にしてきたもののはずだったが、本物は、思っていたよりもずっと音が大きく、迫力があるような気がした。
発砲されたのは、銃の中でももっとも小さな部類に入る拳銃だった。
だが、その銃は拳銃の中でも大型の部類に入るもので、発射する弾丸も大きい種類だ。
和真も、ゲームなどで見たことがある、デザートイーグルと呼ばれる、五十口径の銃弾を発射するものだった。
その銃口から放たれた弾丸は秒速数百メートルで空中を切り裂き、生物の身体に命中すれば簡単に皮膚を引き裂き、肉をえぐりながら身体の奥深くにまで至り、場合によってはそのまま貫通して突き抜けていく。
当たり所が悪ければ即死、そうでなくても、激痛をもたらす武器だ。
和真が視線を銃声の方へ向けると、そこには、カルケルが立っていた。
あの、[変態]としか形容しようのない、真っ黒なエナメルのベストに短パン、一切の光を飲み込んでいるのではないかと思えるほど暗いサングラスに、制帽とブーツ。
空へ向かってかかげられたその手には、プリズンガードたちが使っているものと同じ拳銃が握られ、まだその銃口から薄く硝煙が流れ出ていた。
和真は、その光景を目にして、息をのんだ。
それは、カルケルだけでなく、その背後には、完全武装のプリズントルーパーたちが隊列を組み、その銃口を冷徹にこちらの方へと向けているからだった。
プリズントルーパーたちは、二列の隊列を作っていた。
前列のプリズントルーパーたちは攻撃用の武器は持っていないが、大砲でもなければ貫けなさそうな、分厚くて頑丈そうなシールドを装備し、それをかがみながらズラリと並べて壁を作っている。
そして、後列のプリズントルーパーたちは立った姿勢で、自動小銃と呼ばれる、軍隊などで一般的に用いられているタイプの銃をかまえている。
その銃口はしっかりと保持されており、和真にはその場に静止しているように見える。
プリズントルーパーたちは皆、高い技量を持ち、良く統率されているようだった。
周囲の壁に反響していた銃声が消えると、辺りは静寂に包まれた。
聞こえてくるのは、未だに燃え盛っている木の、炎のゴウゴウという音だけだった。
未だに地面に尻もちをついている和真と、壁面に立ってカルケルとプリズントルーパーたちを険しい表情で眺めている長野、頭を抱えた姿勢で苦しそうな息をしているシュタルクが見つめる中で、カルケルは銃をくるくると回すと、自身の左胸の脇に吊ったホルスターに拳銃をしまった。
それから、カルケルは数歩、前に進み出てくる。
ゆったりとした足取りで、堂々としている。
目の前にはチーターがおり、背後にはいくつもの銃口がある。
しかし、その中で、「いったい誰がこのオレを傷つけられるものか」という、絶対の自信のようなものを、カルケルは持っているようだった。
その時、和真は理解した。
カルケルは、確かに変態にしか見えなかったし、偉そうで嫌な奴には違いなかった。
だが、彼はこの監獄の獄長であり、リーダーであり、唯一絶対の[ルール]であるのだ。




