せんぶ
すぐにでも世界が終わりそうなやわらかい光が、こんなにも息苦しい町に差している。光は惜しみなく私の住む世界に降り注ぎ、私が選ぶ道は「正しい」と肯定してくれている気持ちになる。
中学3年生の秋、君を見捨てて逃げたこと。そして君を救えなかったこと。ただそれだけを後悔して生きてきた。気がつけばもう15年が経っていて、君のために空けていたスペースがただの穴になり、もうどうやってもその穴を埋めることができなくなっていた。15年は、長い。
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あの頃は2人の関係に対する名前にこだわりすぎてしまっていて、何も進展のない私と君に不安を感じ、私たちが恋人同士でいる意味を考えてしまった。それがいけなかった。
2人でいる理由や意味がないとダメだと思っていたし、2人あわせて何者かにならなくてはいけない気がして、でも私はそれに耐えられなくなって清原くんを手放した。
最初は、ただ清原くんが私のことを好きだということが嬉しかった。私が好きだと思っているその人に、好きだと思ってもらえること自体が初めての経験で、それだけで十分だった。
清原くんの「恋人」という肩書きが嬉しくて嬉しくて仕方なかったけれど、だんだんと、ただ君が道をはずさないように見守りたいと思うようになった。この気持ちは何なのか消化しきれず、モヤモヤした思いが我慢できなくて、別れようと言った。それが中3の秋だった。
でもそのあともずっと忘れられなくて、でも「やりなおそう」なんて言葉を知らなくて、また片想いに戻ってしまった。
そばにいられるのなら「友達」でも「恋人」でも「元カノ」でも「セフレ」でもなんでもよかったし、なんでもない2人だけの関係があってもいいのではないかと思いはじめていた。と、ただそう思っているだけで、別に何か行動にうつすわけでもなく、窓から清原くんが体育の授業をしているのを見られるだけで上出来だと思雨ようにしていた。
別れてから清原くんは小学生から中学3年生まで8年間続けていた野球をやめ、髪と髭を伸ばし、私には理解できない、カラフルでたっぷりとした布に包まれて毎日アパレルショップの店頭にたっている、らしい。
色が白く、さわやかで、笑うと顔を真っ赤にする清原くん。練習着が似合う清原くん。走り方が少し変な清原くん。恋人から元カレ、ただの同級生、知り合い、懐かしい人、になった清原くんは、今、変な赤い布をカラダに巻いて、レジを打っている。絶対こちらを見るなと思いながら、店前のTシャツを選んでいるふりをする。面影なんてなくて、ただそこには知らない清原くんがいた。これは好きな人の死だと思った。物理的ではなく概念としての死。
私は君のことを別に何も知らなかったし、君も私のことを何も知らなかった。理解しあえていなかった。あのときからずっと。それでよかったのだと自分に言い聞かせながら無駄に肌触りのいい生地を親指の腹で丁寧に撫で続けた。清原くんはこれの色違いの半袖のTシャツを着ている。19000円というタグを見て、アホらしいと思う。袖がつけばもう数千円高くなるのだろうか。
痩せて見えて安い服で十分な私とは住む世界が違う、そうこれはきっと生まれた頃からなんだと自分に言い聞かせる。
家に帰るとどっと肩の力が抜けて机の上につっぷして寝てしまっていた。目が覚めるともう16時をまわっていて、西日が強かったのでカーテンを閉めた。一昨日の夜ご飯につくってからずっと食べているハヤシライスは今日が最後になりそうで、あんなにもう食べたくないと思っていたのに惜しくなって、少し多目に水を足し、火にかけ、皿によそった。気がつくと汗がじわっとでていて、強めに手の甲で拭った。
テーブルにひきっぱなしのランチョンマットにの上には今朝使ったメイク道具が散らばっていた。はしにはしにとファンデーションやマスカラを手で端の方に追いやっていると、テレビから「昨夜未明、京都の伏見区で火災が発生し、未だ男女3人と連絡が取れていません」という声がした。はっと顔をあげると、映像が見慣れた住宅街を映していた。
テロップに書かれた名前を見て、ああ、私の知ってる人ではなくてよかったと思う。その次に火の中はどれくらい暑いのか。溶けてしまうのか。どのようにして死んでしまうのかを考えたけど、痛そうというくらいしか分からなかった。
携帯を充電器にさし、ツイッターで「nero」と打つと予測変換の一番上にでてきた「ねろやん」というアカウントにとぶ。2週間前からずっと同じ「やっぱ宅飲み最高やな。山本さんの履いてたスニーカーマジかっちょよかったので俺もほしー、なんならくださいw」タイルのピンクだけを踏んで家まで帰る。というものだったので、ホームボタンを押した。
そこには私の知らない清原くんがいて、彼はどこで道を間違ってしまったのだろうと思う。私がずっと傍にいれば。
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未だにはじめて好きになった人、清原くんの夢を見る。もう15年くらいも前なのに、もうどこで何をしているか分からないのに、もう結婚して子どもがいるかもしれないのに、夢の中ではずっと中学生のままで、私のことを好きでいてくれる清原くんのままだ。
フェイスブックやツイッター、インスタグラムなど、ありとあらゆるSNSで名前を検索してみたが、3年前から更新のない彼のアカウントのページにいくだけで、何も更新されてない。けれど毎日かかさずチェックをしている。いつ彼が戻ってくるのかわからないから。
私の中での彼は「neroyan」というダサいアカウント名をつけるタイプではなかったし、目の離れた顔のデカイ女を好むタイプでもなかったし、髪も似合っていないロングにしたり髭をはやしたり、そんな趣味の悪い男ではなかった。爽やかで野球をしていて、色が白くて、頬が赤い、目があうと照れてうつむき、腕で顔を隠しながら、反対の手でこちらへ手をふる。そんな清原くんで止まっている。