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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

下手の自殺好き

作者: 黛かいこ

 そうだ。死のう。

 ふと旅に出ようと思い至るように、そう考えて実行したことがある。

 22の秋口のことである。

 その頃の私は新しい職場に付いてゆくだけで息も絶え絶えでいて、芯から疲れ切っていた。それでも、折れてはいなかった。私の好きな人の栄華を観るという楽しみがあったからである。

 観た。

 画の中のその人は、初めは違うと思った。己の考え想っていた人とは違うように感じた。けれど、けれど観れば観るほど、「中身」を想像する程演者は「その人」であった。演技とはここまですさまじいのかと震え怯えた。

 そうして、我を忘れていた。呆然自失で帰り、寝る頃になってようやく、飲みこめた。

 辛い。

 恐ろしく、恐ろしい映画であった。絶え絶えだった息が、ついに絶えた気がした。

 己が娯楽の為に観る内容ではなかった。酷い。酷い。あまりにも、酷い映画だった。まさしく、この感覚はその人だった。その人の作品を味わった後の――おぞましいまでの衝撃、恐ろしい傑作の切り傷。

 それに浸って酔いしれた。そうして、死のう、と思った。何故そう思い至ったか、自分でもわからなかった。ただ脳裏にあるのは演者の作った「その人」の画しかなかった。絶望が無かった。いや、記憶は確かではない。あったかもしれない。けれどただ、終わりたかったのだ。

 私はもとより精神的にハンデを負った身であったので、数十の睡眠導入剤を所持していた。二十前後だった気がするが、もっと多かったかもしれない。それを、父母のいない隙をついて飲み干した。私の二十と少しの人生の中で、ここまでどきどき、それもわくわくと弾むような心地はそうそうなかった。狂っていたのだろうが、そうだとしたらそれは死生観だろうか、それとも気だろうか。私はさっさと布団に入った。本当に莫迦な表現で申し訳ないが、私にとってこれはスマホゲームでガチャを引くような気持だった。あるいは占い。当たるも八卦当たらぬも八卦、ならぬ生きるも八卦、死ぬも八卦。SSRは果たして、私にとってどっちだろう。

 さあ、明日が楽しみだ。おやすみなさい。


 結論から言うと、明日はなかった。誤解を与える言い方をしてしまったが、別に死んではいない。けれど私にとってはそうなのである。「明日」は、なかった。


 服薬して眠りにつくと、夢を見た。ふらふらのぐでんぐでん、まるで酩酊しきった私は父に抱き着きながら、猫なで声で話している。「私、あの薬を××個も飲んだんだよ」。よくやるものだと感心するほどの甘えた、そして楽しげな声を出している私は上機嫌だった。

 そして、目が覚めた。うーん死ねなかったか、残念。とても気分よく起きた私は、理解できない未曽有の事態に直面した。()()()()()()()()()。薬を飲んだ「昨日」は金曜日であったので、「今日」は土曜日のはずなのだ。だが、()()()()()()()()()()()()()

 まさしく驚天動地、正しく急転直下。私の見た「夢」、あれは夢でなく私の記憶だった。薬を飲んだ翌日の私に関する、僅かにして幽かな記憶の破片であったのだ。

 驚きはそれだけで終わらなかった。私が愛用しているカバンのポケットに、全く見たことのない病院の診察券が入っていたのである。母に聞くと、私は昨日ここで診てもらい、薬が抜けるのを待つように言われたということだった。その記憶はない。カバンからお薬手帳が出てきた。準備してくれたのか、と礼を母に言うと「あんたが自分で用意したんだよ」と返された。全く、全く理解の外である。覚えがちっともない。けれど、その自分は「夢」の様子から想像できた。にこにこと、鼻歌でも歌いそうな程陽気に、病院へ持っていくもの一式をカバンにつめる「私」。それは。果たしてそれは、本当に私だったのか? 私の記憶にない「私」は、私と言えるのか? そんなことを考え、私はぞっとした。けれども生憎である。そんな気持ちと混在したのが、そんな現象に対する面白さ、愉快だと笑いたい気持ちであった。私でない「私」など、何と新しい生き物がいたのか! それはひょっとすると宇宙人だったのではないか? 一日の記憶がなく夢として見た、なんて稀有な体験だ! そう、懸命な君なら察するだろう。この時点の私は、これっぽちも反省・後悔をしていなかったのである。それだけではない。あろうことか。「もう一度体験したい」などと思っている。この思いは実は未だに消えていないのだが、それをするのには大きな障りがあると知ってしまったので、実行する日は来ないはずだ。安心してほしい。

 後日、馴染みの精神科の主治医には叱られてしまった。それはそれは恐ろしい顔で叱る主治医を私は初めて見た。周りの気持ちを語られ、ずいぶんと心配と迷惑をかけたと知った。何せ、父母はいつも通りの顔をしていたので、心配させた実感がまるでなかったのである。まさしく人非人であった。しかし、私は知りたかったのだ。死んだ先には何があるのか。生きた後には何があるのか。この世にない救いは、ひょっとして、あの世にこそあるのではないか。知れるものなら知りたかった。でも、私は私のSSRは引けなかった詩、周りはそれでよかったと言う。確かにそうなのだろうし、私は本当どちらでも良かった。あのまま布団で冷たくなっても、こうして眠たく生きるのも。本当、本当の、ホントのホントにどうでもよかった。天に任せたし、そのことにわくわくした。きっと、たぶん、私は何かをやらかしたかったのだろう。己を伝える方法を、自傷にしてしまうような質だったから、それを自殺に変えたのだ。そうする人がいると、知ってしまったから。あの人もあの人の敬愛した人物も、自分から死んでいったし。

 私は人の模倣しかできない。こうして自殺しようとしたのも、昔剣道をやっていあのも、筆を執ったのも、全部全部人の真似。誰かがやってからでないとできない。自分がやると間違える。だから真似し続けた。そういえば私は歌が上手いとよく言われるけれど、それも歌手の歌い方をままに真似するが故である。私がうまいのではない、私の基になった人がうまいだけなのだ。この考えで分かる通り、私の自己肯定力は0~マイナスである。プラスになることはそうそうない。そんな私にとってはやめちゃに楽しかった自殺未遂であるが、主治医より私は薬に耐性ができているので薬では死なないことを伝えられた。私は絶望した。ガク然とした。SSR目当てでガチャを回したのに、SSRは元から入っていなかったし、これからも入ることはないと宣告されたのだ。流石にSSRの出ないガチャを回す気のない私は、二度と服薬自殺はしまいと思った。ついでに言うと薬は母が管理し隠しているので、どちらにしろ私は多量服薬が出来なくなった。これには大草原不可避である。そう、聡明なる君ならわかるであろう。私は主治医に言われ反省したが、これっぽっちもそれが続いていない。もはや後悔の「こ」の字もない。奴は死に絶え残ったのは草ばかりである。除草剤を撒いてほしい。

 そうして10日ほどで仕事に復帰した私、その数日後の仕事帰りに包丁を購入し自殺を図る。そして失敗した。大馬鹿である。人体の、というより筋肉は硬かった。ステンレスは肉が切れない。嘘だ、私は私の肉を切るのが下手だった。少し前に行った自傷行為、あれにもリストカットは含まれていない。自分の殴打、柱への頭部打ち付け、ひっかき、針で刺すなどが主な行動である。つまり、私は道具を使った自傷はめっぽうできない人間であった。一時間以上筋肉と格闘するも結果は惨敗、薄皮一枚しか切れなかった。遺憾の意。

 そうして悟った。私は自殺では死ねないと。この他の手段はとりたくないので、まじで詰みなのだ。ちなみに取りたくない理由は「迷惑がかかりすぎるから」である。どうやら狂っていたのは私の迷惑の基準だったようである。


 それから。それからというが――まあぶっちゃけ、生きることって「死ぬほど」辛いので、もういいや、というのがオチ、というわけである。

 最近の私の口癖。「今日も働いて死ぬほど疲れたわ、つーか死んだ、死んでる!」

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