本物かよ
-1 年紅組 -
玲子が教室の戸を開くと、教室内の喧騒が潮が引くように静まった。
「やっほやっほぉ~、玲ちゃん無事だったぁ !? 」
唯一、詩子が調子っ外れに手を振った。
「当たり前だろ」
何故か詩子の反応にほっとした玲子、そのまま自分の席に落ち着いた。
視線を窓へやると、飛込んだ硝子は未だ壊れたまま。
……ダイビング、本当にしたんだな。
不意に襲う戦慄。
考えてみれば、よくも無事に済んだものである。
「派手だったよねぇ。大作先生と屋上で何してたの ? 」
屈託なく笑う詩子。
……まったく。
この、物怖じしない所が気持いい。
「どんな事でも信じるか ? 」
かくかくかく、と何度も頷き、
「信じる信じる」
「屋上で生徒会に襲撃されて、大作が割り込んだ。で、化け物も乱入して殺されそうになって、屋上からダイブ」
詩子はにこりと笑う。
「私ね、玲ちゃんが冗談言うようになって嬉しいよ」
「……信じてないだろ」
詩子の反応に憤然と肘を付く玲子は、ふとドアの向こうで手を振る女性に気が付いた。
と言うよりその女性の登場により教室内がざわめいた。
山県奈々子……誰もが知る、ニュースキャスターだ。
「ちょっと失礼していいかしら ? 」
「どうぞ入ってください ! 」
同級生の無責任な発言で、奈々子は一直線に玲子へ向かった。
「こんにちは、沖田玲子さん」
玲子は明らさまに警戒した。
「何か用か? 何であたしの名前知ってんの? 」
その棘のある質問にも、奈々子はにこやかに対応。
「貴女はこの学校では結構有名よ。用件は取材。屋上の騒動ね」
あれだけの騒ぎだ、現状を思えば報道関係が嗅ぎ付けて当然である。
「でも、それなら樋川大作に訊いたほうが早いよ」
と、言うより、取材は苦手だ。
奈々子は困ったように笑みを浮かべた。
「樋川先生から、貴女に訊くように言われたのよね…」
「大作が !? 」
「担任として取材許可もらったわよ」
……あんの野郎 !
本人がそこにいたら、今すぐ首を絞め上げているところだ。
「じゃぁまず……」
奈々子は玲子に有無を言わさず質問を開始、取材やる気満々だ。
「樋川先生とはどういう関係 ? 」
「はぁ !? 」
戸惑う玲子に、詩子が割り込んだ。
「それ私も知りた~い」
「ちょっと待てよ。それニュースとどんな関係があるんだよ ! 」
詩子は指を左右に振った。
「あのね、先生と生徒の不倫関係はいいネタなんだよ」
……こいつ、楽しんでやがる。
「不倫って、何事だよ……」
奈々子はにこやかに詩子を遠ざけた。
「まぁ、不倫は別として、気になるじゃない。朝の登校、そして屋上。何故貴女が狙われたのか……」
玲子は眉を顰めた。
……この人 ?
と、そこでチャイム。
「はい、時間切れ。教室から出ていってくれ」
奈々子は肩を竦めた。
「いいわ、待ってるから。きちんと答えてね」
教室を立ち去りつつ、奈々子は溜め息を吐く。
……カシムにノセられたわ。
玲子に向けられる、殺気を孕んだ監視の気配。
中庭の連中の仲間か……。
奈々子は廊下の壁に背を着き腕を組む。
……自分の居ない間、護衛させる気ね。
「……今回だけよ」
3 時間目は古文だった。
普段は未だ商店街をぶらつく時間帯。正直玲子には居心地が悪かった。
しかも、教師入室第一声、
「あらまぁ、沖田さん。今日は雨が降るわね」
……悪かったな。
ふてくされる玲子。
教科書を忘れた身としては 50 分が苦痛である。
「ふぁぁ……」
慌てて手を口に。
当面の敵は眠気。欠伸第 2 弾がすぐそこまで押し寄せていた。
-1 年黄組 -
……さて、と。
大作は出席簿と世界史の教科書を教卓にばしっと置いた。
優秀なる黄組生徒達に向かい合う。そして、黒板に名前を荒く書きなぐった。
「樋川大作だ。ちと初日から騒ぎ起こしちまったけど、大作でよろしく ! 」
「よろしく~ ! 」
生徒達からの大きな返礼。
「ありがとう ! んじゃ生徒諸君、教科書はいらねぇ、グランド行くぞ ! 外で 3 大文明のエジプト、その勢力図だ。全員おもて出ろ !! 」
「おぉぉぉぉ ! 」
ノリだ。生徒は大作にのせられ、そのまま一斉に教室より飛び出した。
- 学園長室 -
「まったく……困ったものです」
眉間に皺を寄せる教頭の川越修助は、グランドになだれ出た生徒達に溜め息を吐いた。
無論、先頭は大作だ。
「気にするな。奴が外に出た方が都合よかろう」
学園長の鹿島貴之。
前任の学園長、清水光三が体調不良を理由に勇退したのが半年前。川越教頭の強い推薦で就任した鹿島だが……。
今となっては鹿島と川越の関係、そして清水勇退と川越の関与。疑わしいことばかりだ。
「奴は……教育委員会とは関係ないのか ? 」
川越はブラインドを下ろして頷いた。
「と……思います。まさかあのような男を差し向けるとは思えません」
「では、理事長絡み……といとことか」
鹿島はコインを机の上に放り投げた。勢い回転するそれは、日本の硬貨とは明らかに違う。
「闇走達にも伝えろ。もう、理事長も警察も構うな。隙あらば仕掛けろ」
「生徒会……真田の曾孫は ? 」
鹿島は嘲笑した。
「無視しろ。真田とて、ガキに何が出来る」
そして、全身に粟立ちを感じ、震える腕を抱えるように押さえた。
「早く死者の文字盤を……もう待てん」
-1 年紅組 -
『……玲ちゃん』
小学生の頃、病気で死んだ母さんはよくそうやって優しく呼び掛けてくれた。
病院へお見舞いに行くと、優しく頭をなぜ、そうやって声をかけてくれた。それが、妙にくすぐったくて、嬉しくて……悲しくて……。
だから、今ではそう呼ばれるのがあまり好きではない。
思い出すから。
……玲ちゃん。
「だからその呼び方は……」
「玲ちゃん、起きて」
……起きる ?
「沖田さん、目が覚めた ?」
「はぅっ ! 」
寝ていた。
それも机にべったり伏せて。
横に立つ岬先生の機嫌は確実に悪い。
「え~と……」
「余裕なようね。じゃぁ、 5 段活用、前に出て黒板に書いてもらいましょうか」
……嘘だろぉ。
見上げると、岬先生は悪魔の微笑みを浮かべていた。
「さ、よだれを拭いて、行きなさい」
慌てて腕を口許へ。
赤面でべったりした感触を拭き取ると、覚悟を決めて玲子は立ち上がる。
その勢いで玲子のポケットより例の鍵が転げ落ちた。
「……あ」
直後、背筋に戦慄が疾り、身体中に殺気が押し寄せた。
掃除用ロッカーの戸が、天井 2 箇所が、窓硝子 3 箇所が破られた。
「きゃぁぁぁぁぁ ! 」
クラスの誰かが叫ぶ。
玲子は咄嗟にしゃがみこみ、鍵をポケットに。
「鍵ヲヨコセ ! 」
氷のような声に、室内が静まった。
黒いぼろ布を身体中に巻き付け、目だけが異様に光る異形の者 6 人。やけに身体は細く、腕だけが異様に長い。そのことが一層、ただ事ではない雰囲気を臭わせた。
……殺される。
全員、理屈抜きにそれを感じた。瞬間、生徒達は出口に殺到。
しかし黒づくめは目もくれない。狙いは床に膝をついて様子を見る、玲子のみ。
……やばそうかも。
玲子の脳裏に大作の姿が浮かぶ。
「くそっ。あんなやつ関係ない ! 」
玲子は覚悟を決めた。
「まどろっこしいのはやめだ。狙いは鍵だろ。かかっといで ! 」
玲子が立ち上がると、黒づくめは一斉に飛びかかる。
「殺ス ! 」
……疾い !
玲子は対応が遅れた。
すると、突然黒づくめ達の前に机が落下。不意の攻撃に異形の者達は足を止めた。
「カシムに言われなかったかしら ? 命を大切にしろ、って」
……いつの間に !?
玲子の傍に、奈々子がにっこり笑って立っていた。
「さ、逃げるわよ」
「冗談だろ ! あたしは逃げたくない !! 」
玲子は肩にかかった奈々子の手を払う。
しかし奈々子は笑顔のままだ。
「貴女を無事に逃がさないと、私がカシムに怒られるのよね。それに……貴女もカシムにまた怒られたい ? 」
「……かしむ !? 」
異形の者が動く。
奈々子は懐に手を入れ、そこより小型の銃、ベレッタ M1934 を抜き放つ。
学び舎には似つかわしくない火薬の炸裂音。異形の者 2 体が仰け反り転倒した。
「……本物かよ」
残る 4 体がいきり立つ。
「貴様 ! 素直ニヨコセ !! 」
「ごめんなさい、貴方達好みじゃないの」
そして奈々子は玲子にウィンク。
「行くわよ」
廊下へ駆け出す奈々子を、玲子は反射的に追い掛けた。
「ちょっと、あんた記者じゃないの !? 何者 !? 」
奈々子は不意に停止。振り返って引金を絞る。
異形の者 1 体が倒れた。
「コードネームはオーガスタ・レイン」
再び走り出す。
「カシム……樋川大作とは 2 年前まで同じ部隊に居たのよ」
……ぶたい !?
玲子にはおよそ想像の及ばぬ世界がすぐそこに存在した。