【1】
見切り発車もいいところでだらだらっと連載していきます。
「何度も言うけど、冬弥君の精子が欲しいだけなの」
月曜の朝っぱらから玄関で痴女が騒いでる。
清楚な和服姿で、艶やかな黒髪で、目元の泣きぼくろがどうしようもなく色っぽい隣人、緑丘夏美さんだ。
毎日、登校前と帰宅後に押しかけてくる。なぞの隣人だ。
「見ず知らずというわけではないけど何に使われるかもわからないのにそんなのあげられません」
「別に冬弥君に迷惑はかけないわ」
「僕に迷惑をかけなくっても世間様に顔向けできないような事に使われると困ります」
僕、忍足冬弥はしがない高校生だ。自宅から遠い高校に通うために独り暮らしを満喫している高校生だ。
目立った特技もなく成績も中の上くらい。イケメンの半分くらいの顔だ。
まー、僕のことは放っておいて、目の前の迷惑な美隣人を何とかしないとこのアパートから爪弾きにされかねない。
大切なのは世間体。精子じゃない。
「大丈夫よ、使うのはこの時代じゃないし」
「は?」
「気になるわよね。説明するからうちに来てちょうだい」
僕の腕がガシリと掴まれた。有無を言わさない力でずずずと引きずられる。
「ちょ、痛い、腕が抜けちゃう!」
「冬弥君から精子をもらえれば良いだけだから」
「答えになってないィィ!」
僕は抵抗むなしく、凶悪な力で隣の部屋に引きずり込まれてしまった。
拉致された痴女の住処は、殺風景だった。僕と同じ部屋の形だけど、ベッドと机しかなく、その代り卵みたいな形の丸っこい大きな何かが鎮座していた。
「ちょっとベッドに腰掛けてて」
「押し倒されそうなんでイヤです」
「冬弥君を押し倒そうなんてこれっぽっちも思ってないから安心して」
痴女こと夏美さんは笑顔で玄関近くにある簡易キッチンに向かう。僕は仕方なくベッドに腰掛けた。
彼女は僕が欲しいのではなく精子が欲しいようだ。逆に言えば僕などは眼中にないっぽい。それはそれで悲しいけど、おかしな騒動に巻き込まれなくても済むかも。
なんて考えたけど精子を欲しがられてる時点でおかしな騒動に巻き込まれてることに気がつく。だめじゃん。
夏美さんが「ガシャコンドッカン」とキッチンでは発生しないような音を立てて何かをしている。彼女は痴女にマッドサイエンティストが混ざった魔王なのかもしれない。
本気で逃げないと、お巡りさんコイツです、と通報されかねない。
すかざす行動に移そうかという時、僕の足元に金属質なボールが転がってきた。夏美さんの工作の失敗作か?
「ヒドイ、シッパイ、サクジャ、ナイ」
足元の金属ボールから合成音声が聞こえた。ボールに亀裂が入り、にゅきっと、まさににょきっと顔が出てきた。
目玉らしき緑のランプがあるだけなんだけど、僕には顔に見えた。
「……しゃべった?」
キッチンの魔王を見てしまっている僕の頭には常識という枷は無くなっていた。ひどく冷静で沈着な、普段の僕からは考えられない僕になっていた。
「というか、僕の頭の中を読んだ?」
「タンジュン、ナ、セイカク、ダカラ、ヒョウジョウ、デ、ヨミト、レル」
「単純とか、無礼千万だね」
「マー、ダマッテ、ハナシ、ヲ、キケ」
唐突に命令口調になったこのボール、どうしてくれよう。サッカーボールくらいの大きさで窓から投げるにはちょうどいい。
「ナゲルナ」
「おお、また先回りだ」
「イイカラ、キケ」
頭だけ飛び出した金属ボールから、今度は足らしきものがにゅっと伸びた。
「マスター、ハ、コノジダイ、カラ、ゴヒャク、ネン、サキノ、ユイイツ、イキノコッタ、ニンゲン、ダ」
「500年とは、いきなり大きく出たね」
今度はボールの横側から手らしきものが伸びた。丸い体に手足があるロボットみたいだ。おもちゃにこんなのがあったかな。
「タイプ、エーダッシュ、ビーゴ、ヲ、バカニ、シナイデ、イタダキ、タイ」
アルファベットに日本語を混ぜ込むのは日本人の悪い癖だと、どっかで聞いたことがある。
というのは放り投げて。
「で、なんなの?」
「そこから先は私が説明するわ」
お盆に湯呑をのせた夏美さんがしずしずと歩いてきた。あの音からその湯呑がどう扱われたのかは想像したくない。
だが無情にも彼女は僕の目の前にそのいかがわしい湯呑を差し出してくる。あまりにもいい笑顔だったので思わず受け取ってしまった。僕の薄弱さが恨めしい。
「その子はデラックスAIの源次郎よ」
「源次郎」
語呂の良さに復唱してしまった。
「西暦に換算すると2400年製になるかしら」
「2400年」
猫型ロボットを過去に置き去りにする年数だ。
「コールドスリープから目覚めた時には、既に人類は私ひとりだった」
「コールドスリープ。人類はひとり」
いきなり話が飛び過ぎだぁぁ!