アオイ
田村葵衣はうーん、と悩んでいた。
隣では兄が買ったばかりのゲームをしている。
母がそろそろ晩御飯の支度をしなきゃ、と呟いて趣味と実益を兼ねたハンドメイド小物を作りの手を止め、道具を片付け始めた。
葵衣の目の前には一枚のプリントがある。
昨日決まった、委員会のメンバー表だ。
一年生は自分ともう一人。
その、もう一人の一年生の名前の読み方がわからない。
『浦浪麗』
大人であれば簡単に読めただろうし、同じ中学生でも、もう少し漢字が得意なら苦労しなかっただろう。
「うらられ?」
何か、違う気がする。
『うらられ』だなんて名前、普通……あるだろうか?
明日は顔合わせがあるというのに、友達になれるかもしれない女の子の名前の読み方がわからない。
自己紹介くらいあるだろうし、その時聞けばいいかな、と葵衣はプリントを丁寧にクリアファイルに挟んだ。
「おいママ、俺、明日出勤することになった」
リビングすぐとなりの、戸がいつも開きっぱなしの書斎から、父がこちらを振り向く。
父は会社員だけれども、大抵、自宅にいる。友人の父親などは毎日出社するのが当たり前だが、父の会社はネットワークがどうとかで、出社は週に数回で良いらしい。
「え?そうなの?わかりました」
母はそう言ってカレンダーに『パパ出社』とメモをした。
カレンダーには他にも兄や自分の学校の予定、母のハンドメイド小物関連のメモがびっしりされている。
「あっ!一件発送今日までだった!いけない、急がないと!」
慌てた様子で母は荷物を片手に玄関へ向かう。
「葵衣、カレー温めといて!ご飯炊けてるから!」
「はーい」
母は、出来上がった小物をネットで出品している。母によると『人気作家』らしいが、こうして巻き込まれるのは勘弁してほしい、と葵衣はいつも思っている。
確かに、母の作った小物はなかなか良くできている。
でも、せめて、その、情熱のほんの少しを食事に回して欲しい。
一度に大量に作られるため、もう三日目となったカレーライスにうんざりしながら、葵衣は台所に向かった。
窓の外には干しっぱなしの洗濯物。
しょうがないな、と言いながら、父がそれを取り込んでいる。
××××××××
「おい、洗濯物、取り込んどいたぞ」
そんなの、見ればわかるじゃん。と葵衣は心の中だけで思う。
リビングの片隅には畳まれずに積まれた洗濯物があった。
「ありがとう、パパ」
食卓にはカレーライスしか並んでいない。せめて、サラダくらいつけてよ、専業主婦なんだから、という言葉と麦茶を葵衣は一緒に飲み込んだ。それを言ったところで何が変わるという気がしない。
「ごちそうさま」
コップをテーブルに置いて、葵衣はテレビのリモコンを取る。
兄がスマホのゲームを始め、父は書斎に向かい、母はテーブルを片付ける。
××××××××
「うらなみ れいです。よろしくお願いします」
委員会の顔合わせで、葵衣は昨日読み方のわからなかった少女の名前を知った。
小柄で、かわいい雰囲気の子だ。
「田村 葵衣です。よろしく」
それだけ。
いつか友達になれるかもしれないが、今日はそれだけ。
委員会の顔合わせが終わり、帰ろうとしたとき、浦浪麗に葵衣は声をかけられた。
「ね、田村さん。よかったら今日、うちに来ない?」
初対面。
初対面で、いきなりお宅訪問はハードルが高い。
「友達になろうよ、アタシ、田村さんみたいな美人の友達が欲しいかったの!」
人懐っこい笑顔につい、葵衣はうん、と言ってしまった。
××××××××
「ここ!」
本当に近かった。
玄関の鍵を開けて、二人は浦浪麗の家に上がる。
「お邪魔します……」
しぃん、と静まり返った家は生活感があまり無い。小洒落た家で羨ましいな、と感じた。
「ちょっと待っててね、洗濯物だけ取り込んじゃうから!」
冷蔵庫から飲み物とコップを取り出し、テレビをつけて浦浪麗は洗濯物をささっと取り込み、そのまま畳み、どこかに持っていった。
それを見て、この家にいるのは二人だけなのかな、と葵衣は思う。
シンプルなインテリアは閑散とも言える。
少ない洗濯物。
静まり返った家。
「お待たせっ!ね、これ見ようよ」
どこかのアーティストの映像を見せられて、他愛ない世間話をして、お菓子を食べた。
話して見ると、押しの強さに少し引いたけれどなかなか気が合いそうな子だ。
委員会の時が楽しみになるな、と葵衣は笑った。
「あ、もう夕方……帰らなきゃ」
「もしよかったら、晩御飯食べてく?
今日、うち、お母さん帰り遅くなるの」
ちょっと強引過ぎる引き止めに苦笑する。
この家には、父親がいない。
葵衣はそれを、家具やインテリア、先程見えた洗濯物から、なんとなく理解してた。
二人でカレーとサラダを作り、食べた。
またカレーか、と思ったが、そこは黙っておく。
浦浪麗は母親の分のサラダを器に盛り、冷蔵庫にしまい、テーブルに『冷蔵庫にサラダがあるよ』とメモを置いて、葵衣と浦浪麗が食べ終わった食器を片付ける。
「じゃあ、そろそろ帰るね」
本格的に暗くなってしまった。電話を借りて自宅に電話すると、母が迎えに来てくれると言う。
「また遊んでね。……葵衣ちゃん、て呼んでいいかな?」
「アオイでいいよ」
浦浪麗が笑うと、小動物のような雰囲気が強まる。
ふわふわの髪を編み込みしたりして遊んでみたいし、今度は自分から、カラオケにでも誘ってみようと思った。
「ありがとう!アタシはレイ」
「うららちゃん」
葵衣が浦浪麗の言葉を遮ったので、きょとん、とした顔で浦浪麗は首を傾げた。
「麗、て、『うらら』って読めるの。だから、今日から浦浪さんはうららちゃんね、なんかそのほうがかわいいし」
「えー、よくわかんないっ……でも、面白いからいいよっ!」
今度、カレーの時は、アタシもサラダくらい作ってみよう。
葵衣は迎えに来た母が運転してくれる車の中から、『うららちゃん』に向かって手を振った。
『うららちゃん』という呼び方をつけた人はアオイでした。という話。
うららちゃんのお父さんは単身赴任で遠くにいるだけです。
アオイの家庭はそこそこひろめの一戸建て。
各自部屋があるのになぜかリビングに溜まるのは、やっぱり仲がいいからです。




