愛を知る者
私の右手からは両親の血が、左手からは自分の血が。ぽたぽたとリズムよく、地面に落下している。
右手の血はすぐに乾いてしまうだろう。
左手の傷はすぐに塞がってしまうだろう。
見えない綱渡りでもしているように、両腕をあげてふらふらと歩く。周囲にいるのは歩く死者。腐りはてた死人。
ふらふらと。
その間を縫うようにして歩く。
――そのうち噛まれてしまうだろうか。私に興味のなさそうなこの死者たちの中に、私を探し求めて徘徊している人はいるのだろうか。その人もまた、ゾンビの間を縫うようにして歩き、私に噛みつこうとするだろうか。
ぽたりと、右手から両親の血が落ちる。
ぱたりと、左手から自分の血が落ちる。
ふらふらと、私はゾンビの間を綱渡りする。
空を見上げれば、快晴だった。
なのに地面は濡れていく。ぽたぽたと音を立てて。
「――会いたいよ」
ぽろりと呟いた言葉もまた、地面を濡らして消えていった。
思考と思考の隙間に、「死にたい」が入る人生だった。
学校行かなきゃ。死にたい。準備しないと。
ご飯食べなくちゃ。死にたい。今日の朝ごはんはパンか。
ゲームでもしようか。死にたい。RPGは面倒くさいな。
人前では笑わないと。死にたい。ハキハキ返事して。
理由は分からなかった。原因はなかった。気づけば私は死にたくて、サブリミナルみたいに入り込んでくる「死にたい」は普通のことなのだと錯覚さえしていた。「死にたい」と人前で口にしてみても、「誰だって死にたくなることはあるよ」と励まされる日々。
自分は普通だ、死にたいも普通だと言い聞かせる毎日。
ただそれは、とても、生きづらかった。
どうやったら生きやすくなるのだろうかと、小学六年の夏休みに考えた。きっとみんな、その努力をしているからこそ「死にたい」毎日の中を生き延びているに違いない。私は、夏休みの自由研究がわりに「生きやすさ」を追究しようとした。
まず、死にたくなる原因を探すべきだと思った。
考える。家庭環境に不満はない。お父さんにもお母さんにも、これといった不満はなかった。きょうだいはいない。寂しくなることはあるけれど、喧嘩する相手がいない分、楽だとも思う。
学校。教師は頼りないけれど、特別嫌いでもない。同級生とはあまり遊ばないけれど、それが不便だと思ったこともない。勉強についていけず苦労した経験もない。スポーツが苦手でいじめられたこともない。
じゃあなにが。なにが私は不満なのか。死にたくなる原因はなんなのか。
考えて、考えて。――でも、答えはいたってシンプルだった。
私が死にたくなるのは、「自分自身に不満を抱いている」から。
私という人間が生きているのが、嫌だから。
では、「死にたい」を取り除くには。
原因が、死ねばいいのだ。
生きやすさを追究した結果が「死ねばいい」。
今となってはおかしいと思うが、当時の私は大真面目だった。
見よう見まねで手首を切り、鎮痛剤を飲み、首を吊った。私という人間はグダグダと物事を考える割に、決定してからの行動は妙に早いところがある。しかし、結論から言えばすべて失敗した。手首の傷は浅かったし、薬は吐き出して終わったし、首吊りは親に発見された。
自殺しようとしていたことが親にバレたせいで、精神科に通うこととなった。ここにきて私は初めて、自分の「死にたい」が、他者の言う「死にたい」と少しズレていることに気づいた。
他者が言う「死にたくなることもある」というのは。
「死にたくなるような外的要因」があって、それが取り除かれれば元気になること。
私の死にたいは常に付きまとい、自分の中にはびこっていること。
――けれどそれを理解したところで、どうすればいいか分からなかった。私は何を頑張ればいいのだろう。どうすれば死にたくなくなるのだろう。私が「頑張った」ところで世間にとってそれは「普通」で、それじゃああとどれだけ自分をごまかせばいいのか。
何キロ走ったのかもわからないランニングマシンに乗っている気分だった。全力で走ったって景色は変わらない。何キロ走れたのかもわからない。ただただ疲れて、休むこともかなわない。
精神科の先生とも相性が悪かった。「死にたい」と言っても「どうして」と聞き返され、「あなたには死にたくなるような要因はない」と言いきかされるだけ。
あなたには死にたくなる権利もない、と言われている気分になるだけ。
通院日は生きづらさが増した。苦痛だった。そんな生活が何年も続いて――
通院のおかげで彼に出会えた。
「……今頃、なにしてるのかな」
青空に向かって言ってみる。空は繋がっているのだと、漫画や小説なんかじゃよく表現されている。それならそこに向かって話しかければ、彼に繋がっていることにもなるのだろうか。
――彼は、私のような人間も大切にできる人だった。
私が手首を切ると知っても引くこともなく、むしろ治療のしかたを勉強し始めるような優しさを持っていた。その優しさのせいで彼は生きづらかったのだろうと思う。話すのが下手なのも、彼の場合はその優しさに起因する。「何を言えば傷つけないか」を考えて話そうとするから、テンポが遅れがちになるのだ。
バイト先で出会って、精神科で秘密の話をして、食事に行って、遊びに行って。……今思えば、なんてことない話ばかりだ。日記に書く必要もなさそうな、他愛もない日常。
通院は続いていた。服薬も続いていた。自傷もやめられたわけではなかった。
それでも、生きるのがほんの少しだけ、楽になって。
優しくて、少し頼りなくて、「生きた救急箱」みたいに治療器具を常に持ち歩いていて。
――生きやすさは自分の中だけでなく、外にもあると教えてくれた人。
「……会いたいな」
空に向かってもう一度。ぽたぽたと濡れる地面。
右手の血は乾いていた。
左手の血も止まっていた。
落ちる雫に色はなかった。
私はようやくそれに気づき、地面を濡らしているものを必死で拭った。
ゾンビになる前に死んでしまおう。
終末世界で、そういうことを考える人はどのくらいいるのだろうか。私は多少なりとも考えたし、少なくとも私の両親もそれを考えていたらしかった。
死んでしまいたいと考える原因は、「マリッジリング」の質の悪さにあった。
感染者はゾンビになった後、生者の中からわざわざ『最愛の人』を選別し、殺してしまう。
ロマンチックな話なのかもしれない。これが、作り話なら。
最愛の者にマリッジリングを――死を差し出すゾンビたち。
それが現実となった時、私たちは死を嘆くべきなのだろうか。
それとも、愛を嘆くべきなのだろうか。
「……ゾンビになるのを、防ぐため」
見慣れた風景の、見慣れない物の真ん中で、私は呟いた。
自宅マンションの前。屋上から飛び降りたのか、スイカのように頭を割った両親。
愛の溢れる家族だった、と思う。こんな娘のこともサポートし、無条件に愛してくれた人たち。
だからこそ、こうなった。
『自分たちが死ねば、娘が生き延びるチャンスが増える』
ダイイングメッセージなんてものはなかったけれど、そういう言葉が場の空気に溶けていた。
両親は、死にたがりの娘を生かすために死んだ。どうして世界はそうなのだろうと、私は頭の割れた死体の間に横たわった。
どうして死にたがりを生かそうとしたのか。
どうして、私も一緒に連れて行ってくれなかったのか。
『生きやすくなるために、生きにくい要因である自分を殺す』
それくらいの奇妙さと、おかしさと、不自由さと、――真面目さ。
仰向けになると青空が見えた。
そこから降ってくる両親が、見えた気がした。
気付けば、飛び散っていた両親の脳をかき集めていた。どうしてそんなことをしたのかも覚えていない。集めたところで彼らが甦るはずもないのに、何故だか私は懸命に、祈りながらそれらをすくった。何を祈ったのかも覚えていない。
両親の安らかな眠りか、パンデミックの終焉か、彼との再会か、――自身の死か。
地面に尖った石でもあったのか、気づけば左手薬指が切れていた。ぱかりと開いた傷口から、ぽたぽたと血液が落ちる。薬指をおさえて、目を閉じた。
――マリッジリング。
「……会いたいよ」
八百キロメートル離れた場所にいる、最愛の君に。
たとえ、こんな世界になっても。
ゾンビの間を縫うようにして歩く。ふらふらと、迷子のように。
両手の血は乾いた。目も頬も、乾ききっていた。
どちらに向かおうかと空を見る。彼のいる方角はどちらなのだろう。
私は、どちらに歩くべきなのだろう。
「会いたいよ」
何度も呟いた言葉。これからも呟く言葉。
――こんな世界で。
生き延びて、彼と会えない日々。
死んだ後で、彼と再会する瞬間。
どちらが幸せで、どちらが不幸なのだろう。
左にいたゾンビが小さく唸った。
右にいたゾンビが身体を揺らした。
前方のゾンビはこちらへと歩いてくる。
このまますれ違うのか。
それとも、あの人の「目的地」は私か。
空は晴れていた。
両親は死んで、両手は乾いて、彼はそばにいなくて。
独りぼっちで。
私はようやく笑った。
「……いきたいよ」
――――こんな世界で、ようやく笑えた。




