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終着ドロップス(前編)

 夜は好きだ

 醜い僕を隠してくれるから

 夜は嫌いだ

 独りぼっちだと気付かされるから


 ――自分のことを歌っているような曲だと思う。それでも僕が夜に外出するのはやっぱり、昼より夜の方が安心できるからだろう。

 独りぼっちだとしても、醜悪な姿を隠してくれる時間のほうが僕には優しい。

 ウォークマンの充電を確認して、音楽で耳を塞ぐ。周囲をシャットアウトしないと、僕は外に出られない。誰かの視線に誰かの言葉に、僕はいつも怯えている。

 マスクはした。マフラーもした。大丈夫。大丈夫。

 呪文のようにそれを唱えて、僕はゆっくり扉を開ける。


 夜は好きだ。特に、冬の夜は好きだ。

 マスクをしていても怪しくはない。マスクの上に茶色のマフラーをぐるぐる巻いても、寒がりだからで通じる。顔を隠したい人間に、冬はとても優しかった。

 つんとした、それでいて凛とした空気の中を僕は歩く。二十三時半。まだ起きている人は多く、それでも外出している人は限られてくる時間。目的地は特になかった。強いて言うならコンビニだ。僕は、こうして夜中に歩くことをリハビリのようなものだと思っている。外に出る、訓練。

 それでも。登校拒否している十七歳が深夜に出歩いているとなると、それはやっぱり道楽者にしか見えない。

 マスクはしている。それでもマフラーを鼻の位置まであげる。

 僕の顔はきっと、昼でも夜でも、とても、恐ろしい。


 零時前、コンビニの中。

 イヤホンをさしたまま、ホットドリンクのコーナーを覗く。喉が渇いていた。けれど、何か飲むとなるとマスクをはずすことになる。そう考えて、ドリンクコーナーからはなれた。朝食用のパンを買って、もう少し歩いてから帰ろう。

 中途半端な時間だからか、パンのコーナーはスカスカだった。店員の目が気になりだして、僕は適当にメロンパンを掴む。チョコチップが練り込まれているわけでもクリームが入っているわけでもない、ごくごく普通のメロンパン。それをレジに持っていくだけで、僕の心臓は破裂しそうだった。

 変だと思われないか、気持ち悪いと思われないか、後で何か言われて笑われるのか、レシートを貰う時に手が震えないか。

 一刻も早く購入して帰りたい、そんな僕の気持ちを嘲笑うかのようにレジには先客がいた。というよりも、今まさにレジに向かっている人が。僕はその人と一定の間隔をたもつようにして歩く。つもりだった。

 ――ばらばらと。


「……あー」


 彼女が、商品を床に落とすまでは。


「あ、だ、大丈夫で、すか……」


 震えた声が出て、僕はしくじったと思う。噛んだことも、声をかけてしまったことも。

 僕の声は僕の態度は、気持ち悪かったのではないか。

 商品を拾い続けていた彼女は、僕を見上げてへらりと笑った。悪い意味ではなさそうだった。彼女が何か言いかけて、けれど音楽を聴いている僕にはそれが聞こえなかった。あわててイヤホンをはずす。


「だいじょぶですよ、ありがとうございます」


 夜の、澄んだ空気のような声だった。僕と同い年か、少し下くらいに見える子だ。グレーのパーカーに黒のスカジャン、チェックのスカート。三食サラダしか食べてないんじゃないかと思えるほどに細くて、肌がきれい。だからこそ彼女が落とした商品たちが、僕からすれば意外だった。

 床に散らばった商品は、すべてが駄菓子だったのだ。

 一粒二十円のチョコ、クリームをサンドしたビスケット、缶ジュースを模したボトルに入ったラムネ菓子、コーンポタージュ味のスナック菓子。

 足元に落ちていた棒付きの飴を拾い上げて、僕はまた「しまった」と思った。


 ――きったねえなあ、バイキンうつすんじゃねーよ!


 汗をかく。手が震える。鼓膜の内側で心臓が音を立てる。

 けれど。


「ありがとございます」


 彼女はなんでもないような顔で、僕に手を伸ばした。必死で震えを隠しながら、僕は彼女に飴を渡す。嫌だと思われていないだろうか、汚いと思われていないだろうか。

 言わないのか、言えないのか。彼女はその飴もレジへと持って行ってしまった。彼女が一歩進むたび、ポケットからガランガランと奇妙な音が鳴る。僕は彼女の少し後ろで、レジが終わるのを待った。

 店員からおつりを受け取った彼女は、くるりと振り返り僕を見た。そして、


「そんじゃ、いい夜を」


 そんなことを言って、コンビニから出て行った。

 ――否定的なことは言われなかった。

 僕はそれが嬉しくて、いつもより少し顔をあげてレジへと向かった。



 翌日、零時。

 コンビニ前の冷たいベンチに


「……ああ、こんばんは。昨日のメロンパンの人ですね」


 彼女が、いた。僕はあわててイヤホンをはずす。

 今日の彼女はスカートではなくジーンズで、それでも脚の細さが目立っていた。オフホワイトのパーカーに、昨日と同じ黒のスカジャン。それに、えんじ色のマフラー。

 彼女はマフラーのフリンジをつまんで笑った。


「マフラー、あったかそうだなーと思ったので。真似しちゃいました」


 えへへ、と彼女が笑う。白い息が流れる。僕は笑おうと努めて、自分がマスクをしているのを思い出した。

 無言の僕に気を損ねた様子もなく、彼女は自身の手のひらに錠剤のようなものをざらざらとのせる。その光景にぎょっとしたけれど、よく見ればそれはただのラムネだった。

 薬のような菓子を口に放り込み、彼女は立ち上がった。そして、首を傾げた。


「中。入らないんですか?」

「あ、えっ……入ります」


 その時の僕は、あと五分早くここに来ればよかったと思っていた。

 僕のことを気味悪がらないこの人は、きっと僕がレジを済ませている間にどこかへ行ってしまうだろう。

 でも今夜、あと五分早くここに来ていれば。

 そうすればもう少し長く、彼女と会話できたかもしれないのに。

 後ろ髪をひかれるような思いで自動ドアの前に立つ。ドアが開くとき、彼女が言った。


「今日もメロンパンですか?」


 僕は頷いた。メロンパンは、本当は好きでも嫌いでもない。

 ただ、「メロンパンの人」でもいいから、彼女に少しでも僕のことを覚えていてもらいたかった。

 彼女は数年ぶりに、僕に「普通に話しかけてくれた同年代のひと」だったんだ。

 ――あったかそうだなーと思ったので。真似しちゃいました。

 彼女の言葉を思い出しながら、マフラーを押さえる。首元はぽかぽかとあたたかかった。



 翌日二十三時半、コンビニ前のベンチ。


「こんばんは、メロンパンの人」


 彼女はいた。昨日より早く来れるよう急いだのに、それでも彼女の方が早かった。スカジャンとマフラーは昨日と同じ。ベンチでたばこをふかしているように見えたけれど、やっぱりというかそれはたばこの形をしたラムネ菓子だった。僕はイヤホンをはずす。マスクとマフラーははずさない。


「メロンパンの人は、今日もメロンパンですか?」

「…………うん」

「好きなんですね」


 彼女はたばこを吸うようなしぐさで、ぽりぽりとラムネをかじった。沈黙が続く。僕は息を吸って、吐いて、吸って、


「あなたは、いつも、この時間に……いるんですか」


 学校で習う英訳のような不自然さで、話しかけた。それでも彼女は笑うこともなく怯えることもなく、そうですねえと夜空を見上げる。


「二十二時にバイトが終わって、そこからブラブラして……。その日によりますけど、大体このくらいの時間ですかね」

「そ……ですか」


 話しかけた。答えてもらえた。僕はそれが嬉しかった。

 けれどそこからまた、沈黙が続いた。

 たばこのようなラムネ菓子を、彼女は指で挟む。口をつけて、かじって、


「メロンパンの人」

「え、あはい」

「中、入らないんですか? あたしがさっき見た時はメロンパン、ラスいちでしたよ」

「あ、あ、買ってきます」


 はじかれたように僕は店に入った。明日また、彼女に会えることを祈りながら。明日でなくとも、再会できることを祈って。

 けれど僕の願いは、ものの一分で叶えられた。

 メロンパンを購入した僕が外に出た時。彼女はまだ、ベンチに座っていたのだ。


「メロンパン、ありました?」


 餅なのかグミなのか分からないカラフルな駄菓子を、彼女はつまようじに突き刺していた。彼女の座るベンチは、どう考えたって長居には不向きな冷たい場所だ。真っ赤になった細い指先を眺めながら、僕は頷いた。買ったばかりのメロンパンを彼女に見せる。


「それはなにより」


 ピンク、黄色、黄緑。この順番で、彼女はつまようじに駄菓子を突き刺していく。けれどやがて、ぼんやりと隣に立っている僕を見た。そして、彼女の膝の上――駄菓子の入ったコンビニ袋に手を突っ込んだ。


「なんか食べますか」

「え、あ、いや」

「チョコきらいですか」

「ううん。でも」

「じゃあこれにしましょう」


 彼女はそう言って、小さな板を僕に差し出した。一万円札を模した紙に包まれたクランチチョコだ。


「セレブな気分になれます」


 至極真面目に彼女はそう言った。そして、ベンチのあいているスペースを、つまりは彼女の隣をぽんぽんと叩いた。


「メロンパンの人。座るのきらいですか」

「い、いや……」

「じゃあどうぞ」


 ――おずおずと。

 僕は彼女の隣に腰掛けた。ひんやりとしたベンチの感触。チョコレートは嫌いではないし食べないのも失礼かと思い、僕は福沢諭吉の顔をびりびりに破いた。セレブな気分は特に感じられなかった。

 マスクとマフラーをはずす。けれど顔を見られるのが怖くて、僕はそっぽを向いてチョコをかじった。


「……メロンパンの人は、風邪引きさんですか?」


 背後から聞こえる声に、僕は首を振る。「風邪予防ですか。インフルエンザも流行ってますしね」と彼女は一人納得したようだった。僕はほっとする。


 本当は。

 汚い顔を、隠しているだけだ。


 僕は急いでチョコレートを咀嚼し、食べ終えるなりマスクとマフラーをした。ごちそうさまでした、と小さく言う。彼女に聞こえたかは分からない。

 何か言おう、と思った。けれど僕の口は、誰かと話せるようにできていない。指が震えた。それを寒さのせいにできる冬は、やっぱり僕には優しかった。


「――あ、だ、」


 駄菓子さんは、と言いかける。僕は彼女の名前を知らない。けれど、駄菓子さんと呼んでいいものか。悩んで、結局名前は避けた。


「……あの、親、心配しませんか、こんな時間に」

「それ言うならメロンパンの人も。多分未成年ですよね?」

「あ、でも、僕は男だから……」

「あたしも大丈夫ですよ。心配するような人間でもないので」


 あっけらかんと、どこか自虐的に。彼女はそう言った。

 彼女の顔を見る。綺麗な子だった。目は大きくて、鼻筋は通っていて、唇の血色はよくて。彼女みたいな女の子を心配しない親なんているのだろうか。

 僕が見ていたせいだろうか。彼女も僕の顔を見た。怖くなって、顔を隠す。


「……あたし、高校やめちゃった十六歳なんですけど。メロンパンの人は高校生ですか」

「う、ん。――……高校、行けてない、けど」

「そですか。人生いろいろですね」


 彼女はそう言って、やっぱり服薬するようなそぶりでラムネ菓子を頬張った。要るかと訊かれて首を振る。もう一度マスクをはずす勇気はなかった。


「あの、駄菓子、……好きなんですね」


 会話と彼女を引き留めたくて、とりとめもないことを言う。そうですねー、と彼女は答えた。


「あたしにとっては晩御飯みたいなもんですし」

「えっ、これが? か、身体によくないです、たぶん」

「そですね。……でも、いいかなと思って」


 何が、だろう。彼女は残っていたラムネを口に放り込み、立ち上がった。スカジャンのポケットからガララン、と音が鳴る。


「……そだ。メロンパンの人にもこれあげます」


 その音を聞いて思い出したのか、彼女はポケットに手を突っ込んだ。そこから出てきたのは、有名な缶入りドロップスだ。ガラガラと缶を振りながら、彼女がにやりと笑う。


「あたしのこれはですねー、魔法がかかってるんですよ」

「ま、魔法?」

「おまじないとかお守りみたいなもんです。……手、出してください」


 言われた通り、右手を出す。そこに一粒、まるいドロップが落とされた。

 緑色。


「おおー。ついてますねメロンパンの人。ぴったりの色が出ました」

「……メロンパンだから、緑色?」

「それもあります。でもね。さっきも言いましたけど、このドロップスには魔法がかかってるんですよ」


 自慢げに。彼女はドロップを指さした。


「緑色はですね、『平和な一日を過ごせるでしょう』」


 ぽかんとする僕をよそに、彼女は歩き出した。歩調に合わせてガラガラと音が鳴る。


「そんじゃまた明日。メロンパンの人」


 当然のように。

 彼女は僕に手を振って、暗闇の中へと消えていった。


 ドロップスの音が聞こえなくなるまで待って、もらった飴を口にする。甘酸っぱい、偽物のメロンが口内を支配した。それはとても懐かしくて、平和な味だった。

 コンビニの灯りにつられたように人がやってきて、僕は慌ててイヤホンをさす。

 流すのはいつもと同じ曲。

 醜い夜の、物語。



 やがて僕は彼女に出会った

 彼女の仕事は夜を照らすこと

 夜を好む僕にとっての天敵は

 僕をも強く優しくあたためる


 それだけで僕の心は酷く満たされ

 けれど身体は溶けて 消えて

 長く闇にいた僕の身体は

 君の眩しさには耐えられない


 彼女が今日も夜を照らしにくる

 僕の心は少しずつ安らぎ

 同じ速度で身体は溶けていく

 それでも僕は 彼女のために

 この命を この世界を 終わらせるのだろう


 そうさ これは

 あたたかくて幸せな バッドエンドのうた



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