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魂の行方

 私の罪は決して許されるものではありません。

 私を愛してくれた家族を、殺してしまうなんて。



 最近、謎の病が流行っていることは知っています。マリッジリング、というそれが正式名称なのか俗称なのかは知りませんが、それに感染した者は死後ゾンビになり、自分が最も愛していた人間を噛みにいく、という話でした。

 非科学的といえばそうなのでしょう。この世界が機能している間に『科学的に』、原因や治療法を探し出せなかったのですから。

 そう、この感染症には治療法がありませんでした。


 十歳になる娘は父親――私の夫に噛まれました。夫は誰に噛まれたのでしょう。その誰かは誰に噛まれたのでしょう。その前は。更に前は。

 ……想像するだけでぞっとします。

 相思相愛では終わらない、ひとの、愛の、連鎖。

 ――庭先でわがこを襲っている夫の頭に、私はシャベルを突き刺しました。ゾンビは頭を攻撃すればいい、とニュースでやっていたのを咄嗟に思い出したのです。

 夫は絶命しました。もとから絶命していましたが、今度こそ死にました。

 私が、殺したのです。


 肩を噛まれていた娘は軽傷で済みました。冬場で、分厚いコートを着ていたことが幸いしたのでしょう。

 いえ、それは逆に不幸だったのかもしれません。

 娘は即死しなかったのです。噛まれてからゾンビになるまで、二十八時間かかりました。

 ……ああ、やはり。彼女は不幸だったのかもしれません。


 即死しなくとも。生きるためにもがき苦しんでも。

 あの子はゾンビになってしまった。


 私は最期の時まで、娘のそばに居続けました。

 娘はまだ十歳だというのに、泣き言ひとつ言いませんでした。肩だって、軽症とはいえ痛かったはずです。なのに痛がることすらしませんでした。

 頭のいい子です。だからあの子は、噛まれた自分の運命だって理解していたでしょう。

 なのに娘は、笑っていました。『その時』まで、ずっと。


 最期の二十八時間。私は娘と様々な話をしました。

 死ぬってどんなこと。死んだらどこに行くの。

 そういう話はしませんでした。近所のよく吠える犬の話、授業で習った星座の話、最近弾けるようになったピアノの曲――。こんな世界で話すほうが異常だろうと思えるくらい、とりとめもない話ばかりでした。そしてその話題すら、娘が選んだものでした。

 娘は。あの年ですでに、死を達観していたのかもしれません。

 けれどやはり……心の中では怯えていたのでしょう。

 あの子は、噛まれてから意識を失うまで、眠りもせずに喋り続けました。

 沈黙を、恐れているように。


 死を目前にしても気丈に振る舞う娘に比べ、私は愚かな母親でした。

 おろおろするか、泣くばかり。あの子がどんなに些細なことを話しても、私はいちいちと泣いていました。こんな調子じゃこの子を安心させてやれないと思っては、死ぬと決まったわけじゃないと思い。そうしてひとり、絶望的になって涙を流す。情けない母親でした。

 神様にも仏様にもご先祖様にも、しまいには自分が殺した主人にさえ祈りました。

 この子を救ってください、この子をつれていかないでください。

 ……そうやって祈っている時点で。私は非力な母親でした。

 娘はやがて吐血し、震え出し、意識を失いました。最後の最後に話していたことは、給食のゼリーがおいしいという話で――それはやはり、ただの雑談でした。

 私は何も、してやれませんでした。

 したことといえば、おろおろして泣きながら、娘の最期を見届けるくらい。我ながら悲しい人間です。人というのは終末世界でようやく、本性といいますか、真の姿がでるのだと思います。

 私は他力本願で、無力で、それを嘆くことしかできない人間でした。


 娘の息がとまった時。それは私の人生が終わった時でもあったと思います。

 もちろん主人を殺した時にも、私の人生は終わっています。

 社会的あるいは生物学的にではなく、精神的に。

 私は二度、死にました。


 ――あの時本当に、死んでおけばよかった。


 娘の遺体を寝室へと運んでから、私は外に出ました。「マイホームには、庭付きが絶対条件だ」そう言っていた主人の、自慢の庭。

 そこに、自分と娘が埋められるなんて想像していたのでしょうか。

 私は懸命に穴を掘りました。大きな穴を掘るには向いていないだろう、園芸用の小さな移植ごてで。

 何日かけてでも穴を掘り、そこに二人を埋めるつもりでした。

 そうして埋め終えたら、私は二人が「庭にいる」夢のマイホームで、一生を過ごすつもりでした。


 背後に気配を感じたのは、硬い土を掘り続け手首に痛みを感じ始めたころでした。

 音もなく、ゆらりと何かが私の後ろに立った。そう感じました。

 私は移植ごてを持ったまま、そっと振り返りました。何故か私まで、音を殺して。


 背後にいたのは、娘でした。


 口から真っ赤な血を流し、白濁した目で私を見ていました。頬の色は陶器のように白く、周囲の風景から綺麗に浮いていました。まるで、そこだけハサミで切り取ったかのように。

 娘は、私を見ていました。

 私は、娘の名を呼びました。

 ――生きてたの。生きてたの。死んでなかったのね。

 そう言いました。そう言い聞かせました。そう思いこもうとしました。

 けれども私は最初から。娘の正体を知っていました。


 娘はぱかりと口を開き、私にとびかかってきました。

 白い陶器に真っ赤な穴をあけて、その上に濁ったビー玉をふたつはめ込んだような、光景。

 娘は聞いたこともない奇声を口から発し。

 生前よりも強い力で私を押し倒しました。

 私の顔には娘の血がぼたぼた落ちてきて。


 私は。

 右手に持っていたものを、娘の額に突き刺しました。



 ……これは決して、許されることではありません。

 私を愛してくれた家族を、殺してしまうなんて。


 主人は間違いなく、娘を愛していました。だからこそ死後、娘を攻撃したのでしょう。マリッジリングはそういうウイルスなのですから。

 もしかすればあの人は、娘のあとは私を襲うつもりだったのかもしれません。

 いえきっと。もしかすればではなく絶対に、私の元へと向かってきていたと思います。


 少しぶっきらぼうで、愛想がなくて、けれどまっすぐで、曲がったものが嫌いで。

 私と娘を、一番に愛していて。

 ……あの人は、そういう人でした。


 娘は間違いなく、私を愛していました。だからこそ死後、私を攻撃したのでしょう。

 娘は。大人びていて私の手助けなんか必要なさそうだった娘は、それでも頼りない母親のことを愛してくれていたのです。

 死後、私に襲い掛かったということは。

 あの子の「最愛」は私だったのに。

 私はあの子を、我が子を


 ――最愛の我が子を、殺したのです。



 ……この文章を読む人は、はたしているのでしょうか。

 いるのだとしたら問いかけます。


 こんな世界で、生きていたって仕方ないと思いませんか。


 私はもう、この世界で生きる価値を見出せません。愛する人たちは死んでしまった。それも私が殺した。自分なんかを守るために、愛する人を――私を愛してくれた人を殺した。主人を、娘を。

 もう私には何もない、誰もいない。

 けれど私は愛されていた。

 ……もう、じゅうぶんです。


 私は、主人と娘のもとへと向かいます。

 ごめんなさい。でも。


 こんな世界で、生きていたって仕方ないと思いませんか。

 自分が誰からも愛されていないことを自覚して

 あるいは、自分を愛してくれていた人から逃げ続けて

 もしくは、自分を愛してくれていた人を殺してまで。


 生きる意味って、なんですか。





「…………」

「神林くーん、ぜんぶ読めたー?」

「……うん」

「なんて書いてた? 一言でまとめて」

「…………自殺するって」

「ほんとに一言でまとめちゃったねー。流石にそれじゃ分かんないや。遺書てがみ貸して」


「…………」

「――……あー、なるほど。だからこの人、頭からシャベル生やして倒れてるゾンビの間で、首吊ってるわけだ」

「…………」

「庭先で死んだっていう娘さんをわざわざこの部屋につれてきて。三人同じ場所で死にたかったのかな?」

「複雑、だね……」

「この世には、単純な人生も簡単な死に方もないからねえ」


「娘さん、強い子だったんだね……。ゾンビに噛まれても、泣き叫ぶことなく最期を迎えるなんて……僕にはちょっと真似できそうにないな」

「んー。まあ確かに、年の割には悟りをひらいてたのかもねえ。でもやっぱり子供だったんじゃないかな」

「え?」

「あたしがこの子の立場なら――ゾンビに噛まれたあと自力で動ける状態だったなら、母親のもとから去るよ。一メートルでもいいから遠くに行く。……小学校でもこのウイルスの話は出てたはずだから、死後自分が『誰』を襲うかなんて分かりきってたと思わない? ましてや、こんな大人びた子ならさ」

「……」

「ねえ神林君。この子、噛まれたあともどうして雑談ばっかりしてたんだと思う?」

「……それは、その遺書に」

「死を達観してたから? あるいは死を恐れていたから? かもしれない。でもあたしは違うと思う」

「それじゃあ……」

「怖かったんだよ、自分がゾンビになることが。そのせいで、『母親が自分から逃げ出す』ことが。だから『死』とも『ゾンビ』ともまったく関係のない話をして、しかもそれを延々と続けることで、母親が自分のそばから離れられないようにした」

「……」

「まあ、本人に聞いてみないと分かんないけどね。あたしのこれも、結局はただの推論だよ。現場を目撃してない、その人のことすら何も知らない人間が、文章だけで判断した一種の妄想」


「……朝倉さんは」

「んー?」

「こんな世界で生きていたって仕方ない……って思う?」

「死にたくないのに自殺したって仕方ないと思う」

「……」

「何回でも言うけど、あたしは死にたがりじゃないんだよ神林君」

「……うん」

「――生きていたって仕方ない。そう思う時がくるのなら、それはあたしが世界を一周してもまだ生きてた時だろうね」



「……この人。旦那さんと娘さんのもとへ行けたのかな」

「行けたんじゃない? 旦那さんも娘さんも確実に死んでるし」

「確実にって……」

「だってこれがもしもゾンビならさ。思わない? ゾンビの魂ってどこにあるんだろうって」

「……」

「死んでるけど動いてるんだよ。最愛の人を探して徘徊する死人。そんじゃあその魂はどこにあるの? 身体の中? それともあの世?」

「…………」

「『こんな世界』は複雑ですなあ、神林君」



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