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大抵のことは諦めて生きてきた僕が、初めて虜になったものがある。
根幹を辿れば小学生のときだろう。友達が少なく、帰宅するといつも洗濯物を畳む母の隣で読書に耽っていた。学校で推薦されるような児童書はあらかた読み終え、父の本棚を左上から順に抜いていた記憶がある。サラリーマンとして働く傍ら、若い頃からの夢である執筆業への努力の痕跡がそこにはあり、まるで興味のないような寄生虫図鑑や新書版の経済学書なども、意味を理解していたかはともかく、父を真似して目を通していた。
父は今現在にしても小説家という肩書きを持ってはいないが、それでも日々の鍛錬を怠らず、家の中にあって如何様なトリックが成立しうるのかを、僕に聞くような次第である。こちらとしても浮かばないながら苦心してやる心遣いはあった。何より、父には話していないが、僕自身、そうなりたいと願うようにさえ、なっている。彼を見るのは、自分を見ているようだ。
誰かが死ぬ話を、人は面白いと思い読む場合がある。それは奇妙奇天烈で、一方で、本能的とも言えよう。僕はその本能に取り込まれていた。