目覚め
「――そろそろ時間だ。起きろ、シエン」
聞き覚えのない声が脳内に響き、その妙な違和感から目が開く。
これまた見覚えのない橙色がかった景色が入ってくる。
――ここは何処だろうか。
自分がいる場所の手がかりを捜すために右へ左へ、上へ下へと眼球を動かす。ぐるりと見回しただけだが、何か小さく、狭い箱のような密閉された空間に閉じ込められていることだけがわかった。
視覚から得られる情報はこれだけのようだ。
次に、耳を澄ましてみる。
さっきの声は脳内に響くように聞こえたが、それ以外に聴覚が捉えたのは、自分のかすかな呼吸音だけだ。
体の方はどうだろうか。
足の先、腰、手の先、肩、首、頭と自分で動くことを確認しながら徐々にその感覚が浸透していくことを実感する。
すると、体全体に締めつけられたような感覚を感じた。
何か密着したものを着ているのだろうか。
しかし、自分が閉じ込められている空間の都合上、その狭さから体を起して確認することはできない。
さらに、何か眼鏡のようなものも装着しているようだ。こめかみを絞めつける感覚と、顔の中心、鼻根には軽くものが触れている感覚が伝わる。
どうやら視界が橙色に見えるのはそのせいのようである。
「心拍数、血圧、脳波……異常なし。体は起きているようだな。おはよう、シエン」
……おはよう。
と脳内から話しかける相手にかすかに聞こえる程度の小さな声で返事をした。
しかし、今はどのような状況なのだろう。
ここは一体どこで、これから何をするのだろう。脳内の相手は自分に話しかけているようだが、それ以前に自分は――。
先を考えることは遮られた。脳内の相手が思考に入り込むように話しかけてきたからである。
しかし、さっきと違って少し焦っているような口調であった。話すスピードが少し早くなっている。
「寝起きのところ申し訳ないが、今回の任務に関するデータをインストールさせてもらう。少し衝撃があるが、心配はない。一瞬で終わる……はずだ」
最後の一言に不安を感じ、ちょっと待ってくれ、と言葉を挟もうと口を開けた瞬間、こめかみを絞めつけられるようにして装着していた眼鏡から火花が弾けたかのように電流が流れだした。
「――ぐッ!」
あまりの衝撃に、狭い空間から飛び出さんとするばかりに体が仰け反る。叫び声を上げる間もなく、電流は体を一瞬で駆け巡る。体の隅々、毛細血管の果てまで電流が流れているのを感じる。電流が通ったあとの体はじんわりと熱が生じる。
そして脳も同じように電流が駆け巡る。
しかしそれは暴れまわっている、という表現の方があっているのかもしれない。勢いのあるスーパーボールがその弾力を活かし、ぶつかる壁から弾け飛ぶように電流が脳に流れる。
そのせいか脳は他の体と違い、焼かれたように熱がある。
――本当に一瞬なのだろうか。
と考えるほどに電流が流れる時間が長く感じられた。
すると、脳内に見たことのない景色と幾何学的に羅列された数字が流れ込んできた。
目はたしかに閉じ込められた狭い空間の天井を見つめていたが、それは意識に映し出されていると言えるだろうか。写真? いや、映像もある。
しかしどれも無機質で薄暗い様子である。どこかのビル、いや研究所だろうか。
さらには地図や配管図、さらには人物のプロフィールまであるどれもこれも見覚えはない。
この数字列は何だろうか。何かのプログラムだろうか。次々に見覚えのない景色に視界が包まれる。
そして最後の一枚、巨大なコンピュータールームだろうか。
それに向かって一人座る女性、白衣を着たうしろ姿が映った画像が流れ込むと、目を開いた。
体中が熱を帯び、呼吸は吐く息がはっきり聞こえるほど荒立てている。
しばらくすると、不思議な感覚に包まれていることに気付いた。
――今、頭のなかに流れてきた情報を自分はすべて知っている……。
実際に行ったこと、触ったことはないが、それが何なのか、誰なのかを自分はすべて知っている。そして先ほどまで胸のなかにあった居心地の悪い疑問は消え、はっきりとわかる。
――自分が何者なのかを。
「――どうだった、シエン。血圧、心拍数、体温、どれも上がっているが大丈夫か?」
脳内から話しかけてくる司令の言葉には、少し嘲笑の気が混ざっている。
「ああ、大丈夫だ。一瞬だったからな。しばらくすれば落ち着くだろうよ」
シエンは、はっきりとした語気で答えた。このくらいへっちゃらさ、と伝わるように。
「そうか、それはよかった」
その意を感じた司令は鼻で笑いながらそう言うと、一呼吸置き、言葉を続ける。
「それでは、内閣府特務局諜報部隊、本作戦の任務を説明するーー」