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夢遊病

「咲、昨日の十二時くらいに渋谷にいなかった?」

登校途中、一緒に登校していた里絵が尋ねた。

「……ううん。その時間はもう寝ていたよ」

「そう。じゃあ、人違いだ」

「……」

 あの事件以来、咲をいじめる連中はいなくなったが、咲と里絵は一緒に登校するようになり、里絵は学校でもなるべく咲から離れないよう心掛けていた。

「咲、昨日の夜はどこにいっていたの?」

「もしかして、デート?」

 二人が教室に入ると、数人の女子が駆け寄り、からかうように尋ねてきた。

「マジかよ、川本」

男子たちが声を上げ、クラス中がどよめいた。

「えっ?」

「とぼけても無駄。私、見たんだから」

追求されて困った様子の咲を見かねて、

「それ、咲じゃないよ。昨日の夜は疲れて家で寝ていたらしいから」

里絵が横から口を挟んだ。

「えー、本当かな?」

女子たちが話をしていると、予鈴がなり、咲たちは席へと着いた。

 どこにでもありそうな何気ない会話だが、咲は頭を抱えていた。前にも一度夜中に街で見かけられたことや夜中に無意識のうちに家を出ようとして、戒に止められたことがあり、自分は夢遊病なのではないかと考えていたのである。

 学校が終わると、咲は真っ直ぐ家に帰り、リビングの椅子に座って戒の帰りを待った。

「咲?」

 いつの間にか眠ってしまった咲は、戒の声で目を覚ました。

「ダメだろ、こんなところで寝ていたら。夕飯は食べた?」

「ううん」

咲の返事を聞くと、

「ちょっと待ってなさい。すぐに作るから」

戒は疲れた様子を見せながらも、キッチンへと向かおうとした。

「お兄ちゃん」

咲は戒を呼び止めた。戒がゆっくり振り返ると、咲の深刻な顔であった。

「どうした?」

 戒はとりあえずリビングの椅子に腰掛けると心配そうな表情で尋ねた。

 しばらくうつむき押し黙っていた咲は、ゆっくりと口を開いた。

「お兄ちゃん。精神科医として、今の私はどう思う? 夢遊病かな? それとも何か違う病気?」

あまりに唐突な話で戒は目を丸くした。

「最近、夜な夜な活動をしていることを気にしているのか?」

戒は咲の質問の意図を読み取ると、咲に尋ねた。すると、咲はうつむいたままコクリとうなずいた。

「そうだな、可能性は高い」

戒が正直に答えると、咲は今にも泣き出しそうな表情を浮かべた。

「治るかな?」

「もちろん治るさ。ここ最近、色々なことがあったせいでストレスが溜まっているんだろう。時間が経って、気持ちが落ち着けば良くなるよ」

咲は戒の話を聞くと、

「わかった。ありがとう」

顔を上げ、笑顔で答えた。

「すぐに夕飯を作ってやるから、着替えておいで」

 戒は咲の頭をポンッと叩くと、キッチンへと向かった。咲はその場で一息つくと、ゆっくりと席を立ち、着替えるために部屋へと向かった。

 夕食を終え、風呂を入り終えると、いつまでも咲はテレビを見ていた。

「咲、明日も学校だろう。早く寝なさい」

戒にそう言われても、咲は一向に部屋に戻ろうとしなかった。言葉ではわかったと言って見せても、実際には眠るのが怖いのである。

「今日は仕事が残っていて遅くまで起きているから、安心して寝なさい」

当然そのことに気がついている戒は、咲に近づくと優しく声をかけた。

「うん」

咲はそう言うと、無理に笑顔を作った。そして、テレビを消すと部屋へと歩いていった。

 

 暗闇の中で目を覚ました咲は、その見慣れた雰囲気に、すぐさまそこが夢の中であると理解した。

『私のために彼が苦しんでいるのなら、救ってあげて欲しい。最愛のあの人のためなら、私はどうなってもかまわないから。そうでしょう?』

『哀さんね? 誰のことを言っているの?』

どこからともなく聞こえてくる声に、咲は声を張り上げて尋ねた。

『私が間違っていたの。あの時は彼を止める唯一の手段だと思った。でも、結果はあの人を苦しめることに……』

次第にかすれてゆく声を聞いた咲は、いつか見た雨の日のいじめられている男の子を思い出した。

『あの、いじめられていた男の子?』

咲が落ち着いた口調で尋ねると、咲の視線の先に突如現れた女子高生は小さくうなずいた。

『また間に合わなかった。これで三人目。もう時間がない』

彼女は祈るように手を組むと、静かに姿を消していった。

『ちょっと待って』

咲は彼女に駆け寄ったが、すでに姿なく、顔を見ることはできなかった。

 

 部屋のドアが叩かれる音を聞いて咲は目を覚ました。すると、自分が白いコートを着ていることに気づいた。

「咲、学校に遅れるよ」

ドアを開けて入ってくる戒の顔を見て、

「私、昨日も外に出たの?」

咲は不安を浮かべて尋ねた。

「ううん。昨日は部屋から出ていないはずだよ。肌寒かったから気がつかないうちに着込んだんじゃないかな?」

戒は咲を安心させるために優しく微笑んだ。

「お兄ちゃん、ずっと起きていてくれたの?」

「ああ。仕事も溜まっていたしね。さぁ、起きてご飯食べよう」

戒は部屋を出ると、食事が用意されているリビングへと向かった。

 咲もまたリビングに向かうためベッドから出た。すると、シーツが濡れていることに気がついた。咲はコートに目を移した。コートは所々濡れていた。

 咲は慌てて部屋のカーテンを開いた。外は晴れていたが、地面は随分濡れていた。

 疑念が拭い去れなかった咲だが、今は戒の言葉を信じ、コートを羽織ったままリビングへと向かった。

 二人が食卓に着くと、戒はテレビの電源を付けた。すると、どのニュース番組でも昨夜深夜の一時ごろに起こった殺人事件に関する報道が流れていた。

「えー、今回の事件も一番目の被害者川本鳴海さん、二番目の被害者中村真也さんと同様に胸に刺青があったそうです。被害者はクロウドカンパニーに勤める西脇ひさし氏四十八歳。西脇氏は十年ほど前に人間のクローンを作ろうとして社会追放された……」

レポーターの報道が始まると、戒は急いでテレビを消した。

『また間に合わなかった。これで三人目。もう時間がない』

夢に出てきた哀の言葉が頭を廻った。

「明日は土曜日だな。俺も仕事が休みだし、里絵ちゃんも誘ってどこか行こうか?」

表情を曇らせた咲を見て、戒は話題を切り替えるように慌てた様子で話しかけた。咲はそんな戒の様子を見て、

「うん、そうだね。今日、誘っておくね」

クスッと笑いながら答えた。

 学校に着くと咲は教室で早速今朝の話を里絵に伝えた。

「明日? いいよ」

「やった。じゃあ、明日ね。どこ行こうか?」

咲と里絵はその日一日、明日の予定を立てて盛り上がった。

 陽が沈まないうちに咲は商店街で買い物をし、学校から帰ってきた。そして、咲が玄関の扉を開けると、電話の前で立ち尽くしている戒の姿が目に映った。

「あれ、お兄ちゃん? 今日は早いね」

「あ、ああ」

咲が驚いた様子で言うと、戒はぎこちなく答えた。咲はその表情に違和感を覚えながらも深くは追求せず、買い物袋を戒に手渡して部屋へと着替えに行った。すると、ドアの向こう側で戒が何やら重い口調で話し始めた。

「咲、さっき北島さんから電話があってね。明日また話を伺いたいらしいんだ。だから、咲と里絵ちゃんの都合がよければ出かけるのは日曜日にしよう」

「うん、わかった。後で里絵に電話しておくね」

先ほどの戒の表情は、自分のことに気を使ってくれていたからだと気づいた咲は、明るい口調で返事をした。

 夕食を終えると、咲は里絵に電話をかけて事情を説明した。

「里絵ちゃん、何て?」

戒が電話をかけ終えて戻ってきた咲に尋ねると、

「日曜日は都合が悪いらしくて、また今度誘ってだって」

咲は残念そうに答えた。

「そうか。里絵ちゃんには悪いことしたな」

戒は息をつき、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「きちんと埋め合わせしないとね」

「ああ、そうだね」

二人の間を少し重い空気が流れ始めた。すると、二人は黙ったまま、戒は食器を片付け始め、咲はお風呂を入れに行った。そうして、いつものように夜は更けていった。


 翌日、二人が昼食を終え、戒が食器を片づけているとインターホンが鳴った。

「北島さんかな?」

戒はタオルで濡れた手を拭うと、玄関へと向かった。すると、咲は湯飲みを取り出し、お茶を入れる準備を始めた。

「こんにちは」

玄関の扉を開けると、北島が顔を覗かせた。

「お待ちしていました。中へどうぞ」

戒は北島と同行している二人の刑事を家の中に招き入れると、

「咲、北島さんたちが来られたよ」

声を上げて咲に知らせた。

「こんにちは、北島さん。今日は他の刑事さんも一緒なんですね」

咲はキッチンから顔を覗かせると、彼らを笑顔で迎え入れた。

「ええ、この後また捜査に向かわないといけませんから」

「大変ですね。すぐお茶を入れますからリビングでお待ちください」

咲はそう言うとキッチンに戻り、お茶を入れた。

「どうぞこちらへ」

戒は北島たちをリビングに案内すると、北島たちと戒は席に着いた。

 お茶を入れ終え、咲が席に着くと北島は早速、

「それで、その後体調のほうはどうですか?何度か倒れられたと伺いましたが」

咲の顔を窺いながら話しかけた。

「大丈夫ですよ」

咲は笑顔で答えると、北島も安心したのか穏やかな笑みを浮かべた。

「それで、今日はどういったご用件でしょうか?」

戒が北島に尋ねると、北島は気まずそうな表情を浮かべ、言いにくそうに話し始めた。

「お二人は一昨日の一時頃、家にいらっしゃいましたか?」

「一昨日ですか。二人とも家にいましたよ。私は部屋で仕事をしていましたし、咲はもう部屋で休んでいました。なぜです?」

戒が眉をひそめると、北島は頭を掻きながら、更に難しそうな表情を浮かべた。

「実は、一昨日の事件現場で白いコートの少女が目撃されまして」

そんな北島の様子を見かねて、隣に座っている刑事が話をきり出した。

「白いコートの少女? もしかして、咲が疑われているのですか?」

戒は突然疑いを掛けられたことに驚きを隠しきれず、ただ目を丸くして尋ねた。

「いえ、咲さんは第二の事件発生当時にアリバイがあります。ですから、容疑者ではなく、何か知っている、あるいは思い出した上で行動しているのではないかと思いましてね」

北島が落ち着いた口調で戒に説明すると、

「咲さん、一昨日の夜のことを話していただけますか?」

次いで咲に尋ねた。

 咲はうつむいたまま黙りこくっていた。戒の言うとおり自分は部屋で寝ていたと、何度も北島に弁明しようとしたが、事実として無意識のうちに夜な夜な出歩いていることや一昨日も知らず知らずのうちに白いコートを着ていたことから自分の行動に自信が持てずにいたのである。

「咲さん?」

咲の様子を見ていた北島は、咲の顔を覗きこむように話しかけた。

冷や汗をかき、目が泳いでいる咲を見て、不信感を抱いた北島は、警察署のほうでゆっくり話を伺うべく、その旨を咲と戒に伝えようと口を開いた。しかし、その言葉が発せられる前に、

「待ってください。咲は部屋で寝ていたと先ほどお話したでしょう? 咲はあの事件以降、心が不安定になっているんです。今、言葉が出てこないのもそのためです」

戒は咲をかばうように説明した。北島は戒の目をジッと見つめると、再度咲の顔を覗きこんだ。

「精神科医として、咲の主治医として、これ以上の聴取は認められません」

戒が強い口調で付け加えると、

「……わかりました。しかし、白のコートは押収して調べさせていただきます」

専門家の意見を聞いた北島はこれ以上の聴取は危険であり無意味であると判断した。

「わかりました。コートは咲の部屋にありますので、すぐ持ってきます」

「いえ、こちらの者に取りに行かせます」

北島はそう言うと、隣に座っていた刑事にコートを取りに行かせた。

 コートを押収し終え、刑事が戻ってくると、

「では、今日はこれで帰ります」

北島は戒と咲に向かって言うと、静かに席を立った。そして、北島が未だうつむいたままの咲を心配そうに見つめた。

「大丈夫です。突然のことで少し気が動転したのでしょう。少し休めば良くなりますから」

戒は悲しげな表情を浮かべながらも、北島にそっと微笑みかけた。

「すみません。しかし、我々は万一の可能性も捜査しなくてはいけませんので」

北島たちは軽く会釈をすると、戒に弁解した。

「わかっています」

戒はそう言うと、北島たちを玄関まで送った。

「手分けして二人を見張ってくれ。俺は目撃者に話を伺ってくる」

 北島は車に乗り込むと、同行していた二人の刑事に指示を出し、刑事二人を残して一人車を走らせた。

 一方、北島たちを見送り、リビングに戻ってきた戒は、うつむいたままの咲をそっと抱きかかえ、部屋へと連れて行った。そして、咲をベッドに寝かせると、戒は咲の手をとり、なぜか静かに涙を流した。

「北島さんたちは?」

 頬に落ちた涙に反応して正気に戻った咲は疲れ果てたような顔で戒に尋ねた。

「さっき帰ったよ」

戒の声を聞き、戒のほうを向いた咲は、戒が涙を流していることに気づいた。

「何で泣いているの?」

咲もまたもらい泣きし、涙を流しながらも戒を笑いながら尋ねた。戒は何度も首を横に振り、咲の手におでこを押し当てた。

「お兄ちゃん、もしかして私」

「咲、つまらないこと考えるな」

咲の言葉を遮るように戒が強い口調で言うと、

「ごめん。ごめんね」

咲は静かに目を閉じ、涙を流した。

 夕陽がカーテンの隙間から差込み、二人を優しく包んだ。戒は咲が眠るまで手を握り、傍にいた。咲は安心したのか、穏やかな表情で眠りについた。


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