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葬儀

 咲は暗闇の中で立ち尽くしていた。

『殺して。お願い、殺して』

咲はどこからともなく聞こえてくる声に辺りを見渡した。気づくと手には血のついた小刀を持っており、白いコートは血で赤く染まっていた。

『いやぁー』

咲は悲鳴を上げた。すると、次の瞬間、見慣れない制服の女子高生の姿が頭を巡った。その姿は口元までしか見えず、その女子高生がどのような顔をしているのはわからなかったが、こぼれ落ちる涙とうっすら浮かぶ優しい微笑が印象的で、それでいて、どこか妙に懐かしさと哀しさを覚えた。

 

 咲が目を開けると、見慣れた天井がそこにあった。そして、ふと時計に目を遣ると時刻は深夜二時を回っていた。

「夢?」

咲はホッと息をつくと、胸をなで下ろした。すると、廊下から慌しく駆けてくる足音が聞こえた。

「咲」

心配そうな顔をして戒がドアを開いた。咲の悲鳴を聞いて駆けつけたのである。

「お兄ちゃん?」

咲はゆっくりと起き上がると、なぜ戒が家の中にいるのか判らず、不思議そうな表情を浮かべた。そして、戒の横にいる見慣れない男へと視線が動いた。

「初めまして。警視庁の北島と申します」

警視庁という言葉を聞くなり、血を流す鳴海の姿が咲の脳裏を過ぎり、一瞬身体を震わせた。

「お父さんは?」

目を見開いて必死に尋ねる咲に対し、

「鳴海さんは、二日前に亡くなりました」

北島は極めて冷静に答えた。すると、咲は途端に顔を蒼くして震えだした。

「今日の朝、葬儀を行うから、今はお休み」

その様子を見ていた戒は、咲に優しく声をかけ横に寝かせると、布団をかけた。

「だけど、今日がお通夜なんでしょ?」

「弔問者はもう帰ったし、今日は俺と刑事さんが起きているから心配ないよ。咲は葬儀に備えて寝ていなさい」

咲の今にも泣き出しそうな顔から発せられる切ない声を聞くと、戒は咲を安心させるために優しく微笑みながら咲の頭を撫でた。その様子を見ていた北島も本日中の事情聴取はあきらめたのか、

「戒さんの言うとおりだ。まだ休んでいたほうがいい」

優しく微笑みかけた。

「居間にいるから、何かあったら声をかけなさい」

戒はドアのほうへと歩きながら言うと、二人は咲の部屋を後にした。

 ドアの閉まる音を聞くと、咲は一息つき、再び目を閉じた。しかし、先ほどの夢がどうにも気になってしまい、中々寝付くことができなかった。

「……お父さん」

鳴海との数少ない思い出を想い返しながら、居間にいる戒たちに声が聞こえないように布団に潜り込み、声を殺しながら静かに涙を流した。そして、泣き疲れたのだろうか、気づくと咲は布団に潜り込んだまま眠ってしまった。

 

 陽が昇り、すずめの鳴き声が街に響き渡る頃、戒が咲を起こしにやって来た。

「咲、そろそろ起きて支度しなさい」

朝食の準備をしていた戒は、エプロンを着けたまま咲のベッドに腰掛け、咲の肩を揺すった。

「うーん」

目を擦りながらゆっくり起きる咲の顔を見て、優しく微笑みながら、

「涙の跡が付いているよ。顔を洗っておいで」

戒は咲の頭を軽く撫でると、ゆっくり咲を引っ張り起こした。すると、数日間ほとんど一日中眠っていた咲は、足元が安定せず、時折ふらつきながら洗面所へ向かった。

 洗面所で鏡を見た咲は、涙の跡や寝癖でクシャクシャになっている自分の顔を見て、思わず笑ってしまった。

(すごい顔しているなぁ)

咲は蛇口を目一杯捻ると、勢いよく洗面所に頭を入れた。

顔を洗い、寝癖を直し終わると咲は居間へと歩いていった。すると、居間には朝食が並べられており、戒と北島がすでに席に着いていた。

「咲、ご飯食べよう」

「うん」

咲は笑顔で戒に答えると自分の席に座った。

「すみません。連日食事まで頂いてしまって」

「いいえ。住み込みの用心棒を雇っていると思えば安いものです」

北島が頭に手を当てながら申し訳なさそうに言うのに対し、戒は笑いながら答えた。すると、咲もいつものように優しく微笑んだ。その笑顔は、その空間にあるすべてのものを暖かく包んだ。そして、それを見た戒と北島は安堵の表情を浮かべ、互いを見合い、照れくさそうに微笑んだ。

 皆が食事を終えると、咲は食器をまとめ始めた。

「片付けは俺がやっておくから、準備しておいで」

「うん」

咲はまとめた食器を戒に手渡すと静かに席を立ち、部屋へと戻っていった。

「あんなにも周囲を温かい気持ちにさせる笑顔、久しぶりに見ましたよ。こんな時なのに、強い娘ですね」

「笑顔には人の心を和ませ、癒す力があります。他人だけでなく自分も含めて。咲はそれを最大限に発揮できる娘なのでしょう」

北島がニコニコと微笑みながら言うのを聞くと、戒は笑顔で答えた。そして、戒は食器を台所へと運んだ。未だ、穏やかな気持ちに包まれている北島は、しばしその余韻に浸った。

 咲は制服に着替えると、鳴海の棺の前で立ち尽くしていた。呆然と鳴海の顔を見つめる咲の気持ちを代弁するかのように、外ではポツポツ雨が降り始めた。

 鳴海は一人身であり、両親もすでに他界していたため、弔問者は鳴海の仕事関係と知人、咲の担任と友達、近所の方々程度であった。

「この度は、ご愁傷様です」

「足元の悪い中、わざわざすみません」

 弔問者が集まると、咲と戒は決まりきった挨拶を交わし、彼らを家へと招き入れた。そして、関係者が集まると、葬儀が執り行われた。

 読経が終わると、捜査で鳴海の遺体がお通夜の日の夜まで還ってこなかったため、お別れをする時間を設けようと出棺までしばし時間を置くこととなった。

「友達のところに行っておいで」

戒は、そっと咲の背中を押した。咲は小さくうなずくと、うつむいたまま担任や友達のところへと向かった。

「わざわざすみません」

咲が周りに聞こえるか聞こえないかくらいの声で一言声をかけると、

「大変だったね」

咲の通う高校の担任が咲の肩に手を置いた。そして、気づくと咲は友達に囲まれていた。

「咲、大丈夫?」

「ありがと。私はもう大丈夫だよ」

一人がハンカチで顔を覆いながら、咲に話しかけると、咲はいつものように優しく微笑みながら、その娘を抱きしめた。しかし、堪えきれない涙が、静かに咲の頬を流れていった。それを見た友達も大粒の涙を流した。そして、しばらくの間、咲たちは黙ったまま涙を流し続けた。

「咲、そろそろ」

 戒は咲にそっと歩み寄り声をかけると、咲の担任や友達に頭を下げた。

「うん」

咲は声を震わせながら答えると、戒に肩を抱かれて鳴海のもとへと歩いていった。

 棺は鳴海の知人によって霊柩車へと乗せられた。そして、咲は鳴海の遺影を持つと、霊柩車に乗った。

 ゆっくりと発車する霊柩車の中から、咲は合掌する人たちを見つめながら、涙を堪えて何度も小さく頭を下げた。戒も自分の車に乗ると、鳴海の知人を数人乗せ、霊柩車の後ろをついて火葬場へと向かった。

 

 火葬場に到着すると、棺はすぐさま炉前へと運ばれた。そして、僧侶が読経を終えると、それぞれが鳴海のもとへと歩み寄り、最期の別れを行った。

 咲はその様子を後方から静かに見ていた。すると、先に鳴海との別れを終えた戒が咲に歩み寄り、花を手渡した。

「行っておいで」

それを聞くと、咲は小さくうなずき、鳴海のもとへとゆっくりと歩いていった。一歩進む度、こぼれ落ちる涙に周囲の人たちは言葉を失くし、道を開けた。

 心臓の鼓動さえ響き渡りそうなくらい静まり返ったその空間で、咲は棺の横に立つと、鳴海の顔の横に花を添えた。咲は幾度となく想いを言葉にしようと口を開いたが、溢れる感情と涙で言葉にすることができず、何度も口をパクパクさせた。

「ありがと」

咲はようやく一言想いを発すると、咲は涙でくしゃくしゃになった顔でいつものように微笑んだ。すべての想いが詰まったように感じられたその笑顔は他のどのような言葉も不要にさせた。周囲の人々もその笑顔を見るなり、再度激しく涙を溢れさせた。

「そろそろ時間ですので」

係りの人の一声で咲は棺から一歩離れた。すると、係りの人は手際よく棺のふたを閉めた。そして、僧侶の読経が始まると、参列者は線香を棺の上へと載せていった。

 戒が線香を載せ終わると、最後に咲が残りの線香を上に置いた。

「バイバイ」

咲が優しく微笑みかけ、手を振ると、鳴海は炉の中へと消えていった。

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