黄泉ガエリ
咲は戒の後について森の中へと入っていった。
「お兄ちゃん、どこまで行くの?」
黙ったまま森の置く深くへと進んでゆく戒を警戒しつつ咲が尋ねると、
「もうすぐだよ」
戒は足を止めて振り返り、いつものように優しく微笑みかけた。そして、咲が小さくうなずくのを見ると、再び黙ったまま歩き始めた。
しばらく歩くと、森の中に少し拓けた場所へと行き着いた。地面には奇妙な模様が描かれており、戒はその中心に咲を誘導すると、哀しげな表情でしばらく空を仰いだ。そして、戒はすべてを打ち明ける覚悟を決めると、腰元から小刀を取り出して、黙ったまま咲に手渡した。
(こ、これ。もしかして…… うっ)
咲は小刀を手にした瞬間、頭が割れるようなひどい頭痛に見舞われた。
「そう、君が自らの命を絶ったものだよ」
戒は咲が頭を抱えてうずくまるのを哀しげな瞳で見つめながら話し始めた。
「違う色の絵の具が混ざるような感覚かな? 咲の記憶に哀の記憶が注ぎ込まれているだろう。催眠療法の応用で君がこの刀を手にすると、二人を隔てていた障壁がくずれるようにしてある」
何とか頭痛が治まると、咲はその場に座り込んで戒を憐れむ様に見つめた。
「始まりは、西脇ひさしがカウンセリングに来たことだった。彼はクローンを作ったことを非人道的行為とされて社会追放され、苦しんでいた。カウンセリングが進み、彼が立ち直る頃、俺は君のクローンを作るよう依頼した。すると、彼は喜んで依頼を受けたよ。彼はすぐさま、十年前のクローン実験で資金援助をしていた政治家里山祐貴に連絡をして、再度資金を出させた」
「お父さんを巻き込んだのはなぜ?」
咲が今にも泣き出しそうな表情で尋ねると、
「今回の計画には哀のDNAと医者が必要だった。鳴海さんは俺と哀のことを知っていたからね。哀の肉体を蘇らせたら、同情して協力してくれた。哀の方のお父さんは哀の髪の毛を持っていたから、それを提供してもらった」
戒は遠くを見つめ、決して哀の顔を見なかった。自分のしたことが許されることではないとわかっており、哀の顔を直視できなくなっていたのである。
「君の身体をクローン技術で蘇らせた後、黒魔術で君の魂を黄泉返らせた。そして、俺が君の記憶を作り換えた。その記憶は君が一番よく知っているね。施設で育ち、時々俺と遊んだという咲の記憶だよ」
哀もまた戒を責めることはなかった。彼は気が振れて、我を忘れて今回のことを行ったのではなく、理性で非人道性を認識し、苦しんでいたことに気づいていたからである。哀はただ黙って話を聞いた。
「君は川本咲として第二の人生を歩き出す予定だった。高校卒業し、大学進学、卒業、結婚…… 君の幸せを、君の笑顔を遠くから眺めているつもりだった。それで十分だった。しかし、事件が起こってしまった」
戒は哀の憐れむような眼に触れることを苦痛に感じ、ゆっくりと哀の後ろへと回った。
「川本鳴海を殺害したのは君のお父さん、中村真也だ。 ……それによって君を留めておく黒魔術の呪縛のバランスが崩れた」
戒の言葉を聞いて哀は目を泳がせた。
「どうして、お父さんが? 人を殺せるような人ではなかったのに」
哀は眉間にしわを寄せると、悔しそうな表情で戒に尋ねた。
「君のお母さんは、君が亡くなってすぐに後を追った。それからお父さんはずっと孤独の中で生きてきたんだ。そんな中、娘が生き返った。当然彼は君を引き取りたいと願い出たが、俺と鳴海さんは記憶が呼び戻されることを恐れて許可しなかった。それで……」
「それで、鳴海さんを殺して取り戻そうとした?」
風が強く吹き始め、雲の流れが早くなった。哀はうつむきながら白いコートが飛んでゆかないように手で押さえた。
「哀のほうが詳しいだろうが、黒魔術には悪魔との契約が必要となる。哀を黄泉返らせると同時に奴にも呪縛をかけたため、バランスが保たれているうちは問題なかった。しかし、鳴海さんの死で奴は動けるようになってしまった」
哀はふと戒がリビングで、また、沖縄で誰かと話している姿を思い出した。
「奴が呼び出した人間を殺すだけで満足すれば、俺の命を差し出して終わりだった。しかし、奴は一番に君の魂を望んだ」
戒はこぼれ落ちそうな涙を堪えるべく、歯を食いしばり、空を見上げた。
しばらく沈黙が続いた後、
「俺は奴に君を渡さないため、すべての鎖を解き放ち、在るべき場所に還すため、白魔術『黄泉還り』を行うことにした。君のお父さんと西脇を殺害したのはこの俺だよ」
戒は静かに語った。
哀は突然に、紛れもなく自分の最愛の人が父親を殺害したという事実を知らされて、大粒の涙を溢し始めた。
「四人目は? 私たちは沖縄にいたのに」
「あれは親父に頼んでしてもらったことだよ。黒魔術をかける俺を除いて五芳星を完成させるためにはもう一人必要だった。最初は猛反対を受けたが、最終的には他の誰かを巻き込むくらいならと協力してくれた。そして、哀を還し、全てを終わりにするために、里山さんを殺害してもらった」
突風が吹き、辺りが突然黒い影で覆われると、地面に描かれていた模様が何やら光りを帯び始めた。すると、哀は目の前に夢で現れた悪魔の姿を見た。
「大丈夫。奴はこれ以上近寄れないから」
戒は優しい声色で哀に言うと、静かにうつむいた。
「何が起こっているの?」
哀は振り返り、戒の顔を見ると怯えた表情で尋ねた。
「五芳星の呪縛が解けたんだよ。 ……親父が息を引き取った。そして、同時に白魔術の術式が完成した」
戒は涙を溢しながら声を押し殺して答えた。
「どうしてこんなことをしたの? 大切な人を犠牲にして」
「君の声が聞きたかった。笑顔が見たかった。君に、君の温もりを、君を見失うことが怖かったんだ」
戒は言葉を詰まらせながらも、必死に言葉にならない想いを紡いだ。そして、その場で膝を付く戒を哀は優しく受け止めた。
「いつも傍にいたじゃない。それなのにあなたはシーツなんか被せてしまって」
哀は膝の上で泣きじゃくる戒の頭に額を乗せた。
「彫刻にこんな温もりはないだろう?」
「あるよ。 ……少なくとも、昔のあなたならあれを見ただけで私を感じてくれた。そんなあなただからこそ、残して逝けたの」
哀は戒の顔を起こすと、優しく抱きしめた。すると、戒はまるで母親に泣きつく子供のように哀の胸の中で涙を流した。
(いつからだろう? 俺は既に君を見失っていたんだね)
しばらくの間、戒は哀の温もりに浸った。そして、覚悟を決めると哀の足元に置いてある小刀を手に取り、哀に手渡した。
「私が悪魔に身を捧げたら、あなたは犠牲にならずに済むんでしょう?」
「いや、奴の最大の目的は術をかけた俺が苦しむ姿を見ることだ。第一に君を狙ったのはそのためだよ。後々殺されることになるだろう」
戒は哀の手を握り、刃を左胸に当てると、いつもの優しく穏やかな表情で微笑んだ。
「黄泉還りを行うためには、呪いをかけられた者がその手で術者を殺めなければならない」
冷静に話す戒の言葉を聞いた哀は涙を流しながら必死に手を引きながら首を横に振った。
「どうしてもっと早く気がつかなかったの?時間は戻らないんだよ」
「……ああ、そうだね。哀が教えてくれた、『黒魔術は自然の摂理を歪める行為、その修復のためには用いた者に災いが降りかかる』というおじいさんの言葉、俺はこの命を賭して修復しないといけない」
終始穏やかな表情を浮かべる戒を見て、哀は覚悟を決めた。そして、哀は優しく微笑み、小さくうなずくと、ゆっくりと小刀を戒の胸に突き刺していった。戒は哀を強く抱きしめると、
「二人はまた巡り逢えるかな?」
哀の耳元で囁いた。
「当たり前でしょ。二人が巡り逢うのは摂理の中の出来事だよ」
哀が涙を流しながらも笑いながら答えると、戒もまた声を上げて笑った。
「……先に逝くよ」
「……うん」
戒の呼吸が止まるのを感じると、哀は戒の身体を強く抱きしめた。
「私はバカだ。わずかな時でも最愛の人が先に逝くことが、これほどまで辛いなんて。ごめんね、戒。ごめんね」
戒の安らかな亡き骸を抱え、哀は涙を溢れさせた。すると、哀の身体は光を帯び始めた。
「すぐに逝くよ、戒」
哀は戒を強く抱きしめ、天使のような満面笑みを贈った。すると、同時に哀の身体はみるみる灰になっていった。その場には白いコートだけが残され、それは優しく戒の身体を包んだ。
戒が息を引き取ると同時に彫刻を覆っていた鎖が崩れ、風に吹かれてシーツが舞った。
「これは……」
調べを進めてその場に来ていた北島は、まるで聖母の様なその表情に言葉を失った。




