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進展

 里絵が帰郷して咲が一人立ち直ろうと努力している頃、北島は第四の事件を追って富良野に来ていた。

「北島刑事ですね? 私、北海道警察署の古井と申します」

 車を降りて事件現場にゆっくりと歩いてくる北島の姿を見るなり、サングラスを掛け、あごに薄っすらと髭を生やした三十代後半くらいの男が声をかけた。

「警視庁の北島です。早速ですが事件の詳細を説明していただけますか?」

北島が警察手帳を見せると、古井もまた手帳を取り出し、事件の詳細を説明し始めた。

「事件発生は八月四日十四時五分。被害者は政治家の里山祐貴、六十六歳。死因は左胸部を刺されたことによる出血死です」

北島は話を聞きながら手帳にメモし始めた。

(その時間、彼らは沖縄にいたはずだ。これで春日戒には一、四の事件にアリバイが、川本咲には二、四の事件にアリバイがあることになる。彼らは事件に関係ないのか? いや、共犯者がいる可能性もある)

北島は自問自答して考え込んだ。

「北島刑事? いかがされました?」

難しい顔つきの北島の顔を古井は心配そうに覗き込んだ。

「いや、別に。それより、連絡を受けたときに目撃者がいると聞きましたが?」

北島が尋ねると、古井は表情を曇らせた。

「どうかしました?」

「いや、ね。その目撃者というのが、この辺りで有名な頭のおかしい婆さんでして。証言も訳がわからないことを言っているだけなんですよ」

古井は苦笑を浮かべた。

「どんな証言ですか?」

北島は真面目な顔をして古井に尋ねた。

「何でも、風に乗ってやって来た黒い影が里山氏の左胸を小刀で貫いたそうです。そして、黒い影は消えていった」

話を聞いた北島は腕を組んだ。

「何やら神がかった証言ですが、黒い影というのはおそらく黒コートの人間でしょう。事件現場で目撃証言が出ています。それに凶器は小刀と明確に証言されている」

北島は話をしながら煙草を取り出し、火をつけると、

「より詳しい証言を伺いたい。そのおばあさんのところに案内していただけませんか?」

続けて古井にお願いした。

「上司からあなたの指示に従うよう言われています」

古井は一瞬渋い顔をしたが、そう言うと北島を自分の車まで案内した。そして、古井は北島を自分の車に乗せ、目撃者の住む家に向けて出発した。

 北島が案内された家は、草原に一軒佇むまるでお化け屋敷のような廃れた家であった。

「ここになります」

古井はサングラスを中指で上げると、渋い顔でその家を指差した。

「すごい家だな」

北島は苦笑を浮かべながら車を降りると、二人は扉が外れかけている玄関に向かった。

「先月、近所の人がこの辺りで犬の散歩をしていたら、ばあさんに犬を盗まれて食べられそうになったという事件がありました。そんなこともあって、近づくとばあさんに喰われるという噂も立って、今となっては新聞の勧誘も近づきませんよ」

古井も車を降りると、ため息をつきながら北島の少し後方を歩いていった。

「まさか、本当に食べられることはないでしょう」

北島は古井に笑いかけると扉を優しく叩いた。

「こんにちは。警視庁の北島です」

北島は声を上げた。しかし、中からは物音一つしなかった。

「すみません。どなたかいらっしゃいませんか?」

北島が再度声を上げると、

「聞こえているよ。しつこいね」

腰に手を添えた老婆がゆっくりと歩いてきた。

「それで、今度はどんなでっち上げで文句を言いに来たんだい?」

老婆は落ち着いた口調で北島に尋ねた。

「このご婦人が目撃者ですか?」

老婆の姿を見てどこか気品を感じた北島は、古井に小声で尋ねた。

「ご婦人だって? カッカッカ。 ……あんたは口の利き方を知っているようだね。まぁ、上がりなさい」

気を良くした老婆はニヤリと笑みを浮かべて二人を家の中へと招き入れた。

 居間に案内された北島たちは、テーブルの前で腰を下ろした。家の中は外観とはうって変わって、物はきちんと整理されていた。また、家具も腐朽した様子が見られなかったため、北島は驚いた様子で辺りを見回していた。

「納得いかないかい? 中がきちんとなっていて」

お茶を運んできた老婆は、北島の心を見透かすようにジッと顔を覗きこみながら尋ねた。

「いえ、そういう訳ではありませんよ。驚きはしましたが」

北島は老婆の眼を見て答えた。

「玄関が壊れているのは家の老朽化が原因ではないのさ。近所の心無い人間の仕業。年金暮らしの年寄りでは玄関が壊されても、窓ガラスが割れても直すことが出来ないからね」

老婆はお茶を配ると、ゆっくりと腰を下ろした。

「仕事や家庭、学校、日常生活、さまざまな場面で抑圧が起こる現代社会では、バランスをとるためにその掃溜めを必要とする。その役回りが私に来ただけさ」

老婆は暗い面持ちを浮かべたまま、ゆっくりとお茶をすすった。

「そんな。警察には言わなかったのですか?」

「もちろん言ったとも。でも、世間で私はいかれた婆さんだからね。昔の話を持ち出して、まともに取り合う警官なんていなかった。私を保護したら、私を掃溜めとしている連中が黙っていないしね」

老婆はその表情を変えることなく、坦々と話した。

「それで、今日は何の用だい? 今更、保護しに来たわけでもあるまい。犬を喰おうとしたという噂を信じて逮捕でもしに来たかい?」

老婆は二人をからかうような口調で話しかけた。

「いえ、今日はあなたが目撃されたという殺人事件について話を伺いに来ました。調書によりますと、黒い影が被害者を刺して消えたとなっていますが?」

北島は真剣な面持ちになると、話を始めた。すると、老婆は深くため息をついた。

「調書って誰のだい? 私は一度も警察に話を聞かれていないよ。」

 北島は驚きを隠しきれなかった。

「どういうことです?」

北島は古井の顔を睨み付けるかのように鋭い視線を送った。

「え、えー。調書の証言者は岡本優さんとなっています」

古井は慌てて調書を開くと、指で調書をなぞりながら北島に答えた。

「それは私が警察と救急車を呼ぶよう頼んだ人間だね」

二人の言葉を聞いて、北島は古井に向けて呆れ顔を浮かべた。

「申し訳ありません。今回のことにつきましては、きちんと調査を致します」

北島は深々と頭を下げた。その様子をジッと見ると、老婆はお茶をすすり、一息ついてゆっくりと話し始めた。

「私が見たのは黒いコートの人間だよ。犯人は左胸を刺して殺した後、服をめくり上げて刺した跡を眺めていたね」

(刺した跡? 何のために)

北島は眉間にしわを寄せて首を傾げた。

「それで、その人物の顔は見ましたか?」

「いや、後姿しか見なかったね」

北島は手帳を取り出し、メモし始めた。

「何かわかることはありませんか? 犯人の性別やおおよその年齢などは?」

「中年の男だった気がするねぇ。何せ後姿だけだから、年齢まではちょっと……」

(……中年男性?)

北島は複雑な顔をして、ペンで頭を掻いた。

「凶器は犯人が持ち去ったんですか?」

「ああ、そうだよ」

北島は一通り質問し、書き終えると一息ついた。

 そして、しばらく沈黙が続いた。

「被害者は呪われた人間だね。犯人も同じじゃないかね?」

北島は老婆のその発言に敏感な反応をした。

「どういうことですか?」

「被害者の胸に焼き付けた刻印があったろう。五十年くらい前に似たような事件があってね。黒魔術で呪いをかけて殺したと犯人が証言したものだよ。悪魔に魅せられた不幸な人間さ」

 北島は難しい顔をして考え込んだ。黒魔術という非現実的な言葉に戸惑いを隠しきれないと同時に五十年前の事件について調べる必要があるかどうか決めかねていたからである。

(犯人像は後で似顔絵を作成するとしても現段階で証拠もなければ、犯人の目処もなし。当たってみるしかないか)

北島は渋い顔をした。

「……ここらに大きな図書館、資料館はありますか?」

北島が古井に尋ねると、

「調べるんですか?」

古井は疑念の眼差しで北島の顔を見た。

「ええ。私は五十年前の事件を、黒魔術に関しては捜査本部の捜査員に調べさせます」

北島はそう言うと、携帯電話を取り出し廊下へと出た。

「もしもし、小柳か? 北島だ」

「どうも、小柳です」

 北島が話し始めると、老婆はゆっくりと立ち上がり、タンスから箱を一つ取り出した。

「刺青に関してだが、奇妙な話になるが黒魔術に関わっている可能性がある。念のため手の空いている捜査員と協力して調べてみてくれないか?」

「黒魔術? ……わかりました。調べてみます」

小柳は北島の話に一瞬困惑を浮かべたが、命令ゆえにすぐさま了承した。

 北島は小柳に北海道での捜査状況を話し終えると、居間へと戻った。すると、テーブルの上に箱が一つ置かれていた。

「それは?」

北島が老婆に尋ねると、

「さっき話した黒魔術の事件の記事と資料さ」

老婆は相変わらず坦々と話したが、その瞳には悲しみを満ちているように感じられた。

「お茶が冷めちまったね」

老婆はゆっくりと腰を上げると、お茶を入れ直しに台所に向かった。

 北島は老婆の背中に小さく頭を下げると、箱を開けた。その中には新聞紙から黒魔術に関連する事柄の切抜きが整理されたファイルがあった。北島はいくつかある新聞をテーブルに広げて斜め読みした。


『事件発生は一九五一年の七月、当時二十歳の大学生であった坂井優生が幼馴染で同じく二十歳の朝本浩二によって殺害されることによる。朝本は坂井氏を殺害後、凶器に使用したナイフで背中に奇妙な文字を刻んだ。警察の調べによると、文字は黒魔術で人を呪い殺すために用いられるものであり、朝本は呪いによって殺したと証言。無実を訴えた。警察は朝本を殺人の容疑で逮捕した』

『黒魔術殺人事件の容疑者朝本、動機は被害者である坂井氏に恋人を奪われたからと証言。また、黒魔術は同級生に教えてもらったと証言』

『黒魔術殺人事件で裁判所は朝本浩二に懲役二十三年を言い渡した』

『一九五八年、黒魔術殺人事件の犯人朝本浩二が刑務所で自殺しているのを発見された。本人が最期に母親へ託した手紙が公開された。内容は、『呪いは失敗していたようだ。悪魔を怒らせてしまった。悪魔に殺される』というもの』


(……黒魔術か)

北島は疑念が拭いきれずにいた。

 北島が一通り記事を読み終える頃、老婆がお茶を入れなおして戻ってきた。

「ありがとうございました。それにしてもよくこんな古い記事をとっていましたね」

北島が言うのを聞くと、老婆は黙ったままゆっくりと腰を下ろし、お茶を配った。

「私の名前も調べずにやって来たのかい?」

老婆はうつろな表情で北島を見た。

「失礼しました」

確かに名前を確認せずに訪ねてきた北島は、素直に老婆に頭を下げた。すると、老婆は悲しそうな表情で湯飲みを覗き込んだ。

「朝本由利、黒魔術殺人事件の犯人朝本浩二の母親さ。 ……これがいかれた婆さんの由来、呪われた子供を育ててしまった」

北島は老婆の瞳に涙が溜まるのを見て言葉を失った。

 しばらく沈黙が続くと、古井が重い雰囲気の中で口を開いた。

「その事件の調書なら署のほうで保管していると思います」

「……そうか。では、そろそろ失礼しましょう」

北島たちが腰を上げると、老婆は見送るためにゆっくりと腰を上げた。

「それでは、ありがとうございました」

北島たちが頭を下げると、老婆は口をもごもごさせた。

「何です?」

北島が穏やかな口調で尋ねると、

「あの子もね。可哀想な子だったんだよ。呪いをかけなければいけないくらい追い込まれていたんだ。今回の事件が黒魔術に関わりがあるのかどうかはわからないけれど、呪いかかけられた人間も呪いをかけた人間も可哀想の人間なのさ。それに関わった人間もね」

老婆は溢れる涙を堪えることできず、うつむき静かに涙を流した。

「わかっています。一刻も早く解決できるよう努力します」

北島は老婆と約束を交わすと、深々と頭を下げた。

「今度玄関等の被害届けを出しに来てください」

古井は穏やかな表情で優しく話しかけると、老婆は静かに微笑み、うなずいた。そして、二人は車に乗り込むと、一度事件現場に戻り、各々の車で北海道警察署へと向かった。

 北島たちは北海道警察署に着くと、早速資料を調べ始めた。

「『昭和二十六年 黒魔術殺人事件』これだ」

北島は事件の調書を見つけると、黒魔術に関する箇所をいくつかその場で読み始めた。

 

『犯行のきっかけとなった黒魔術は相手に悪霊を憑け、呪い殺すというもの。その術式は以下のようなものである……』

『朝本が黒魔術を知ったのは大学一年のとき。同じサークルに属する中村流との出会いを契機とする』


北島は本に描かれている術式と今回富良野で殺害された里山の写真と照らし合わせた。

(確かに似ている。 ……黒魔術を教えたとされる中村流、一応調べておこう)

 その日から数日間、北島は北海道警察署に泊り込み、半信半疑ながらも黒魔術と当時の事件について徹底的に調べることにした。

「北島さん、中村流の身元が割れました」

古井は見つけた調書を開きながらゆっくりと北島に歩み寄った。

「それで?」

北島はコーヒーを二つ入れながら古井に尋ねた。

「中村流、享年六十六歳。死因は心臓発作。妻は流氏が亡くなる三年前に病気で死去。子供が一人いまして、名前は中村奈々。彼女は長野県で娘が自殺した後、後を追っています」

「自殺した娘とその父親については?」

古井の報告を聞くと、北島は続けて尋ねた。

「もちろん調べてあります。父親の名前は中村真也、驚いたことに今回の事件の二番目の被害者です。娘の名前は哀といって、高校生のときに同級生の家で自殺したそうです」

北島はあごに手を当てて、何やら考え事を始めた。

(二番目の被害者? それに哀という名。確か川本咲が事件当時に発した名前もアイだったな)

北島は諦めかけていた、咲と今回の事件との関わりを再認識した。

「中村哀が自殺した家である同級生のことは?」

「それが、二人が恋人関係であったこと以外は何も。恋人を失ったショックで取り調べができないうちに、中村哀は学校でのいじめを苦にしての自殺として処理されて、同級生についてはうやむやになってしまったようです」

 古井の話を一通り聞き終えると、北島は次にすべき捜査をあれこれ考えていた。しかし、ここで考えていても埒が明かないと判断した。

「中村哀の通っていた高校の住所を教えてください。直接聞いてきます」

北島の言葉を聞くと、富良野に来たことといい、朝本家に自らで向いたことといい、古井はその行動力に驚きを浮かべた。

「え、ええ。ここになります」

古井は慌てた様子でメモ用紙に住所の書くと北島に手渡した。

「長野県か。遠いな」

北島は本部にいる小柳に長野に行くことを説明しようと携帯電話を取り出した。すると、ちょうど小柳から電話が掛かってきた。

「小柳か? ちょうど電話を掛けようと思っていたところだ」

「北島さん、八月の沖縄旅行の最終日に川本咲が倒れたという報告をしたと思いますが、その際に彼女の胸元に刺青が浮かび上がったことが同行していた彼女の親友の証言で明らかになりました。確かめに行こうとしたら昨日荷物を持ってどこかへ出掛けたらしいのです。どうしたらいいですか?」

北島が電話に出ると、小柳は慌てた様子で話し始めた。

「まず落ち着け。川本咲の交友関係だけでなく春日戒の職場や交友関係に聞き込み、二人の居場所がわかり次第川本咲を保護しろ。私は調べたいことがあって長野に向かう」

北島は小柳を落ち着かせるために少し強い口調で言った。

「わかりました」

小柳のしっかりとした返事を聞くと、北島は電話を切り、

「私の車を表に回しておいてもらえますか?」

古井に車の鍵を渡すと、資料を持って資料室を出ていった。そして、署長に資料持ち出しの許可を得た。

「北島刑事、鍵です」

「ああ。ありがとうございます」

北島は戻ってきた古井から鍵を受け取ると、

「長い間、ありがとうございました」

小さく一礼した。そして、すぐさま車に乗り込むと、北海道警察署を後にした。


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