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帰郷

 旅行を終え、咲たちが戒のマンションに帰ってから一週間ほど経った。

 戒や里絵の前では、咲はいつものように明るく振舞っていたが、内心ではひどく脅えていた。連続殺人の被害者は皆、左胸に刺青を持つ者であり、次は自分が殺されるのではないかと考えていたからである。

「お兄ちゃん、私も殺されるのかな?」

 ある日、咲は自分一人で抱え込むには重すぎる不安を戒に問いかけた。

「何を言い出すんだ? 咲の刺青はあの日突然浮かび上がったものだろう。それを知っているのは俺と里絵ちゃんだけ。どうしたら犯人が知ることが出来る?」

 戒が言うように犯人が咲の刺青のことを知ることはありえないことである。それは頭では理解できていたが、咲は他者と接触することを恐れ、また、一人になることを恐れた。そんな咲を見かねて、毎日のように里絵がマンションにやってきた。そして、戒が仕事で外出しているときはなるべく咲の傍にいるようにした。

「ごめんね、里絵。折角の夏休みなのに、こんな私のために」

「いいよ、別に。好きで来ているだけだから」

里絵が優しく接するほど咲の胸はきつく締付けられた。

「ごめんね。ごめんね」

咲の眼からは自然と涙がこぼれ落ちた。

 戒が休みのときはしばし三人でショッピングに出かけた。しかし、不安を拭い去れない咲は、終始戒の手を離さずに行動していた。

「あの服かわいいね」

咲は戒の手を引っ張ると店内へと入っていった。すると、里絵はその様子を寂しそうに見つめながら、後方をゆっくりと歩いてついていった。

「里絵、早く」

「う、うん」

里絵は咲の笑顔に自分も笑顔で応えるが、前ほど心から笑いかけることができなくなっていた。先日の旅行先での咲に対する戒の態度や言動、不安があるとはいえ咲が戒に甘える様子、さまざまなことで咲に嫉妬心を抱いていた。

「私、必要あるのかな?」

里絵は一人つぶやきながらも咲のもとに駆けていった。

 それからも里絵は咲に対して胸に支えるものを感じながらも大好きな親友のためにマンションに訪れてはいつも通りに笑顔で接した。

 

 八月の中旬、その日もまた里絵は暑い日差しの中、戒のマンションに訪れた。そして、咲は里絵と家の中でファッション誌を見たりして一日を過ごした。

「ただいま」

夕方になり戒が帰ってくると、咲と里絵は二人で出迎えた。

「里絵ちゃん、こんにちは」

「こんにちは」

 三人はリビングへ戻ると席に着いた。すると、里絵は何やら思い詰めた表情で押し黙っていた。その様子を見ていた咲と戒が互いの目を見合わせて首を傾げると、里絵はとうとう重い口を開いた。

「あ、あのね」

あまりに深刻そうな表情で話すので、咲と戒は少し表情を強張らせて身構えた。

「明日から両親と一緒に里帰りするから、たぶん夏休み明けまでここには来られなくなる」

 うつむき話す里絵を見て、二人は思わず笑い出した。すると、そんな二人を見て、里絵は戸惑いを浮かべた。

「深刻な顔しているから何かあったんじゃないかって心配していたら、そんなこと?」

「そんなことってことないでしょ。咲が大変なときなのに」

咲が笑いながら言うと、里絵は心配そうな表情を浮かべ顔を赤らめた。

「ごめん、ごめん」

咲は笑いながらも里絵をなだめた。そして、里絵が落ち着いたのを確認すると、

「わたしは大丈夫だよ。里絵のおかげで随分よくなったから。だから、里絵は自分の時間を大切にして」

咲は穏やかな表情で里絵に優しく微笑んだ。

「咲、ごめんね」

張り詰めていた糸が切れたのか、里絵は思わず泣き出してしまった。

「ごめんね。私のせいでこんなに思い詰めちゃって」

咲は里絵を抱きしめると、もらい泣きして一緒に涙を流した。

 気持ちが落ち着くと、里帰りの準備をするために里絵は早めに帰ることにした。

「ごめんね」

「別にいいって。気をつけていってらっしゃい」

里絵は最後にもう一度咲に謝ると、戒にも頭を下げた。

「帰ってきたらまた遊びにおいで」

戒はいつものように優しく微笑みながら小さく手を振った。

「じゃあね」

「うん。じゃあね」

咲が笑顔で見送ると、里絵は二人に軽く手を振り、静かにマンションを後にした。

 通りを少し歩くと里絵は振り返り、浮かない表情で夕陽に染まったマンションを眺めた。今回の里帰りは、里絵が咲との関係を再確認するために一旦距離を置きたくて両親に頼んだものであったが、いざ離れることになると無性に寂しくなったのである。なぜだろうか、もう二度と会えない予感さえしていた。

「ごめんね、咲」

里絵は溢れ出る涙を拭いながら家へと帰っていった。

 翌日より咲は気晴らしの散歩や近所への買い物程度は一人でするようになった。

「無理するなよ」

戒は時折足を震わせながら外に出てゆく咲を心配そうに見つめていた。

「大丈夫だよ。里絵が心配しなくて済むようにしないと」

咲はそう言うといつものように微笑んだ。

(俺が心配なんだよな)

戒はそう思いつつも咲の頑張る姿を見て、何も言えずにいた。ただ、仕事が休みのときはこっそり後をつけて行くことがしばしあった。

 

 咲が一人で出歩くようになり数日が過ぎた。

「ちょっと、公園まで行ってくるね」

咲は玄関で靴を履きながら、笑顔を作ってみせた。

「いってらっしゃい」

ここのところ毎日のように咲が軽い足取りで家を出て行く姿を見て、戒は安堵を浮かべていた。しかし、殺される可能性のある中、一人で出歩くことは実際には神経をすり減らすだけの作業であり、咲の疲労は頂点に達していた。

 その日の夜、咲は夕飯を済ますといつものように風呂に入った。

 風呂上り、咲は脱衣所に映る自分の姿を見て、今にも泣き出しそうな表情で胸の刺青を指でなぞった。すると、鏡に付いた水滴が、まるで鏡の中の自分が涙を流したかのように頬を伝った。

「哀さん、泣いているの?」

咲は夢で見た自分と瓜二つの哀の姿を思い浮かべると、優しく微笑みながら尋ねるた。すると、相手も咲に優しく微笑みかけた。

「泣いているのは私か」

その笑顔を見て不意に涙を流した咲は、声を殺して一人涙を流した。

「咲、どうかした?」

 戒は風呂場からなかなか出てこない咲を心配して尋ねた。

「ううん、どうもしてないよ。ごめんね。もう出るから」

咲は元気な声で答えたが、明らかに声が震えていた。その声を聞いた戒はドアをこじ開けようと考えたが、咲のここ最近の頑張りを思い出し、

「わかった。何かあったら言いなさい」

深く追求せずにリビングに戻っていった。

 風呂から上がった咲は泣き腫らした顔を戒に見られないように部屋に戻ると、ベッドに潜り込んだ。

「咲、もう寝たの?」

戒は尋ねても咲からの返事がないため、ドアを少し開けた。しかし、部屋は真っ暗で咲はベッドで眠っているようなので、何も聞かずに部屋を後にした。

(お兄ちゃん、心配かけてごめんね。ごめんね)

咲は心の中で何度も繰り返すと、いつの間にか眠りについていた。

 

 暗闇の中で目を覚ますと、咲は当たり前のように哀を探した。しかし、いつもとどこか雰囲気が違ったため、咲は警戒して辺りを見渡した。すると、

『咲さん、早く目を覚まして』

哀の声が静かな空間に木霊した。

 咲は声が聞こえる方へと駆け寄ると、そこには自分によく似た姿の人物ともう一つ人影があった。

『哀さん?』

『来てはだめ』

咲が声を上げて近づこうとすると、哀は前方に鋭い視線を送りつつ、咲を必死に制止した。

 咲は恐る恐る哀の視線の先にあるもう一つの人影を注意深く見た。すると、その人影はゆっくりとその姿を現した。

『お兄ちゃん?』

咲は戒の姿を見るなり驚き、目を丸くした。

 片手に小刀を握り締めたまま、戒はいつものように咲に微笑みかけると、何も言わずにその刃を哀の胸に突き刺した。

『な、何しているの?』

『大丈夫。これは夢だから。悪魔が見せている悪夢だから』

脅える咲に哀は優しく微笑みかけると、その場に倒れこんだ。

 戒は哀の身体から小刀を抜くと、それを持って冷や汗をかき身体を震わせている咲に歩み寄った。

『いや、来ないで』

咲は力の入らない足で必死に後ずさりをした。すると、咲は戒の後ろにとてつもなく大きな影を見た。

『ほう、我の姿が見えるのか』

戒の口を通して暗く、鈍い声が響き渡った。

『何なのあなた?』

咲はいよいよ怖ろしくなり、足に力を入れるとその場から立ち去ろうとした。しかし、その影から伸びる手に身体を掴まれると、咲は身動きがとれなくなった。

『恐怖から救ってやろう』

 戒は咲に歩み寄ると、小刀を左胸に構えた。

『いや、やめて』

咲は必死に首を横に振るが、戒はうつろな表情を浮かべたままであった。そして、刃は静かに咲の左胸へ入っていった。

『お兄ちゃん』

最後の力を振り絞って咲が声を上げると、戒は黙ったまま真っ直ぐ涙を流した。

 

「お兄ちゃん」

 戒が部屋で仕事をしていると、咲の部屋から叫び声が聞こえてきた。

 戒は慌てて部屋を飛び出すと咲の部屋へと向かった。そして、ドアを勢いよく開けると、咲のもとへと駆け寄った。

「どうした、咲?」

 戒の声で目を覚ました咲は、目の前の戒の姿に驚き、思わず戒を突き飛ばした。

「来ないで」

 戒は脅える咲の姿に一瞬戸惑いを見せたが、すぐさま穏やかで優しい笑顔を浮かべた。

「どうした?」

咲は再度聞く戒の優しい声とその表情が夢の中のものとは異なるとわかると、戒の胸に泣きついた。

「怖い夢を見たの。お兄ちゃんが不気味な影に操られて、私を殺そうとするの」

子供のように声を上げて泣く咲を強く抱きしめると、

「それで俺を突き飛ばしたのか」

戒は口元に優しい笑みを浮かべた。

「ごめんなさい。でも、本当に怖かったんだ」

咲は戒の身体をきつく締付けた。すると、戒は優しく咲を抱きしめ、そっと頭を撫でた。

「もう、大丈夫だよ。それは夢だから」

咲はその言葉を聞くと、哀のことを思い出した。

(哀さん、大丈夫だよね。夢の中の出来事だからまた逢えるよね。それにしても……)

咲はあれこれ考えているうちにいつの間にか眠ってしまっていた。

「お前の仕業か」

戒は咲をベッドに戻すと戒は小声で、歯を食いしばりながら誰かしらに尋ねた。しかし、咲以外に誰もいないその部屋では当然返事はなかった。

「もう終わりにしよう」

戒は険しい表情で加えて言い放つと、悲しい瞳で咲が寝付くのを傍らで静かに見守った。

 朝になり、咲が目を覚ますと横には戒の寝顔があった。

(お兄ちゃん、ずっといてくれたんだ)

咲は戒の手を握り締めると照れくさそうに鼻を掻いた。そして、戒が起きないようにベッドを抜け出すと、戒に布団を掛け、朝食の準備を始めた。

「おはよう、咲」

 戒はベッドに咲がいないことに気づくと、眠い眼を擦りながらリビングに向かった。

「おはよう。ご飯できているよ」

咲はすっきりとした表情で戒を迎えた。

 二人が朝食を終え、二人がお茶を飲みくつろいでいると、二人は眼を見合わせた。すると、昨夜のことが思い出され、二人の間を沈黙が包んだ。

「あ、あのね」

その中で咲が重い口を開くと、戒は注意を傾けた。

「もう、無理はやめるね。夢遊病の時みたいにゆっくりと時間をかけて気持ちを変えていこうと思うの」

咲は昨夜のことを思い出すと、うつむき少し恥ずかしそうな表情を浮かべた。

「そうだね。それが一番いいよ」

戒はそんな表情の咲を見て優しく微笑みかけると、湯飲みを片付け始めた。戒の笑顔を見て、咲は緊張の糸が解けたのを感じた。

 

 それから数日が経ち、夏休みも残すところ十日ほどとなった頃、咲は家の中ではあるが確かに元気を取り戻していった。

 咲の寝坊癖は相変わらずで昼すぎに起きてくると、珍しく自宅の電話が鳴り響いた。咲は寝ぼけ眼で受話器を取ると、少し不機嫌気味に話し始めた。

「はい、もしもし」

「あ、もしもし。その声は咲ちゃんかな」

咲は渋く落ち着いた話し方をするその声を聞くと、一瞬で目が覚めた。

「賢志おじさん。お久しぶりです」

戒の父親であり、咲の義父でもある賢志は鳴海の葬儀後、時折咲を心配して電話を掛けてくれていたが、ここ最近は何の連絡もなかったため、咲は驚きと喜びを顕にした。

「戒の奴はちゃんと優しくしているか?」

「はい。本当に優しくしてもらって、すごく幸せです」

新婚の妻のような受け答えに賢志は大きく笑うと、咲は耳まで真っ赤にした。そして、しばらく他愛のないおしゃべりを楽しんだ。

(咲、誰と話しているんだろう)

 戒は年頃の娘がいる父親のように心配そうな表情でリビングから顔を覗かせた。咲は戒と目が合うとその表情を見て笑った。

「お兄ちゃんが情けない顔して覗いているので、そろそろ変わりますね」

咲はクスクス笑いながら話をすると、

「お兄ちゃん、賢志おじさんから電話だよ」

受話器を戒に渡した。

「何だよ。用事があるなら携帯に掛けてくればいいだろう」

戒は咲の目を気にしながら邪険に話し始めた。

「何を言っている。自宅に電話しないと咲ちゃんの声が聞けないだろ。まったく、たまには顔を見せなさい」

「悪かったよ。夏休み中に時間を作って顔を見せに帰るから」

賢志が強い口調で言うのに対して、戒は申し訳なさそうに答えた。咲は終始声を殺してクスクス笑いながら何度も首を縦に振った。

「咲もうなずいているから」

「そうか。待っているからな」

二人は坦々と話を進めた。咲は戒の表情が次第に真剣になってゆくのを察して、邪魔をしないようにリビングへと向かった。

「……すまない、親父」

「構うものか。俺にだって責任がある」

戒がしばらく押し黙っていると、咲は心配してリビングから顔を覗かせた。

「じゃあ、続きは今度顔見せに行ったときにしよう」

戒は咲の視線に気がつくと、急に明るい声で話し始め、同時に咲のほうを見て微笑んだ。咲も戒に微笑むと、リビングに戻り用意されていた昼食を食べ始めた。

 電話が終わり、戒はリビングに戻ってくると咲の向かいに座った。

「親父が顔を見せに来いとうるさいけれど、どうする?」

「うん、行こう。私は大丈夫だから」

戒は咲の身体を気にしながら尋ねると、咲は食事の手を止めて戒の眼を真っ直ぐ見て答えた。

「明日、明後日で仕事の目途をつけるから、三日後に行こう」

咲の返事を聞くなり、戒は途端に表情を緩ませ咲に提案した。

「うん、わかった。ただ、その日は朝に学校へ行かないといけないから、その後でもいいかな?」

「ああ。それじゃあ、荷物を載せてタクシーで学校に迎えに行くよ。」

二人は帰郷の予定を立てると、咲は少し遅い昼食を済ませた。

 今回の帰郷は夏休み末までの予定であるため、賢志の家でゆっくり過ごすためにも、咲は出発までの三日間宿題や課題に励んだ。そして、あっという間に三日が過ぎた。

「咲、もう出ないと電車に乗り遅れるよ」

「うん」

 咲は学校の玄関から飛び出てくると、校舎に向かって深々と一礼をした。

「咲」

「はーい」

二人はタクシーに乗り込むと、急いで駅へと向かった。

「よかったね、間に合いそうで」

タクシーを降りると、咲が笑顔で戒のほうを振り向いた。

「ああ」

気のない返事をし、戒はタクシーから荷物を降ろすと、咲の荷物を差し出した。しかし、咲はニコッと笑うと戒に荷物を持たせたままホームへと向かった。

「こら、咲。自分の荷物くらい持ちなさい」

声を張り上げる戒を尻目に咲は前を歩いていった。

「おじさんに会うの久しぶりだね。おじさんの家に行くの初めてだから楽しみ」

 駅のホームで少し不機嫌気味な戒を見て、咲は必死に話題を作った。

「そうか、咲は親父の家に行ったことなかったか」

戒は自然と笑みを浮かべて咲に接したが、その瞳はどこか悲しみを秘めているように感じられた。

 二人が新幹線に乗り込むと、長野までの道中、咲は窓からの景色を堪能していた。

「うわー、綺麗な景色だね。お兄ちゃん」

「ああ」

戒は何か考え事をしているのか、咲の呼びかけにも上の空の返事をした。

「お兄ちゃん、気分でも悪いの?」

「ううん。大丈夫だよ。何でもない」

咲が心配して戒の顔を覗きこむと、戒は慌てた表情で答えた。

「親父の家も山奥にあるから景色が綺麗だよ」

すぐさま戒は咲に笑顔で接した。咲にはその笑顔は戒が無理に作って見せているように見えたが、追求せずに微笑みかけた。

「そういえば、おじさんって画家だっけ?」

「絵を描くだけではなく、陶芸、彫刻とかもやっているよ。いわゆる芸術家ってやつだね。骨董好きの政財界の大物に仕事を依頼されることもあるんだって」

まるで自分のことのように得意になって父親のことを話す戒の表情を見て、咲は戒がどれほど父親を誇りにしているのか、容易に読み取ることが出来た。

「へー、すごいねぇ。おじさんの家に着いたら色々と見せてもらおう」

「ああ。そうだね」

その後、二人は会話を弾ませながら賢志の住む長野県へと向かった。

 電車に揺られて一時間半ほどすると、二人は長野に到着した。すると、そこには車で迎えに来ていた賢志の姿があった。

「おーい、咲ちゃん」

年甲斐もなく大きく手を振る賢志を見て、戒は恥ずかしそうに頭を抱えた。

「おじさん、こんにちは」

そんな戒の隣で咲は大きく手を振って応えた。

「やめなさい。恥ずかしい」

戒は咲の手をとると、足早に賢志の車へと向かった。

「やめろよな。いい歳して恥ずかしい」

「何を言っとる。感情を表に出せないで芸術家が務まるか。そもそもお前は親に会って挨拶もできんのか」

 着いて早々もめ始めた二人を見て、咲はクスクス笑った。

「はーい、そこの大人たち、公衆の面前でケンカしない」

咲は手を叩くと、二人は恥ずかしそうな顔を浮かべた。

「いや、申し訳ない。さあ、咲ちゃん。車へどうぞ」

賢志は助手席のドアを開けると、咲を車に乗せた。

「ほれ、戒。荷物をトランクに載せなさい」

賢志に指示されると、戒はあからさまに不満そうな表情を浮かべたが、咲が優しく微笑んでいるのを見て渋々荷物を積み込んだ。

「いやー、咲ちゃん。綺麗になったね」

「そんな。変わってないですよ」

「高校二年生だっけ? 学校は楽しいかい」

二人は和やかなムードで話をしていた。しかし、戒は二人の会話に興味を示さず、ただ黙って景色を眺めていた。

(お兄ちゃん、機嫌悪いのかな?)

咲が心配してミラー越しに戒の様子を気にしていると、

「大丈夫だよ。あいつはこの辺りの風景を懐かしがっているだけだから」

賢志は咲にそっと耳打ちした。咲は賢志の穏やかなで優しいその表情を見ると鳴海の顔を思い出した。

「はい」

咲は瞳に涙を溜めながら満面の笑みで答えた。

「どうした、咲。親父、咲に何を言ったんだ」

 ふと咲のほうを見た戒は、涙を浮かべる咲の姿を目にして、怒鳴り口調で賢志を問いただした。

「お兄ちゃん、違うの。おじさんと話していたらお父さんのことを思い出しちゃって」

咲は慌てて戒に説明すると、ハンカチで涙を拭った。

「まったく。過保護なお兄ちゃんで困ったものだね、咲ちゃん」

賢志がミラーで戒の顔を見ながら呆れ顔で言うと、

「あんたは放任すぎるんだよ」

戒はフンッと横を向いて、また風景を眺め始めた。その様子を見ていた咲は、

「二人とも子供みたい」

二人の顔を見ながらクスクス笑った。

 車を走らせること三十分、三人はようやく賢志の家へと到着した。

「うわー、素敵な家ですね」

山の中に一軒、コテージのように木を組んで造られている賢志の家は、まるで別荘のようであった。

「この家は親父が自分で設計したらしい。奥に離れが二つあって、そこで絵を描いたりしているんだよ」

戒が車のトランクから荷物を取り出しながら説明した。

「へぇー。後で作品を見せてもらえませんか?」

「よし。じゃあ、一息ついたら案内してあげるよ」

咲が賢志にお願いすると賢志は快く引き受け、咲に優しく微笑みかけた。そして、咲の荷物を持つと、二人を家の中に招き入れた。


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