07 ■小さな炎■
空の国へやって来てから1週間。ばば様と店番をしながら仕事を教わって毎日を過ごした。ご飯の用意とか少しずつお手伝いもして。刺繍も熱心に教えてくれた。
私のおばあちゃんは生まれる前になくなっていたらしいから、夏休みに帰省してお泊りとかはしたことがないけれど、たぶんこんな感じなんだろうな。
でも、外には出られない。ばば様はぜひ街に行けばいいと言ってくれるけど、やっぱり怖いから。見知らぬ世界へ突然やってきてのんびり暮らせるほど、鈍くはない。
別世界からやってきましたなんて言う人間が突然現れても好意的に接してもらえるとは限らないし、それどころか不審に思われて嫌がられちゃうかもしれない。そう思うと、なかなか街まで出かける気にならないのだ。
お店にやって来る人には少しお話や挨拶をしたけれど、それ以外はなにもしていない。出来るだけ仲良くしたいとは思っているんだけど、街の人でも私のことを知っているかどうか。
……と思っていたら、意外に広まっていたらしい。
『rainbowに伝説の少女が現れたんだってさ』
「……なーんてな、みんなずいぶん騒いでるよ」
「でっ、伝説?」
空にうっすらと月が浮かぶ頃、店先で私と立ち話をしているのはヒナタさんだ。
今日も変わらずふわふわと柔らかな髪を風に揺らしている。戸口に寄りかかって腕を組むその姿はハヤテにそっくり。そういえば仲良しって言ってたっけ。
ヒナタさんはそう、とうなずくと伝説について教えてくれた。
この世界には、ずっと昔から伝わる伝説があるらしい。その伝説には少年と少女が出てきて、少女は漆黒の髪をなびかせた蒼い瞳の人間。つまり、私みたいな容姿をした人間だってこと。
昔はたくさんいたらしいが、今では王家の人々だけだという。しかも、風編みと呼ばれる力をもつ人間はもう王女以外にいないそうだ。
空の国にとって大事な王女様だけど、国の人々のほとんどは王女に会ったことがないらしい。
太陽の民の長のヒナタさんでも、長になったときくらいしか会ったことがないほど、民と顔を合わせることはまれで、シエルアの中心にあるお城で暮らしているそうだ。
「それでさ、お前のことをみんなにも紹介してやろうと思ってんだけど、どうだ?」
ひとしきり説明し終えるとヒナタさんは口を開く。伝説のことよりも、こっちの方が言いたかったようだ。
「みんな、ツムギと話してみたいんだ。俺はそういう伝説信じないからなんとも思ってないけど、もしお前が本当に伝説の少女だったらって思うと、近寄りがたいのかもなあ」
それって、私をみんなと会わせてくれるってこと……?
「……みなさんは私のこと、嫌がってないんですか?」
「そりゃまた一体なんでさ? お前、いい仕事してるそうじゃないか。みんな見たことないのに、お前のこと大好きだよ」
『いつも笑顔で接客してくれる』
『服を干してる所に通りかかったけど、挨拶してくれた』
『店を出るとき、見えなくなるまで見送ってくれる』
私と会ったことのある人がみんな、私のことをよく言ってくれているらしい。
そんな、私は当たり前のことをしただけなのに。
きっと邪魔者扱いされると思っていた。それが、こんな風に思ってもらえてるなんて……すごくうれしい。
「ツムギ? どうしたんだよ。具合でも悪いか?」
「……あ、違うんです。その、嬉しくて」
「そっか。じゃ、また明日な。俺は準備で忙しくなると思うけど、適当に誰か迎えに行かせるから絶対来いよ」
「えっ、もう決まってたんですか?」
私にしたのは事後報告か。ヒナタさんなら、おかしくないな。そう思っているとヒナタさんはふいににかっと笑った。
「ん? 俺が今決めた。なんでも早いほうがいいだろ」
「でも、突然そんなこと……」
「急がば回れなんて嘘だ! 急ぐなら急げっ」
私に向かってそう言い捨てると、よっしゃ、明日は全員参加だ、何がなんでも全員引っ張り出してやる、とひとりで拳を振り回しながら出ていってしまった。
やってくれるのはうれしいけど、いくらなんでも明日っていうのは急すぎないかな……
「ツムギ、深く考えなさんな。ヒナタは酒が飲みたいだけだよ」
後ろから呆れたようにばば様が言った。
なっ……なんてことを言うの、ばば様は。
まあ、イメージにあっていると言えばあっているけど……
せっかく嬉しかったのに、ちょっとへこむじゃない。そんなこと言われたら。
「いってきまーす」
朝の水汲み。数少ない私の外へ出る時間だ。まだ一週間しか経っていなくて仕事も覚えきれていないけど、これは私の仕事だもんね。
……まあ、今日はちょっと寝坊しかけちゃったけど。
楽しみだったんだ、ヒナタさんがやってくれる歓迎会が。おかげであんまり寝付けなかった。
……この国には、この街には、どんなひとがいるんだろう。
対岸に渡ると、やはりハルトくんがいた。こんな時間までやってるんだ。いつもとは違って、今日はもう太陽が昇っている。
「おはよ、ハルトくん」
「ツムギさん! おはようっ」
私が水を汲むときにおはようと言い合うのも二人の日課に加えられた。私が水を汲むときに橋をわざわざ渡るのはハルトくんがいるから。
少しずつ話を聞いていると、ハルトくんはシエルアで一番人気の『コンターレ』というレストランで修業中なのだそうだ。
「ツムギさんっ」
人懐っこい犬みたい。どうしたの、と言いながら水を汲んで一杯になったバケツをわきに寄せる。
「今日、すっごく調子がいいんだ。ツムギさんに見てほしくて。……時間ある?」
「うん、大丈夫。見せて」
手を合わせ、ゆっくりと手を離していくと、その手の中にはポッと小さな炎ができていた。こねるように手を動かすと、それに合わせてゆらゆらとそのときにも炎が少しずつ大きくなっていく。
そこまでいくとそっと足元に置いてあった木の枝を手に取り、火を移した。
「……できた! できたよ、ツムギさんっ!」
枝に移した炎は小さいながらもまだしっかりと燃えている。
「すっごい……すごい、ハルトくん!」
当たり前だけど初めて見た。風にのることができる人がいるのにも驚いたけど、これにも相当驚いた。
「いつもはうまくいったとしても火を移そうとしたら消えちゃうんだ。最後までうまくいったのは初めてだよ」
そうなんだ、と言いながら、無邪気に笑うハルトくんを見つめる。木の枝を握りしめた手ではブレスが太陽の光を反射して赤く光っていた。
「……あ、太陽、とか」
「え? 太陽?」
「うん。太陽の力を使って火を作ってるんでしょう? それなら、いつもみたいに陽が昇る前じゃなくて、今日みたいに少し陽が出てから練習してみたら?」
「……ツムギさん、すごい。そうかもしんない! ありがとう、これからそうする!」
美味しそうなパンの匂いがする。ばば様がつくる朝食はパンだ。対岸まで香ってくるということはもうほぼ焼きあがっているということ。
じゃ、そろそろ行くね、と言ってバケツを手に持ち、橋を渡る。橋に渡り終えようとしたところでツムギさん! と声がかかった。
「僕ね、太陽のおかげだけだとは思ってないよ!」
「わかってる。ハルトくんが毎日練習してたからだよ」
毎日毎日、秘密の特訓をしたおかげ。当たり前だ。確かに環境の変化が関わってくることもあるだろうけど、努力してなかったら成果は出ない。
違うんだ、とハルトくんが首を振る。茶色い髪が太陽の光を浴びていつもより赤く見える。
「ツムギさんがいてくれたからだよ!」
可愛いことを言ってくれる。こんな弟が欲しかったな、なんて。
「でも、私がいなくても使えるようにならなきゃだめだよ!」
「わかってる! じゃ、また夜会おうね」
夜、なんかあったっけ。私とハルトくんが会うのはいつも朝だけなんだけど……
「歓迎会するんでしょ? ヒナタさんがうちを貸しきってたよ」
貸し切り……そこまでするんだ。そんなに人が集まるんだろうか。
あ、パンの香りが少し薄くなった。焼きあがっちゃったかな。急がないと。
私はもう一度ハルトくんに手を振ると、家に向かった。
***
「やっぱりな……」
いつもの大木の裏で、ハヤテは二人を見ていた。二人が気づくことはなかったが、ハヤテは毎日二人を見ていたのだ。
「もう一回だけ、試してみるか」
そう呟くと、足早にその場を立ち去った。早いところ、あの二人に頼みにいかないと。