06 ■初めてのお客さん■
地下室には大きな机、機織り、糸を紡ぐ機械まで全てが置いてあった。壁際にはきれいに整理された様々な色に輝く布や糸がかけてある。
「私のアトリエじゃ」
地下で薄暗いはずのアトリエはなぜかほのかに明るい。
私が思わず息をのみ立ち止まっても、ばば様は構わずとことこと奥の机へと歩いていく。
戻ってきたばば様の手には美しい色合いの布が抱かれている。
「お前さんの服じゃよ」
ばば様から手渡されたのは、とても手触りのよい着物だった。
もとの生地は水色のようだが、木の葉のような緑色のラインが所々にはいり、糸巻きの柄などの美しい絵柄も小さく入っている。
角度を変えるとかすかに金色の点々が光り、それでいて一部は白いもやがかかったようにぼやけていたりする。
とても、きれいな着物だ。
広げてみると袖は長めになっているが、裾が少し短くなっている。
これ、動きやすくていいかも。
「ありがとうございます…!」
嬉しさのあまり、着物を持つ手が震える。
本当に、嬉しかった。自分にはもったいないくらい、素敵な着物だ。
「昼からはそれを着て、店に出とくれ」
「店に……いいんですか?」
「とりあえず、見なけりゃなにも覚えれんじゃろうからの」
「はい、ありがとうございます!」
次の日、肩や首を回しながら私はばば様の言葉を待っていた。
「いいねぇ。もう少し練習したら、店に出しても大丈夫そうじゃな」
「本当ですか!」
昼過ぎ、私は店に出ていた。と言っても作業場の椅子にいるだけなのだけれど。
店先にいるのは、ばば様だけだ。
今日はまだ誰も来ておらず、ばば様は私に刺繍をするようにと言った。
「これと同じ柄を、この布にやってみてくれんか」
美しい花に艶やかな蝶が止まっている綺麗な刺繍だった。私がどこまで使えるのか、調べてみたいのだろうな、と思った。
私だって、仮にも服飾関連の仕事に就こうと思ってるんだからね。これくらいの試練、なんともないっ!
謎のプライドに熱くなり気を張って頑張ったからか、刺繍は自分でもなかなかの出来となった。その代わり肩や首がとてつもなく痛いけど。
でもまさかばば様に褒められるなんて。刺繍は趣味でちょこっとやっていただけなのに、案外役に立つかもしれない、なんて私は思い始めていた。
もし店においてもらえることになって、少しでも売れるなら……ばば様に恩返しだってできちゃうじゃない!
よし、もう一枚。さらに気合いを入れて、次はもっと上手に、丁寧に……
息抜きに、と服の配置を習っていると突然大声が響いた。
「ハヤテが拾った子猫はいるか!」
扉を開けるときには必ず鳴るはずの軋んだ音もさせずに、勢いよく男の人が入ってくる。そしてそのハスキーな声と飛び込んできた勢いはからん、という軽いベルの音を場違いに感じさせるほどだ。
ふわふわとパーマがかかったような髪は赤みがかった茶色で、ハルトくんとすごく似た色をしている。首には大きなビーズの通った赤いネックレスがかかっていた。
「……ヒナタ、静かにしとくれ」
「悪いな、ばば様。俺の声はもともとでかいんだ」
はぁっとため息をついて視線を落としたばば様は呆れているようだが、その人はまったく気にしていなかった。いつものことなのだろう。
とにかく私にとっての初めてのお客さんだ。慌てて立ち上がり、礼をする。
「いっ、いらっしゃいませ!」
「お、あんたか。ハヤテが拾った子猫ちゃんは」
こっ、子猫ちゃ……ん? なにそれ、え?
「えと、その……確かにハヤテには、お世話に……」
「俺はヒナタ。太陽の民の長だ。なんか困ったことがあったら言いな」
長、ってことはなんかよくわかんないけどとりあえず偉い人なんじゃ……!
「ありがとうござ……」
「お、なかなかいい服着てるじゃないか」
「あ、これは今朝ばば様に……」
「そだ、ばば様!」
……ついていけない。
さばさばしているというか、しすぎているというか、私の言葉を待たずにどんどんと言葉が飛び出してくる。
「ちょっとばば様借りてくぜ!」
なんだい、と言いながらばば様が外へと連れ出されていく。
まあ、ちょっと、って言ったし、すぐ戻ってくるよね。
それまで、刺繍しとこっと。
からん、と音が鳴る。ばば様とヒナタさん、帰ってきたのかな。
刺繍に集中していたせいか、どれくらい時間がたったのかわからない。
「すみませーんっ」
お、お客さんだ……!
一人で接客なんて、まだまともにお客さんと会ったこともないのに、どうしよう……!
「あれ、ばば様ー? ……もしかしていなかったりー?」
多くの服に囲まれて、その人の顔も見えない。ええい、こうなったら、やるしかない。どうにかなるでしょ、多分!
「いらっしゃいばせ!」
……噛んだ。盛大に、噛んだ。
もう、穴があったら入りたい。いや、自分で掘ってくるんでちょっと席外してもいいかな。
くすっ
う、笑われたし。
「ばば様じゃない人がこの店にいるのねっ。顔見せてよっ! その声、女の子でしょっ?」
そうだ。私はまだ、作業場にいた。店内から私が見えるわけがないのだ。
慌てて服をかき分け、売り場の方へ駆けていく。
「すいませんっ、私、今日からここで働くことになったもので、あの、まだなにも知らなくて、あの、えっと」
腰辺りまで伸びた美しい銀髪をツインテールにしている少女だった。ツインテールを縛る赤いリボンが銀髪によく映える。
「大丈夫だよっ まず落ち着いてっ?」
いたずらっぽい大きな瞳が私を見つめる。深い深い青の瞳。この子が雨の民、か。
「あっ、お友だちになろっ!あたし、ユキっ」
「お、お友だち? ……あ、私はツムギです」
「ツムギちゃん、いくつ?」
「17歳、です」
「おんなじだっ! じゃあさ、敬語やめてねっ」
「え、でも、お客さんだし……」
ユキの頬が食べ物をたくさん頬張った子リスのようにぷうっと膨らむ。
「お友だちになろって言ったでしょっ? だから、あたしがお客さんかどうかなんて関係ないっ」
……この国には、強引なひとが多いんだろうか。私、生きていけるのかな。わずかだが今さら不安に襲われる。
「あ、そういえばあたし、注文してた服取りにきたんだけど……わからないよね」
あぁもうごめんなさい。仮にも店に立つんだから少しくらいお店の話を聞いておけばよかった……
まだ服を置くなんて仕事はしないのに、服の配置がわかっても仕方ない。
ごめん、と呟いた私にユキは肩をすくめてみせた。
「いいよ、また今度にするから。ばいばいっ」
からん
「……ありがとう、ございました……」
私は一人、ドアに向かって呟き、うなだれた。
***
全く、ヒナタはいつだって強引だ。思い立ったらすぐ行動、というやつか。年寄りの身にはもっとゆっくりのんびりの方が嬉しいんじゃが。
「本当に大丈夫なのか、あの子。なんだったっけ、えっと……」
「あの子の名ならツムギじゃよ。……なにが大丈夫なんだい、ヒナタ?」
ヒナタの言わんとするところはわかっているが、それでも聞いておく。
「俺はハヤテを信用してるし、あんたも信用してるつもりだ。でも太陽の民の長として言わせてもらう」
そこでヒナタはわずかに声を潜めた。地声が大きいので、ほとんど意味はないが。
「ツムギが地の国のスパイだって可能性が完全に否定された訳じゃない。それにあの瞳、もしかしたら……」
ばば様は思わずヒナタの言葉を遮った。
「あの子はなにも知らないよ。なにもね」
そう、知らないのだ。まだ、なにも。
とにかく、今はまだなにも知らなくていい。知らない方がいい。
「そうか……ならいい、直接あんたに確認したかっただけだ。じゃあな!」
そう言ってヒナタは背を向け、走り去ってゆく。
ツムギ……お前さんは、とんでもないところへ飛ばされてきたんだ。わかっておるか?
お前さんは、きっとあの子に呼ばれて、ここへ来た。
偶然でも奇跡でもない、必然として……