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05 ■私は、風の民■

 小鳥が軽やかな声でさえずるのが聞こえる。

 昨夜、ゆっくりお眠りと言ったわりに、ばば様は容赦なかった。


「ツムギ。紡いだ糸を洗うのに使うから、川の水を汲んできておくれ。そのあとはすぐに朝食にするから」


 私は朝早くにばば様に起こされ、水を汲むために川に向かっていた。『rainbow』は川のそばにあるため、歩いたところでかかる時間は知れている。

 朝は苦手な方なのに、今日は二度寝もせずにすっきりと起きられた。疲れたからなのか、ぐっすり眠れたし。なにしろ、昨日は風に乗るなんていう人生初の経験をしたんだもんね……


 朝の空気は気持ちがいい。少し背の高い草が足元で揺れ、ワンピースから出た脚をくすぐる。

 自分が異世界へ来てしまったことはいまだに信じられないけど、くすぐったいと感じるんだからやっぱり夢なんかじゃない。現実なんだよね。

 変にほっぺをつねって痛さを感じるより、こういう何気ないところからの方が現実味って感じるらしい。初めて気づいた。


 川につくとすぐに、冷たい水を顔にぶつける。

 色とりどりの小さな魚たちがちらりと見えて、揃って逃げていく。

 ひんやりとした感触が気持ちいい。この感覚だって、本物だ。



 水を汲もうと立ち上がると、橋の前にある大木の裏に人がいるのが目に入った。黒髪の、私より少し背の高い男の子。腕を組んで木によりかかるその姿には見覚えがある。


 ハヤテだ。昨日のお礼、言わなきゃ。


 彼は対岸に目をやっていた。まだ薄暗くてよく見えないのに、対岸をひどく一生懸命に見つめている。


「おはよう、ハヤテ」


「……ん、はよ」


 突然声をかけたから驚かせちゃうかな、と思ったけどそんな心配は無用だったらしい。

 ちらりと私を見るとすぐに視線をもとに戻してしまった。


「……何してんの。こんな朝早くに」


「水、汲みに来たの。……あの、さ。ばば様のところで働かせてもらうことになったんだ。とりあえずしばらくは、居場所ができた。……ありがとう」


「そ。良かったじゃん」


 いい人なんだろうけど……なんだろうけどさ! とにかく愛想というものが欠片もない。

 普通、こんな報告したら笑顔になってくれるものじゃない?

 むしろ逆に、気まずそうな顔をしているようにも見える。


「……何見てるの?」


 でも、そこまで夢中になって見るものが向こうにあるんだと思うと、私にも興味がわいてきた。


「別にたいしたもんじゃない。ただの知り合い。それも落ちこぼれ」


 ……つれない人だ。しかも落ちこぼれって。

 じゃな、とさっと背中を向けて行ってしまった。


 向こう岸はこちらと違って私の腰辺りまである背の高い草が生えていて、人の姿なんか見えない。

 よく目を凝らすと、まだ薄暗い辺りにぽっと光が点滅していた。蛍のように頼りない小さな灯。


 興味を引かれて橋を渡ると、まだまだ、もっかい……と声が聞こえてきた。


 囲むように生えた草の真ん中で、小柄な男の子がうずくまっていた。この辺りに生えている草は結構背が高いので、彼の体勢は完全に草むらに埋もれてしまう格好だ。ハヤテもよく見えたものだと感心する。

 ハヤテとは違う貧弱な細い腕には、大玉のビーズが通された赤いブレスがついている。


「あの、何してるの?」


 肩がびくっと跳ねる。ぱっとこちらを見た目は紅色だった。


「だ、だれ……ですか」


「あ、私? 私はツムギ。えっと……今日からばば様のお店で働くことになったの」


 怯えているその小さな体は小刻みに震えていたが、ばば様という名前を聞いてわずかに心を許したようだった。


「僕はハルト。料理人、なんだ」


 料理人という言葉に自信がなさそうにぼそりとこぼす。

 そして、ハルトくんはすがるような目で私を見上げた。


「あの……ここに僕がいたって、誰にも言わないでくれないかな」


「どうして?」


「僕……」


 少し口ごもってから火をつくれないんだとぼそりと言った。


 火をつくる?


「せっかく雇ってもらったんだけど、僕、太陽の民なのにうまく火をつくれなくて……だからなかなか料理も上手にならないし、最近はお皿洗いばっかり。それだって水を操る雨の民のお手伝いさんの方が上手で……」


 よくわからないけど、多分昨日ハヤテがやってた風に乗るとか、そういう類いのものなんだろう。


「それで、毎朝ずっとやってるの?」


「うん。秘密の特訓なんだ。だから……」


「わかった、言わない。約束するよ」


 ありがと……と笑ったその顔はとっても愛らしかった。男の子なのに、その無邪気さが私の顔もほころばせる。


 岸辺へ行って桶に水を汲む。木の桶なんてあんまり触ったことがなかったけど、うまく手に馴んでいい感じだ。

 並々と汲むと私は立ち上がる。


「じゃあね、ハルトくん」


 いつの間にか陽は昇り、辺りは明るくなっている。

 私の声に振り返ったハルトくんの赤みがかった茶髪がふわりと揺れ、同じ色をした瞳がまっすぐに私を見つめる。


「うん。またね、ツムギさんっ」









 店に戻るととてもいい香りがした。香ばしい空気が私の鼻をくすぐり、食欲を沸き起こらせる。

 そういえば、こっちに来てからはなにも食べてない。昨日は疲れたからすぐに寝ちゃったし。ばば様、すぐに寝させてくれたから助かった。あの時にごはんをどうぞと出されても、多分しっかりと食べられなくて失礼なことをしてしまっただろう。


「戻ったかい。今出来たよ」


 奥からばば様の声が響く。声のする方へ向かうと、ダイニングらしい部屋だった。


 机の上には瑞々しいフルーツと焦げ茶色に焼き目がついているパンがテーブルに置いてある。


「水、汲んでもらってありがとうね」


 そろそろ足腰が辛くて、とばば様は少し哀しげに笑う。


「いえっ必要なら私、明日からも毎朝やりますよ」


 ハルトくんにも会えるし。あんなに一生懸命なんだもの。応援したい。


「本当かい? ……それじゃあ、頼もうかね」


「わかりました! ……あの、これいただいてもいいですか?」


 こんな美味しそうな食べ物を目の前に待たされるなんて、拷問に等しい。


「ああ、お食べ。口に合うかはわからんが、私の手作りじゃよ」


 お食べ、といわれると同時に私はパンにかぶりついた。

 さくっという表面に、中身はふんわりと柔らかい。どんなパンでもジャムとかクリームとか、何かつけたがる私だったけど、これは特に何もつけなくても甘い。


「……っ! ……すっごくおいしいです!」


「そんなにおいしそうに食べてもらうと、うれしいもんじゃの」


 フルーツは見たことのないものもいくつかあったけれど、どれもとれたてのような新鮮さで、とても甘かった。


「ばば様、この国にはどんな人が住んでるんですか」


 パンを頬張りながらいかにも今思いついた風に私は訊ねる。本当は、ずっと気になっていたのだ。


「風の民と太陽の民、それから雨の民だね。王族はおいといて、その民たちしかいないよ」


 なんでも、昔はそれぞれ3つの国に分かれていたのが、最近になってひとつの空の国になったらしい。

 最近、といっても歴史的に見たらの話で、私たち今生きている人間たちから見れば随分昔だ。


 これも覚えておくといい、とばば様は付け加えた。


「皆のことは見た目で見分けられるんだ。風の民は漆黒の髪と瞳。太陽の民は赤みがかった茶髪と瞳。炎やら光やらを操ることを生業としている者が多いね。雨の民は銀髪で青い瞳。あ、お前さんとは違うよ。もっと深い青色だ」


 そういえばハルトくん、太陽の民なのに……とか言ってたな。

 それにしても、やっぱり全然聞いたことのない言葉ばっかりだ。


「それじゃ、ばば様は?」


「私の髪は年で白くなっただけじゃ。雨の民に見えるかもしれないが、風の民じゃよ」


 瞳が蒼いのはたまたまじゃ、と言って笑う。


「私は、何の民なんでしょうか……」


「風の民じゃな」


 思ったよりずっと早く、しっかりとした答えが返ってくる。

 ただ呟いただけだったのに。


「え、どうして……」


 黒い髪に蒼い瞳なのに。

 私がそう口に出す前に、ばば様は答えた。


「分かるものは、分かるんじゃよ」


 答えになってないじゃん、と思いながらも頬が緩む。

 嬉しかった。すぐに答えてくれたことが。

 たとえ確かとは言えない言葉だったとしても、私が信じられる言葉を、信じたいと思えるような言葉を、くれた。


 私は、風の民。風なんて操れないけど、風の民なんだ。それでいい。それがいい。


 私が最後の一切れを口に放り込むと同時に、ばば様は立ち上がった。


「ツムギ、お前さんに渡すものがある」


 ついてきなさい、という風に歩いてゆくばば様を追いかけると、たどり着いたのはひんやりとした空気が漂っている地下室だった。




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