40 ■もう逃げない■
しばらく泣いた。どうしても涙が止まらなくて、声をあげて泣き続けた。
コユキちゃんとサユキちゃんが背中をさすってくれたりして、やっとのことで落ち着いたあと、私は太い幹に寄りかかるように座り込んで、ハヤテの話を聞いていた。
『あの子の性格を考えると、きっと地の国へ行きたいと言うだろうと思っていました』
私を見送るハヤテたちの前で王女は、お母さんはそう話していたらしい。
向こうのことはツムギに任せて、私たちはこちらでの事件の処理を進めましょう、と。
『無意識であっても、彼に呼ばれてるのね、きっと……』
「でも、みんながほとんどいなくなった後でそう呟いてた。お前、心当たりあるか?」
え……? なにそれ。呼ばれる?
「とりあえず、会ったやつら考えてみろ」
素直に首を振ると、そう言われた。
王子様。メープさん。彼ってことはサリナさんは除外でしょ。あと案内してくれた女の子やメイドさんも違う。他にも執事さんとかはいたけど、会ったのは一度見たことのある顔ばかりだった。
少なくとも接触した人で新しく出会った人はいない。
「知ってる人ばっかりだったよ。私、誰にも呼ばれてないし」
「じゃあなんだったんだあれ……」
ハヤテは少し考える素振りを見せたが、すぐにまあいいかと言って立ち上がった。
「え、いいの?」
「……考えたって答えが出るもんじゃねえ。それに、お前帰ってから王女に話聞くんだろ? そのときに聞いたらいい話だ。さっさと帰るぞ」
まあ、それもそうだけど。なんか、珍しい。なにがってうまくはわからないけど。
そしてハヤテ少し離れたところでしゃがみこんでいるコユキちゃんたちのところへ向かい声をかけた。
「ほら、お前らも」
「あれ、もう大丈夫なのっ?」
「落としたりしないでよっ?」
木の葉を氷漬けにしたり、霜をたてて木の葉を宙に浮いているように見せたりと遊んでいたコユキちゃんたちが怯えたように身を引きながら、そうまくしたてる。
まあ、怯えているのはポーズなんだろうけれど。二人はハヤテをからかって遊んでいるだけだ。
「うっせーな! ……じゃあ俺も正直に言ってやるよ」
そう言うとハヤテは突然私の方にくるっと向き直った。正面から向き合っているくせに、私の目をちらりちらりと見るだけで顔は背けたままだ。
「ど、どうしたの……?」
「……っ……お前が手伝ってくれねえと、その、きつい。あーだから……」
口ごもり、髪をぐしゃぐしゃとかきまわすと、ハヤテは目をそらしたままとんでもない言葉を放り出した。
「手伝ってくれ」
な、な……!
ひとりでに口が開いて、瞬きも忘れてしまう。コユキちゃんたちも一瞬言葉を発することすら忘れていた。
「うわっハヤテがっ!」
「気持ち悪いっ!」
本当。悪いけどコユキちゃんたちと同感。
ハヤテが、ハヤテが頼るなんて。それも、私なんかを。
「バカ、黙れ! だいたい、監視役だとかなんとか言ってるお前らがここにいるからだろ! 連れて帰らなきゃいけねえ俺の負担も考えろ!」
コユキちゃんとサユキちゃんに拳をふりあげ、すごい剣幕でそう言った。
まあ、ハヤテのことだから手は出さないんだろうけど。
……というか顔が赤くて、全然怖くない。
突っ込みどころはたくさんあったけど、あまり言うと可哀想なので普通に気になったところを聞く。
「ねえ、監視役って?」
「あっ! あのねーハヤテってばねーっ」
「ツムギのことしん……」
「お前ら本当黙れ! ツムギはいいから早く風作れ! 帰るぞ!」
「え、う、うん」
ちぇっ、情報入手失敗。それどころか、頼まれたはずがいつの間にか命令されてるんだけど。
なによ、と少し反発しながらもわずかに頬の筋肉がゆるむ。
彼の焦っている姿は珍しくて、なんだか可愛い。いつもはつれなくて、クールなやつなんだもんね。
ぎゃーぎゃーと言い合っているのを横目に、言われた通り風の流れを作ってハヤテに声をかけた。
これくらいの流れがあれば、ハヤテなら簡単に風に乗れるだろう。これ以上は、私が無理だ。
「出来たよ」
……あれ。聞いてない。
「ねえ、出来たってば!」
結構大きな声で言ったんだけど。まさか、聞こえてない?
「あれっ。ちょっと、ツムギはっ?」
「え、本当だっ」
「……っち、あの馬鹿、どこ行きやがった!」
いや、ここにいるってば。え、何これ。何何何?
「ここにいるじゃんっ!」
もう一度声を張るけど、あたふたと話している彼らには聞こえていないようだ。
一体どうなってるの……
と、突然鈴を転がしたような笑い声が響く。
「ツムギのことこっちへ呼んだの、私だって言ったら?」
「きゃあっ?!」「うおっ」
この声、どこかで……
「んもう、前に一回会ってるんだから、そんなに驚かなくたっていいじゃない。そちらの双子さんは置いといて」
ハヤテがさっと振り向き宙を睨み付ける。いち早く存在を把握したらしい。
私の……上?
「……またお前か」
「ずいぶん邪険に扱うわね。仮にも命の恩人じゃなかったっけ、あたし」
私の頭上には見覚えのある小さな女の子がふわふわと漂っていた。
前にこの森へ来たときに出会った妖精だ。
「急に姿を現す方が悪い。驚くのが普通だ」
「ま、それもそうね。それよりツムギのこと呼ん……」
「ありえない」
あ、遮っちゃった。妖精が目に見えて膨れる。
「……なんで」
「理由がない」
「……あまりにも暇だから、遊び相手が欲しかったって言ったら?」
「そんな暇ないだろうが、あんた」
「……」
どうやら図星らしい。
というか、そんな暇ないって。妖精さんは優雅に暮らしてるイメージなんだけど何してるんだろ……
「ツムギ隠したのお前だろ。帰るから早く出してくんねえか」
「かわいくないわね、まったく」
ふわりと周りにかかっていたベールがとれる。こんなものかかってたんだ、気づかなかった……
「わあっツムギが出てきたっ」
「もう、びっくりしたじゃんっ! 急にいなくなんないでよっ」
「ねえ、話聞いてた? 別に好きでいなくなったんじゃないよ! 私だってよくわかんなかったんだから!」
私たちが顔を合わせると同時にそう話し出すのを横目に、ハヤテは小さくため息をついた。
「それで、今度は何の用だ?」
「だからそんな邪険にしないでってば。助けに来たんじゃない。ま、た!」
「……?」
私たちの頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
前は確かに助けてもらった。ピンチだったし、すっごく助かったのは本当だ。
でも、今は。
若干の疲労はあるとはいえ、わざわざ助けてもらわなきゃいけないほどの状況でもない。
「あの、悪いけど、今は別に……」
「ああ、前ほど……」
思わずそう言葉をこぼすと、再び妖精は頬を膨らませた。
「まったく! どいつもこいつも、敬意というものがないのかしらっ」
「いや、そういうわけじゃ」
「いいわよ、本当のこと言うわよ! あんたたちがいるのを見て、喋りたくなっただけよ!」
……あれ、デレてますか、妖精さん。
「……なんだそれ。意味わかんねえ」
コユキちゃんたちは前のことを知らないからか、状況を理解していなくてぽかんとしているけど、ハヤテはぼそりとそう呟いた。
ごめんなさい、私もハヤテと同じ言葉が口をついて出てきそうになりました。
「あなたたちが自力で帰ることが出来るってことくらいはわかってるわ。その上で会いに来たんじゃない」
そのままふわふわと私の胸の辺りまで降りて来たので、何気なく手を出す。
ちらりと目をやると気が利くわね、と手のひらに腰を下ろす。
「あなたはこの世界を変えるわ」
「世界を、変える……?」
私と同じようにハヤテも訝しげに妖精を見つめる。
「そう。……戻す、と言った方が正しいかもね」
にこっ、と優しく笑うと立ち上がり、ハヤテの方まで飛ぶと軽くハヤテの肩に触れた。小さな手が触れた辺りがほのかに輝き、全身をうっすらと包む。
「私も見てみたくなったのよ、久しぶりに」
私の鼻先まで飛んでくると焦点が合わなくなり、一瞬見失った隙に小さなちゅっ、という音がした。驚いて身をひくと、妖精がぱちんとウインクするのが目に入る。
「だから助けてあげる。期待裏切らないでよねっ」
呆然とする私たちをあとに、妖精はあっという間に姿を消した。
そして――
「あれっ帰ってきてるっ!」
「ほんとだっ」
瞬きした次の瞬間には、私たちは全員城の大広間にいた。
まったくもう……急なんだから。
「おかえり」
奥の大きな扉から輝く羽衣を纏った王女様が現れる。なぜか少し哀しげに微笑んでいて、その存在は思わず見とれてしまうほどに美しい。
「森の精から広間に送ったと聞いて、急いでここまで降りてきたんです。お疲れさま、みんな」
お母さんのその言葉にみんなはさっとひざまづき、頭を下げた。
私以外は。
「お母さん……」
「なんですか」
「話、聞かせて。今までの話全部。私の知らないこと、全部」
「……わかったわ」
そう言うと束ねていた髪を崩して輝く羽衣を軽やかに脱ぎ捨てる。
「親子の話になります。みなさんは席を外してくれますか」
ふと振り返ると、ハヤテの瞳が心配そうに揺れていた。
何が分かるか、予想もつかない。きっと、私のすべてをひっくりかえしてしまうようなことを告げられるのだろう。
――でも。
もう逃げないから。
小さく、だがしっかり頷いてみせると、ハヤテは少し目をみはってからしっかりと頷き返して、広間から出ていった。




