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37 ■ここは地の国なんだよ?■


 用意されていた部屋は隅々まで手入れされていることが一目でわかる豪華なものだった。

 大きな天蓋付きのベッドに、大きめの宝石の粒が縁取られたドレッサー。

 贅沢な装飾だけど、全体的に茶色でアンティーク調にまとめられているためか、そんなにうるさい感じはしない。

 床は乳白色の石が敷き詰められていて、辺りの調度品を写し出すほどに研き込まれている。


 そりゃ、使いの者が私でがっかりするわけだ。


「……はぁ」


思わずため息が漏れる。


すぐに首を振り、こんなんじゃだめだと言い聞かせるけど、どうしても悪い方向にしか考えが向かわない。


 やっぱり、私みたいな子供には無理なんじゃないかな。国同士の争いを止めるなんて。


 話を聞いて、こちらの話をして、そうすれば分かってくれるんじゃないかと思ってた。

 どれだけ大変でも、妥協策くらいは見つかるはずだと。戦だけはどうにかして避けられる方法が、あるはずだと。


 でもそんな簡単にはいかなくて、とりつく島もない。

 一度会ったことのある私なら、少しでも話しやすいはずだと思っていたのに、二つの国の間に存在する壁は崩れることを知らない。

 説得できる気が、しない。


 開いた大きな窓から冷たい風が吹き込んでくるのに気づいて窓の方へ足を進める。窓枠に手をかけて遠くへ目をやると、視界の端には海が見える。


 きつく吹き付けてくるだけのように感じていたけど、じっと目を閉じてそれだけを感じていると、包み込むような、そんな力強さが感じられる。



 チャンスはあと一回、明日の朝だけだ。私に出来ることを、やろう。


窓を開けたまま、そこを離れた。強い風だけど、今はそんな風に吹かれていたい気分だ。


 メープさんが言っていたように、そんな早い時間なわけじゃない。

 出来るだけ早いうちに寝ないと、いくら早起きに慣れているとはいえ寝坊してしまう。

 それだけは御免だ。


 ベッドに近づき、天蓋からぶら下がる飾りに何気なく手を触れる。なめらかに丸く削られたいくつもの木のビーズが小さくカラフルなビーズと共に一本の糸に通され、その飾りが均等な間をあけてぶらさがっている。


 何気なく腰かけてみると、私の体は静かに沈みこみ、止まった。なんかすごい気持ちいい。柔らかすぎないし、もちろん固くもない。不思議な感覚だ。


「なかなかいいでしょ、そのベッド。この城にあるベッド全部それなんだよね」


「メープさん……」


 いつの間にか部屋の入り口の扉が半分開いていて、そこには腕を組んだままもたれかかるメープさんの姿があった。

 初めて出会ったときと同じように、優しく微笑んでいる。


「サリナが故郷から買い取ったやつらしいんだけど、砂の質がそこらのとは違うんだってさ。……故郷のために熱心だよね、本当」


 サリナさんは砂の民。彼らは砂を操って暮らしているんだから、砂に対して並々ならぬ拘りがあるだろうことは簡単に推測できる。


 それにしても故郷のためにだなんて。なんか怖いイメージがあったから意外だ。


 私が相槌を打ちながら再びベッドを眺めていると、突然メープさんの声色が変わった。


「ずいぶんと調子に乗った真似するんだね。せっかく逃がしてやったのにさ」


 はっとしてメープさんを見ると、その表情は笑ったままで未だ変わっていない。が、どこか冷たく、目が笑っていない。


『ま、仮にも敵国に乗り込んでるんだから、気つけなよ』


 サリナさんのその言葉が頭の中に響いたと同時にメープさんが再び口を開く。


「気に食わないな、つくづく」


 そして突然表情が変わった。冷たい手で突然撫でられたかのように背筋がぞくり、とする。


 この前森で襲われたときも怖かったけれど、その時とも違う。全く別人のようだ。



「ね、ツムギちゃんさ、何しに来たの?」


「それは、戦をとめ……」


「本気で言ってるの、それ」


 彼は私の言葉を遮って、くつくつと笑い続けている。


「……だとしたら、無駄だよ」


「なっ――……」


 確かに、難しいことは分かってる。でも無理だなんて……


「別に意地悪で言ってる訳じゃない。あんまり間抜けでかわいそうだから、教えてあげるよ」


 彼は腕を組んだまま、私の方へと歩き出す。支えを失った扉はひとりでに閉まっていき、微かに音をたてた。


「大地は天空の支配のもと、存在する!」


 メープさんが部屋の中央辺りで突然声を張った。


「故郷のベッドを買い取ったり、サリナがあんなに必死なのは故郷が滅びかけてるからだ」


 故郷が、滅びかけてる……? 村が、町が消えようとしているってこと? そんなことが……


「いくら自然の力を利用して生活しているとはいえ、すべてをコントロールすることは出来ないし神がそんなことを許すはずもない。どこかで自然の働きに背く動きをすれば、またどこかで自然が我々を裁く」







「雨が降りすぎれば砂の質は変わる。日照りが続けば木々は枯れる。そういうことだよ。君たちは管理できてるのかもしれないけど、こっちのことを考えたことはある?」


 まあ、ツムギちゃんの知ったこっちゃない範囲だろうけど、と呟きながら小さなテーブルにのったグラスを手に取る。中に入った青い液体を揺らしながら、顔を歪めて再び口を開く。


「いくら海を支配してたって、お前たちは空の国。津波で攻撃なんて荒業も出来やしない。かえって自分たちに傷がつくだけだ」


 確かに空の国は台地に位置していて、海からの攻撃を受けることはない。



「強いて言うなら、対等を求めてるようなものなんだよ? 戦をやめろと言われる筋合いもないし、そう言われてやめられるほど軽い気持ちでいるわけもない」


「でも!」


「最近こっちへやってきた異界のやつに、俺たちの思いが分かるのか。そんなやつに、戦を止めることが出来るのかよ」


「っそれは……」


「無理だね」


「……!」


「お前らには、負けない。俺たちの思いを、なめるなよ」


 メープさんの鋭い眼光が私を貫く。


 でも私の心までは貫かれなかった。


「確かに、全部は分からないかもしれない」


 この世界の歴史だって知らないし、地の国のことなんてもっと知らない。自分の立場だってよくわからない。


「でも仲間のことは分かるよ」


 私は空の国に住んでいる人たちみんなを知っているわけじゃない。でも、私の身近にいる人たちを信じているから、空の国自体を信じられる。

 こんな人たちが住んでいる空の国は、きっと素敵な国だ。この国に住んでいるひとはきっと素敵なひとたちだ。そう言える。


「だから、きっとメープさんたちのことも分かるようになると思うんだ」


 そんな風に地の国相手でもすればいいのだ。そうすれば、お互い信じあえる素敵な関係を築けるはずだ。


「メープさんたちだって、仲間のことは大切にしてるでしょ? 血を流してもいいなんて思ってないはずだよ」


 小さな輪が繋がって、大きな輪へとなっていく。そこに、血は必要ない。


「だから、血を流すのは間違ってると思う。今私に言ったみたいに、空の国にも言ったらいいんだよ。それで……」


 うるさいよ、とぼそりとこぼしたその言葉が私の言葉を止める。

 俯いているために顔は見えないが、尋常じゃないくらい危険なオーラが感じられる。


「ほんと、生意気だな。君なんてここで……」


 垂れた前髪が彼の顔を隠し、彼の手がわたしの首にのびる。壁に背中をつけるまで隅に追いやられた私は逃げる術もなく、メープさんの囁く声が耳元で聞こえる。


「殺してもいいんだよ?」


「っぐ……!」


 彼の細い指が素早く首に食い込む。その華奢な風体からは想像もできないような力で、彼の手は私の命の糸をひきちぎろうとしていた。


 もう、だめだ――

 これ以上は、我慢、できない――


「近づかないで、下さい……っ!」


 私が振り回した手から、メープさんはさすがの反射神経ですぐに飛び退いた。その反動でふわっと前髪がなびき、露になった瞳にはわずかに驚きの色が浮かんでいる。


「……意外と物騒なもの持ち歩いてるんだね」


 私の手にあったのは小さなナイフだ。

 念のために、持っておきなさいと、出発直前にばば様がくれたちょっとした裁断用ナイフだ。


「しかもそれ……」


 いくら命が危なかったからとはいえ、自分が人に刃物を向けているという事実に少し手が震える。

 メープさんは目をこらして私の手元を見つめると、へえ、と言った。


「いいもの持ってるじゃん。誰にもらったの?」


 いいものって、ただのナイフなんだけど。


「これは……」



 ――シュッ




「……!」


 不意に壁から伸びたツルがナイフを弾きとばし、からんという虚しい音が響く。


「はは、ツムギちゃんが馬鹿で助かったよ。どれだけ危険なものを持っていたか、分かってなかったみたいだね」


 そう聞こえた直後、身体が強く壁に叩きつけられた。

 元から壁のすぐ近くにいたからそんなにダメージは受けてない。けど……


「でもさ、ここは地の国なんだよ?」


 不敵に笑った彼。じんわりと嫌な汗が流れる。



 私の腕も脚も、すべて壁に縛りつけられてしまっていた。




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