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34 ■友達のために■


 からからから――

 糸を紡ぐ音だけが響く。


 私は一人、ばば様のアトリエにいた。

 いつも通りの場所であるはずなのに、今日は違和感を感じる。

 なぜ、今まで不思議に思わなかったんだろう。


 灯りもないのに明るいアトリエ。私が現れた瞬間、用意されていた私の服。読めてしまう、聞けてしまう、この世界の言葉。


 ちゃんと考えれば、おかしいことばかりだったのに。


 目の前には朱色の細い柔らかな糸。とにかく今は、これを紡いで綺麗な糸にして、そして――


 からからと糸を紡ぎ続けながら、私はお城での出来事を思い出していた。









「久しぶり。やっと会えたわね……」


 心臓がどくん、と大きな音を立てる。周りの音がすべて遮断されたような感覚がして、なにも聞こえなくなっていく。驚きのあまり声も出ない。


 美しく結い上げた漆黒の長い髪。透き通るような蒼い瞳。雪のように白い肌に桜色がさした頬。微笑んだときにわずかにできるえくぼ。ほくろの位置……


 なんで、お母さんがここに……?


「ごめんね、ツムギ。驚いているでしょう」


 昔より芯の感じられる凛とした声になっていたが、それ以外は私の記憶と確かに同じだ。


「ずっと、会いたかったわ……」


 一歩ずつ近づいてきていたお母さんは私のすぐそばに来ると立ち止まり、悲しそうだけどほっとしたような、複雑な顔をしてそう呟いた。

 しかし一瞬で冷静そうな表情になると、すぐに私の胸元に目をやった。


「……もう、目覚め始めているのですね。あなたの力は」


 え?


 ばば様にもらったペンダントの淡い光が着物から漏れだし、それに呼応するかのようにお母さんの髪についたかんざしの石がほんのりと光り始める。


 なに、これ……


「地の国との戦が始まるの。そして、その戦で負けないためには……」


 地の国との、戦?


 また、争いを始めるの?

 ハヤテやカザネさん、他にもたくさんの人々を苦しめたあの戦を、また……


「ツムギ。あなたの力が必要不可欠なの――」


 私の、力? さっきから何言ってるの?


 目覚め始めているという私の力。それはどうやら、重要な意味を持つらしい。

 でも本人に自覚がないのに、そんなものがあるのだろうか。


 なにより、目の前に突然失踪したと思っていたお母さんが現れて、冷静に頭が回転するわけがない。


 王女、と静かだが確かな意思を持った声がお母さんの話を遮る。


「ツムギは極度の混乱状態にあるかと。ツムギはまだ、なにも知りません。あなたがここにいる理由も、自身の運命も」


 カザネさんがしっかりと顔をあげて、お母さんの瞳を見ている。


「私のような者が口を出すなど、無礼を承知で申し上げます。ツムギへは王女様自身から、説明された方がよろしいのではありませんか」


「確かに、そうかもしれないですね。しかし、今話すべきではありません。この子のすべきことは決まっているのですから」


「なんでだよ。ツムギにも知る権利はあるだろ」


 震える声を漏らしたのはハヤテだった。今まで静かだったのは、ずっと堪えていたのだろう。

 その反動か、言葉遣いは荒いままで目つきも鋭くなっている。


「今知れば、もっと混乱するでしょう。全てを知るのには、まだ早い」


「な……!」


「ハヤテ」


 カザネさんが今にも殴りかかりそうな勢いのハヤテを諫める。


「私がこの世界にいるのは、もしかして……」


 ふっと口をつぐむ。


 お母さんが、やったこと?


「えぇ。私がツムギを呼んだのよ、いずれ来るこの戦のために」


 思考が、追いつかない。


「あなたの力が頼りなの。この国の、この世界の未来にはあなたが必要なのよ」


 もう、私はこの女性を、なんて呼べばいいかすらもわからない。


 この人は、誰?



「……地の国との戦はなぜ始まるんですか」


 しばらくの沈黙のあと、私は口を開いた。


「え?」


 私が何をすべきなのか、何が出来るのかなんて、全然わからない。

 でも、これくらいしか出来ないから。


「ちゃんと、話したんですか」


 話すって……とさすがに呆れたような声が周りから漏れる。


「一方的な攻撃を受けてる。俺も処理に当たってたから、それは確かだ」


 ハヤテが一番に口を開く。


「それに、あいつら相手に話なんかできねぇよ」


 本当に、そうなんだろうか。


「出来ることなら、戦なんてしたくないのよ……でも民の命を守るためなの。このまま放っておけば、いつ命を落とす事件が起きるかわからないのよ」


 話せば分かる。


 それが甘いことだって言うのは、私にだって分かる。どうしたって分かり合えないひとはいるし、それは仕方のないことだ。


 でも、話もせずに決めてしまっていいのだろうか。

 彼らは間違っている、だとか、私たちは合っている、だとか。


 自分たちとは直接関わりのないほどの、先祖たちが始めた諍い。

 今相手がどう思っているかなんてわからない。


「あなたが本当に私のお母さんなのか、情けないけど私には分かりません。私が、これから何をしたらいいのかも」


 でも、これだけは言える。


「私、地の国へ行きます。行って、ちゃんと話してきます」


 お母さんは、王女様は、頷いた。















「おい」


 店の扉に手をかけたとき、ハヤテがたまりかねたように声を出した。

 なにしろ、お城からここまで一言も喋らずに帰ってきたのだ。


「俺……」


「ハヤテ、今度は私一人で行くね」


 どうせ、俺も行く、って言うんでしょ。分かってるよ、それくらい。


 守ってもらってばかり。ハヤテの生まれたこの国を、私の大切な友達がいるこの国を、今度は私が守りたい。


「……っでも!」


「大丈夫だよ。ほら、この前王子様とも友達になったしさ」


 だから、戦なんてしないで済むように話してくる。


 そう言って私はいつものように笑った。


 空の国と地の国。いがみ合ってるのは知ってる。

 たくさんの人々の過去に悲しい出来事があったはずだ。


 もしかしたら、ハヤテもお父さんとフウカちゃんの仇をとりたい、とか考えているかもしれない。

 でも、それが必要なことだとは、ハヤテにとっていいことだとは、どうしても思えないから。


 私は、友達のために動く……!


「ただいま」


「……おかえり」


 すべてを悟っているような目でばば様が私を迎える。


 すべて、知ってるんだよね、ばば様は。


「一晩、アトリエ借りてもいい?」


「無理だけはせんようにな。ほれ、お好きに使いなさい」


 ばば様は私に鍵を渡して、奥の部屋へと消えていった。










 ぐっと手に力がこもり、わずかに手元が狂う。だめだめ、上の空だなんて。

 想いを込めて、しっかりと……


 そうすれば、きっと。


 きっと伝わるから。




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