31 □帰ってきた母さん□
「くぁーっ」
太陽の光が照らす中で俺は草原に横たわり、つかの間の休憩時間を過ごしていた。
眠い。ただひたすらに眠い。
毎日毎日やらないといけないことばっかりで、うんざりするくらいだ。最近は寝る時間まで削ってるんだから。
やりたいからやってることでいっぱいいっぱいなわけじゃなくて、本当にやらなきゃいけないこと。俺がやりたいかどうかなんて問題じゃない。
しかもその原因が地の国絡みとなれば、その苛つきは倍どころの話ではない。
俺が空の国へ戻ってからというもの、いたるところで不審な事件が起きている。
誰かが死んだとかそういう事態が起こっているわけではないが、自然状態では起こらないような状況が次々と生まれているのだ。
謎の砂漠化や塩害。未だ広範囲には渡っていないが、様々な場所で点々と見つけられる。
特に農耕で生活している空の国にとって、作物への被害はいたずらという言葉では済まされない。被害状況やらなんやらを資料にまとめて、城の役人に申請までやって。
ったく、なんで俺が。
母さんがなかなか帰ってこないおかげでお前の息子は苦労ばっかだよ、この野郎。
砂の柱の影が俺の顔にかかる。そろそろ時間だなと思って立ち上がる。今からはツムギの特訓に付き合ってやらないといけない。
こんなに忙しいのに、なんで俺が引き受けたんだか。理由はないわけじゃない。コユキやサユキたちには出来ないから。こんなに忙しくなるなんて思っちゃいなかったから。
でもまあ、やるのが嫌なわけじゃないのが唯一の救いだ。他のことと比べて、これはまあ自分からやってることだし。
あいつは飲み込みが異常に早い。驚くほどのスピードで風の民が操る技を自分のものにしていっている。
ふわふわ綿毛の扱いも初めてのときこそ一度まごついたものの、手をとって教えてやってからは全く問題なし。次に会うときにはなんと俺と変わらないほどの時間で膨らませられるようになっていた。
俺のいないところでも特訓するような努力家なんだろうという察しは普段の言動からつくけど。
やっぱあれは常人じゃないと思う。
そんなことを考えながら歩いていると、ツムギの働いている店に着いた。
扉を開くとカランと聞き慣れた音が響く。
「ハヤテか。久しぶりじゃな」
奥から声がする。相変わらず、不思議なばあさんだ。なんで見えてないのに、俺の声も出していないのに、俺が来たってわかるんだよ。
「あぁ、久しぶり。……ツムギは?」
「ん? ツムギならウレンの弟子二人にデザイン教わりに行っとるよ。今日もまた特訓かい」
「ん、まあな」
そう返事をしながら心の奥で悪態をつく。
時間決めたのはあいつのくせに、ド派手にすっぽかしやがって。
……暇だ。どうやってツムギが帰ってくるまで待てばいいんだよ。
ばあさんが店番をしてる手前、ぼけっとつっ立っているわけにもいかず店の中をぐるぐると回ってみたが、すぐに飽きて退屈してしまった。あいにくだが服にあまり興味はないのだ。
くそ、つまんねぇ……
なあ、とばあさんに声をかける。聞きたかったことならあるし、喋り出したら時間も経つだろ。
なにより、なにもせずにこんなところで待ちぼうけするのだけはごめんだ。
「ツムギ、最近変だと思わないか」
「……どうしてそう思うんだい」
「いや、なんか元気ないっつうか……」
上手く言えないけど。無理して笑ってるような、そんな感じ。
「まあ、俺だってあいつのことばっかじろじろ見てるわけじゃないから、勘違いかもしれねえけど」
ばあさんが俺の目を見る。あいつと同じ、淡い碧眼。一瞬目が合うとすぐに手元に視線を戻し、ペンを走らせた。便箋めいたものが見えるから手紙を書いているらしい。
「きっと疲れとるんじゃ。布を織るのもずいぶん上手くなって、やっと糸の紡ぎ方も教え始めたからの。お前さんとの特訓も頑張ってるんじゃろ、当たり前じゃよ」
そう、か。ならいいんだけど。
「なにかあれば相談するさ。自分でどうにかできるなら、あの子はなんとかするよ。あんたは特訓だけ集中して教えておやり」
「その特訓のことなんだけどさ、やっぱあい……」
カラン
「どーもーっ」
俺が話し出そうとしたタイミングでひとりの女が店へやって来た。
「あー! ばば様お久しぶりですー」
なに、ばば様がいるなんて驚いた! みたいな声だしてるんだよ。ここはこのばあさんの店だろ。あほか。
「母さん……」
「お、あんたもいたのかい」
「いつ帰ってきたんだよ」
「あ、今」
母さんはさらっと答えると片手に持った大きな荷物を顔の高さまであげてみせた。
息抜きに帰ってきた、という風な荷物ではなくて荷物すべてまとめた感じだったのでどうやらウィンヴィレッドでの仕事は終わったようだ。
それにしても、それだけの大荷物を片手で持つなんて、我が母ながら女のくせに恐ろしい。
「な、ツムギは?」
「今出掛けてる」
「なんだ。せっかく服買おうと思ってたのに」
なんなんだ。俺に山のような仕事押し付けておいて、自分はのんびり買い物でもするつもりだったってわけかよ。
「なんでこんなタイミングで帰ってきたんだよ」
仕事だらけで大変だったんだぞ、と俺が軽く、いやしっかり嫌味を込める。
鼻歌混じりに店の中を巡っていた母さんだったが、俺の声を耳にすると真剣な顔になって言った。
「王女様直々のお呼び出しだよ」
王、女……? 直々の呼び出し……?
「なあ」
「なに」
「……それ、俺に言っていいのかよ」
空の国で王女に会ったことのあるやつは数えるほどしかいない。もちろん俺も、会ったことがないし、ほとんどなにも知らない。あの戦で見たことがあるってだけだ。
王女はそれくらい遠い存在で、聖なるお方とされているのだ。
母さんは一瞬固まって俺のことを見た。
おいおい、駄目だったんじゃねえか。だって機密ってやつに近いだろ、それ。
しかし、母さんはすぐになにかを思いだしたように頷いた。
「いや、あんたも呼ばれてるからいいんだよ。ここでばったり会って、探しに行く手間が省けたと思ってたところ。うん」
「は?」
今、なんて言った? 俺も、呼ばれてるだと?
ちょっと待て。俺なんも悪いことした覚えないぞ。
「……なんで」
「もしあたしがいなくなったら、あんたが風の民の長だからね。それくらい分かるだろ」
「ちょ、ちょっと待てよ! いなくなるってどういう……!」
冗談じゃない。突然のことに思わず大声を出してしまったが、母さんに静かに告げられた。
「詳しくは後だ。城に行けば、全て分かる」
ばば様は迷惑そうな、心配そうな、よくわからない顔でこっちを見ていた。
ばあさんにツムギには特訓中止だって言ってくれとだけ告げ、俺は母さんと城へ向かった。
通された豪勢な広間に膝をつき、あまりの退屈さに小声で話し始める。
「あんた、家綺麗にしてるだろうね」
緊張とかしてないのかよ。なんで今このタイミングで家の綺麗さを問う。
「まあ、母さんがいた頃よりはな」
「なっ」
「静粛に」
どうでもいい会話を交わしていたところ、澄んだ声が広間に響いた。黒い服を着た女が扉の隙間から入ってくる。
「王女様がおいでになります。静粛になさい」
母さんが深く低頭し、俺もそれに習って頭を下げる。
「よく来てくださいました、二人とも」
「いえ、お目にかかれて光栄でございます」
母さんが隣で似合わない丁寧な言葉を話すのを聞きながら、俺は綺麗に磨かれた床にうつる自分を見ていた。
この声、聞き覚えがある。でも俺、あのとき以外に王女に会ったことなんてないはずだ。声なんて覚えているはずがない。一体どこで……
「顔をあげなさい。ハヤテ」
はい、と顔をあげるとそこには……
「……嘘、だろ」




