30 ■ふわふわとの格闘■
「なんか疲れてないか、お前」
「そんなことないよ」
嘘だ。ここ最近朝から休憩なしでばば様と特訓してるんだもん、疲れてないはずがない。
おかげでちょっとずつ慣れてきたけど、まだまだだ。糸の紡ぎ方も早く教えてほしいし、頑張らないと。
例え疲れていたとしても、今日のハヤテとの約束を破るわけにはいかなかった。
何て言ったって、今日は風の使い方を教えてもらう1日目。
空の国へ帰ってきてからハヤテは忙しかったみたいで、ほとんど会えなかった。やっと顔を合わせたのが昨日で、約束を出来たのが今日だけだったのだ。次に練習できるのはいつになるかすらわからない。
それならいいけど、とハヤテは空を見上げた。
選んだ練習場所は店の前を流れる川をもう少し下ったところにある川原。背の低い植物が地面いっぱいに生えていて、風はあまり強くない場所。
「お前、完全に何も知らないんだよな」
「うん」
「……教えてやるとは言ったけど、講義みたいなことはしないからな。感覚で覚えろ。詳しいこと聞きたかったら他のやつに聞け」
こくこくと頷く。
この世界にも一応学校はある。私のいた世界みたいに全員が通うわけじゃないみたいだけど、町を探せばすぐに誰か見つかるはずだ。適当に捕まえて、教えてもらえばいい。
知識ならいつでも手に入る。本屋だってあるし、友達だって少しはいるんだから。
問題は実践なんだ。なにしろ、風を操るなんてこっちにくるまで見たことも聞いたこともなかった技。
「風は空気の流れだ。その流れをつかんで、操るのが俺ら風の民の技」
ハヤテは私に背を向け、空中に両手をかざすと少し離れたところに薄いオレンジ色の場所が出来た。
「太陽の光にも色はあるって知ってるか? あれは何色かだけ取り出して、あの場所にある空気に色をつけたんだよ。この方がちょっとはわかりやすいだろ?」
よくわからないけど、説明を聞く限りでは多分虹が色んな色をしているのと同じような原理らしい。
「で、ここの空気を使ってあそこの空気を動かすんだ。よく見とけよ」
気づけば私の周りの空気も薄いピンク色に染まっていた。
ハヤテがくるくるとこねるように手を回す。ゆっくりと、そこにあるなにかを愛でるように。
辺りに充満していたピンク色の空気はその手の動きに従って移動し、いつしかひとつの球になっていた。
そしてハヤテが優しく手を離すと、その球はなめらかに上空に飛んでいき……
「すご……」
オレンジ色とピンクの色の空気が混ざりあい、くるくると回転して小さな竜巻のようになっている。
やがてオレンジ色の空気は散らばって見えなくなり、ピンク色の球も一緒に消えてしまった。
「まずはこれが基本。あの球がつくれるようになればとりあえずOKだ」
「え、今のだけで出来るわけ……」
「わかってるよ。今から教えてやるから。ほら」
屈んでなにかを掴むとハヤテはその手のひらを私の目の前で開いた。目に入ったのは白い小さな綿毛。足元に生えている植物のものらしい。
「なに、それ……?」
「この綿毛、空気を含ませたらぶくぶく膨らむんだ。結構面白いぜ」
そう言いながらハヤテの手にはすでにさっきの綿毛の十倍以上の大きさのふわふわとした塊がある。
「見よう見まねでいいから、一回やってみろ」
言われるままにハヤテから綿毛を受け取ると手でふわふわとこね始める。
「え、すごーい!」
なんか意外と簡単にふわふわに膨らんでしまった。テニスボールくらいになったそれはとても肌触りがよくてすごく気持ちいい。
ハヤテも隣でそれを見ながらうんうんと頷いている。
……のはいいけど、ある程度のところまでいくと、止まってしまった。
「あれ……」
そこからはどれだけ一生懸命にこねても、全く大きくならない。さっきまで順調に膨らんでいたのが嘘みたいだ。
「むきになるな」
さっと後ろに回り、腕を掴むとハヤテが私の手を動かしていく。
「大きくなったからって動きを変えたらだめなんだよ。大きさは変わっても、本質は一緒なんだから」
耳元から聞こえるその声を聞いているうちに、綿毛も再び大きくなっていく。
「はい、んじゃ次な」
さっきのハヤテの綿毛くらいの大きさまでいくと、ハヤテはさっと私の腕から手を離してまた足元から綿毛をむしった。
掴まれていた部分が妙に体温を残していて、なんだか寂しい感じがする。
って、あれ? 私何考えて……!
「早くしろよ。ったく、相変わらずとろいな」
「うるさいっ」
こんな綿毛、ここにあるだけ全部膨らませてハヤテのこと埋めてやる!
私はハヤテから綿毛をひったくるとまたもこもこと膨らませた。
「やっぱ飲み込み早いな、お前」
私がむきになって何十個も膨らませたあと、ハヤテがぼそっとこぼした。
さすがにあるだけ全部なんて不可能だ。小さいからあまりないように感じていたけど、よく見るとたっくさんの綿毛が足元に広がっていた。
わざわざハヤテがこの場所を選んだんだから当たり前だけど。練習材料が簡単になくなってしまっちゃ、練習のしようがない。
ハヤテの一言をきっかけに私は座り込んだ。集中していたからか、動き回ったわけでもないのに案外疲れている。
「今日はこれで十分だな。疲れてるだろうし早く帰って寝ろ」
いや、まだ寝ないよ。いくら午後いっぱいやってたからって、まだ日は沈んでないんだから。
俺ももう帰る、とハヤテは背中を向けた。
「あっ……ハヤテ!」
すかさず呼び止める。少しぎくっとしたように見えたけど、きっと気のせいだ。ハヤテがこんなことで驚くわけないしね。
とりあえず。さっきなんであんなこと考えたのかはわからないけどさ……
「ありがとね! 教えてくれて!」
少し間が空いて、ハヤテは半分振り返った。
「馬鹿野郎。まだ基本のきだろ。礼言うなら、使いこなせるようになってからにしろよな」
じゃあな、と手を振るハヤテに、私も大きく降り返した。
……遠い。
店までが、異様に遠い。川原に行くまではそうでもなかったのに。
やっぱり結構体力も使っているんだろうか。綿毛相手にふわふわと格闘してただけなんだけどな。
これはもしかして、ハヤテの言った通りすぐに寝ることになるんだろうか……
「ん?」
ポストから紙切れがはみ出ている。四つ折りにされた小さな薄汚れた紙。封筒にも入っていないし、なんだか変だ。
ズキンッ
何気なく開いたその紙に書かれた言葉が鋭い刃物となって胸の奥を突き刺す。
ぐしゃっとその紙をまるめて、袖の中に押し込む。こんなもの、ばば様に見せられない。見せられるわけがない。
"下手くそ"
"rainbowの服ダサすぎ"
その紙には、そう書き殴られていた。




