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29 ■新たな始まり■



『本日は休業とさせていただきます』


 橋のところまで送ってもらい店にたどり着くと、扉にはそう書いた板がかかっていた。


「休業……か」


 ばば様、体調でも崩したのかな。そうだとしたら、ひとりで大丈夫だったんだろうか。


「ただい、ま……」


 きぃ、と扉が鳴いて、それを合図に私は薄暗い店内に足を踏み入れる。

 長い間離れていたわけでもないのに、店の香りが鼻を通った瞬間、懐かしさが込み上げた。


 もちろん店の中にばば様はいなくて、奥に進んでもアトリエからの光も見えなかった。

 一応のぞいてみたがばば様の影どころか光もなく、いつもの明るいアトリエは闇に包まれていた。


「ツムギ……」


 探していた人の声に振り返ると口元を緩めたばば様が廊下の少し先で立っていた。目を細めて私を見つめている。


「無事に帰ってきたんだね」


 灯りは全くないのになぜかばば様のことははっきり見える。少し元気がないように見えるけど、派手に体調を崩したわけでもなさそうだ。


「ほら、おいで」


 私が一言も言葉を発することもできないうちに、ばば様は私の手をとり暗闇の奥へと進んでいく。


「……あの、心配かけちゃってすいませんでした」


 いつも食事をとっていた部屋にたどり着くとばば様はすぐに灯りをつけた。

 やっと言葉を口から出すことができてほっとしたのと同時に、自分の目がじわっと熱を持つのがわかる。瞬きを繰り返し、かろうじて熱いものを堪える。


「いいよいいよ。お前さんが無事に家に帰ってきたんだから」


 どこか弱々しく微笑みながらそう言ったばば様の声は少し枯れていて、私の胸の奥はきゅっとつまった。

 ミルクでもいれてあげるよ、と部屋を出ていくばば様の背中をじっと見つめる。


 あんな顔。あんな声。あんな目。

 全部、見たことがある。


『なんでこんなに遅いの!』


 幼い頃に友達と遊んでいて迷子になり、帰るのがすごく遅くなってしまったとき。

 お母さんにこっぴどく怒られて、あのときはなんで怒るのって、わざとじゃないのにって思ったけど、本当に心配してたんだってことはこの年になれば自然にわかるものだ。


 なんか、ばば様がお母さんみたいだ。

 ここまで私のことを心配してくれるなんて。突然転がり込んだよそ者の私を、まるで本当の自分の子供のように。本当に血が繋がっているかのように。

 でも、だからこそさっきも目に熱いものがやってきたのかもしれない。

 ここが帰るべき場所で、心から安心できる場所だって、心のどこかでもう思っていたから。

 ここへ帰れば、私のことを思ってくれるばば様がいるって思っていたから。


 ここは、もう私の家なんだって自然に感じていたんだ。


「そろそろ、これをお前さんに渡しておこうと思ってね」


 コト、とミルクの入ったマグカップをテーブルに置いてばば様はポケットからなにかを取り出した。


「石……?」


 麻紐で編まれたネットのなかには透き通るような蒼い石がはいっている。石はきれいだが、麻紐はずいぶん古びた感じのものだ。


 ばば様が私の手からもう一度石をとると、先端についた結び目を慣れた手つきでほどいた。編まれた部分がほどけることはなく、ちょうどよい長さのペンダントになった。


「私の娘のものだよ。これからずっと、肌身離さずつけておきなさい」


「そんなもの、もらっていいんですか?」


「ばかだね。私があげようと思ったんだから、もらっておけばいいんだよ」


 そう言いながら背中に回って私の首に提げさせる。

 あれ、結び目もないし頭なんて通してないのになんで首に……


「瞳の色ときれいに揃ってるね。うん、よく似合ってるよ」


「あ、ありがとう……」


 私がしげしげと自分の首にさがったペンダントを眺めていると、ばば様はぐっと伸びをして笑った。


「このペンダントの分も、休んでた分も、しっかり働いてもらわなくちゃいかんねえ」


 さすがばば様、褒めたら落とすね。そう心のなかで呟く。


「う……なにすればいいですか」


 毎朝の水汲み、交代でやっていた料理当番、その他にも担当してた生地への刺繍……

 それから、心配をかけてしまったお客さんたちにも謝らなくちゃいけない。きっと私が地の国へ行っていたことはみんな知っているだろう。


「まあ、休業してたからね。そんなに影響はなかったよ」


「あの、なんで……」


「あぁ、私の用事だよ。……そうだ。前に約束してた布の織り方と糸の紡ぎ方、明日から教えてあげるよ」


 ばば様はにっこり笑ってそう言うと、今日はそれを飲んだら早くおやすみ、と部屋を出ていった。


 布の織り方を教えてもらえるってことは、自分で服をつくれるのもそう遠くないってこと。

 夢って……案外簡単に叶うものなのかもしれない。









「またそこ違うよ。そっちを手前にそのとき足でこの棒をこう」


「……っ」


 夢が簡単に叶うかもなんて、一瞬でも思っていた私が馬鹿だった。大馬鹿だった。


 朝起きて水を汲んで、朝ごはんを食べてからお客さんがいないときはずっとやってるけど、全くうまくできない。


「とりあえず一回休憩しようか。お前さんに見せたいものがあるんだよ」


 軽くため息をつきながらそう言うと、ばば様は書類のつまった棚から一冊のファイルを抜いて私に渡した。


「……えっ、これ本当?」


 自信たっぷりに頷くばば様を見て、再びそのファイルに目を戻す。


 それぞれの商品の注文数、一日の来店者数、売り上げ。すべてが記載されたそのファイルには驚きの数字が載っていた。

 ばば様の用事とはこのファイルを整理することだったらしい。


「でも、これ今までの倍じゃ……」


 確かに、ほとんどの欄が先月の数字より倍になっている。


「ちょっとずつ増えてきてた常連の皆さんから口伝えで、色々なところへ店の名が広がったんだよ。注文してくださった人の住所見てみなさい」


「あ……」


 隣町からのお客さんがものすごく増えていて、中には私が知らないような町のひとからの注文も多くある。


「この前の天祭りの屋台の効果もあったんだろうねえ」


「ばば様」


「ん? なんだい?」


 なんかわくわくしてきちゃった。ものすごく楽しくなるような、そんな予感がする。


「これ、もう一度教えてください。休憩なんていらない。私、頑張ります!」


 単純な私がこんな具体的な数字を目の前にして、燃えないわけがない。

 ばば様はにやっと笑うと少し垂れてきていた袖をまくった。


「いいね。その調子だよ。じゃあもう一回やるから見ておきなさい」


 私もばば様と同じように腕をまくりなおした。





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