27 ■不器用なひと■
目覚めると優しい木の香りが鼻を通った。床で眠り込んでしまったはずの自分はふかふかのベッドに寝かされていて、一瞬再び地の国に連れ戻されてしまったのかとひやりとする。
「いやいや、そんなわけない。王子様とはお友達になったんだし」
そっと一言口に出してみると少し気持ちが落ち着いた。わずかに覚えのある香りが柔らかな布団からほのかに香る。
あの信じられないくらい高い塔からおろしてくれたときの、あの香り。ここはハヤテの家だ。
昨日森を抜けた、というかちょっと変わった妖精に空の国へ飛ばしてもらった後、しばらく歩いてハヤテの昔の家に向かった。
森で過去の話を聞いた後のことだったし、昔の家に行ってつらくないのかと心配したけど、そんな心配は杞憂に終わった。
家族で暮らしていた思い出の場所。戦が始まるよりずっとずっと前の幸せな生活があった場所。大切な場所なんだから、つらい場所になんてしたくない。
二人はそう言ってた。
「おはようございます、カザネさん」
「あぁ、おはよ。早いんだね」
微かに聞こえるなにか炒めているみたいな音に部屋を出ると、カザネさんがキッチンで料理をしていた。おいしそうな香りが部屋に広がっている。
「ばば様のところで働いてるから、慣れてるんです」
「へぇ、あのばあさんのところで。あたし、あそこの服嫌いじゃないよ。今度シエルアに帰ったら行くから、よろしくね」
「本当ですか? ありがとうございますっ」
嫌いじゃない。その言葉は何よりうれしかった。
カザネさんはハヤテのお母さん。ハヤテと同じように不器用な人だ。
『このパン、嫌いじゃないぞ』
ハヤテ、私が作ったパンを食べてそう言ってくれた。
カザネさんが今着ている服もところどころほつれてしまっている。だいぶ気に入ってるんだろうな……
「なに。じろじろ見て」
「いえ、繕ったりもできるので、遠慮なく言ってくださいね、サービスしますから!」
カザネさんは一瞬目を見張ると微笑んだ。笑い方もハヤテにそっくりだ。
「なに作ってるんですか? 手伝いますっ!」
「いや、別にいいよ。まだかかるし、もう少し寝てな」
「教えてほしいんです、料理!」
顔をしかめて困っていたカザネさんだったけどお願いします、と軽く頭を下げるとしょうがないな、とカザネさんは頭をかいた。
「そっちのタンス開けたらエプロン入ってるから。好きなの使って」
はーい、と返事をしながら開けた段にはうちの服がパンパンに詰まっていた。
「うわあ……!」
「ツムギっもうひとつ下っ!」
「っ! はいっ」
私は何も見なかったふりをして下の段を開けた。
「これ、どっちが作ったんだ」
ハヤテの前には暖かそうな湯気がたっている赤いスープとこんがりと焼き目のついた正方形の黄色いトースト。
「スープはカザネさんで、フレンチトーストは私」
「さすがにちょっとよくないな、これは」
そう言ってハヤテは顔をしかめた。
「なんでまた料理しようなんて考えたんだよ、母さん。この赤さ、野菜切るときに指も切ったんじゃないのか」
その言葉にカザネさんは手を隠す。見事に図星だったようだ。
「ちょっと」
「こんだけ色濃いのに、味薄いし」
久しぶりに会った息子のために頑張ったんだよ、お母さん。
私だって途中からはカザネさんが料理が得意じゃないのは分かっていた。
ちょっとした服のほつれも直せないくらい不器用なお母さんだ。何度も指を切って、調味料も間違えたに違いない。
「野菜を先に炒めとくとこまではちゃんと出来てたんだけど」
「でも味がこれじゃあ……」
「じゃあ食うなっつーの」
それだけ言うと、カザネさんはスープを飲み干してキッチンへ向かっていった。
私がカザネさんのつくるスープを任せっぱなしにしたのはカザネさんの思いがわかったからだ。
「……なんで、ハヤテにわかんないのよ」
思わずこぼれたその責めるような言葉にハヤテは即答した。
「母さんのことならわかってるよ。なめるな」
「え?」
「母さんに無理なんか似合わないから」
「……」
そういうとハヤテはスープを全部飲み干した。
「あんたたち、早くしてよね。手ぶらで来たんだから荷物もないはずなのに、遅すぎ」
「ごめんなさいっ」
何もないとはいえ、準備には時間がかかるものだ。
立つ鳥跡を濁さず。よく学校の先生がいう言葉だけどその言葉通り、自分が使った場所くらいきれいにしておきたかったのだ。
「ハヤテ。あんたから飛ばすからね。向こうでなんかあっても、ツムギちゃん受け止めるんだよ」
「まずそんな雑にやるなよな……」
地面に小さく印をつけ、円をつくるとハヤテはその中心に立った。
カザネさんは歩み寄り、こそこそとなにか言うと、じゃあやるからね、とハヤテから離れた。
ハヤテの周囲を風が取り巻き、強い風で壁が出来る。ゴオゴオと風音がして、ちょうどメープさんが襲いに来たときと同じような感じだ。
「さ、次やるよ」
いつまでもハヤテがいた場所を見つめてぼけっとしていた私はその言葉で我に帰る。
さっきハヤテがいた場所に立つと、カザネさんは足元の印をちょいちょいといじり始めた。
「あれでもあいつ、ちゃんと人のこと見てるからさ。ツムギちゃんのことも、ちゃんと守ってくれるはずだ」
「えっ……はい」
「あんたはあんたで、大変な運命背負ってる。自分の心は、しっかり持っときなよ」
「大変な、運命……?」
「それはまあ、いずれわかるさ。あんまり遅かったらハヤテが心配するから、そろそろ行ってやりな」
カザネさんがさっとその場を離れ、私のまわりを空気の渦が回り始めた。
「じゃ、飛ばすよ」
「はい」
ぐっと風が強くなり、身体が浮いた。




