26 □もうひとりの家族□
あまりの閃光に目がくらみ、気づけばそこは見覚えのある草原だった。
どこにでもありそうな普通の草原だが、その中にたまに生えている木々や山の向き、風の香りがこの場所の懐かしさを訴える。
どうやら容赦なく放り投げられたらしく、体中を強く打ちつけている。
「いったー……」
そしてあの妖精は女にも手加減しなかったらしい。ツムギも俺の傍らでうずくまっている。
「大丈夫か」
「……っつう……まぁ、なんとか」
……それにしても、お前相当タフだな。俺でも痛いのに。平然と立っているように見えるかもしれないが、実を言うと少しも動きたくない。
身体のいたるところをさすりながらようやく立ち上がったツムギを確認すると、俺は西の方角に目をやる。
目をやった先には巨大風車がいくつか。
『ウィンヴィレッド』
それがこの町の名だ。空の国中の風の民はほとんどがここで生まれる。俺の生まれもここだし、幼い頃はここで育った。
「歩けるか」
「うん……でも、行く当てあるの?」
「別荘がある町だから。とりあえずそこに行けば、寝るところは確保できる」
「別荘? もしかしてハヤテってお坊ちゃまだったり……」
「勘違いするな」
なぜそうなる。前の家だよ馬鹿。
どれだけ汚くなっているか知らないが、とりあえず野宿するよりはましなはずだ。
それに、町の中心まで行って運良く知り合いに会えば、シエルアまで飛ばしてくれるかもしれない。
まあ、ずっと戻ってないし、俺のことをわかるやつがいるか怪しいし、そんな優しいやつと巡り会えるかはわからないが。
あまり期待せずに歩き出したわりに、ツムギの頬は緩みっぱなしだった。
「幸せ……」
ツムギはさっきからそう漏らして、ふにゃふにゃと歩いている。夕暮れに照らされて、両手に抱えられているのは大量の食べ物たち。
「物欲しげな顔してるからだろ」
「だってあんなに美味しそうなんだもん! ハヤテ、いらないって言ってすたすた先行っちゃうし」
何人かの知り合いと顔を合わせ、久しぶりだからと食べ物をプレゼントしてくれたのだ。
あいにく強い力を持つやつとは出会わなかったため、飛ばしてもらうことは不可能だったが、ツムギはだいぶ嬉しかったらしい。色々なものに手を伸ばし、口は食べ物でいっぱいだ。
ただでさえ遠くて時間がかかるっていうのに、お前のせいで余計時間かかってるのが分からないのか。
「……お前、気をつけて食えよ」
「なんで?」
「毒盛られても気づかずに食いそうだから。お前」
「なっ」
「特にそれとか、危ないぞ」
一瞬で青ざめた表情になるツムギに少し笑えてくる。
素直すぎるのもどうかと思うけどな。
「冗談だ。ほら、着いたぞ」
やっとついた。ツムギは感嘆の声をもらしながら、俺の冗談にも懲りず未だにもらった食べ物を頬張っている。
木で作られた小さめのログハウス。とりあえず外見はしっかりしている。中がどれだけ汚くなっているかが問題だな。
開けて中に入ってみるしかない、か。
「あんた、こんなとこでなにやってんの」
この声は。ドアを開けようと手をかけたそのとき、後ろから聞き慣れた声がした。
「か……あさん」
ひとつに束ねたオールバックの黒髪はポニーテールになっていて、巨大風車を回す強い風がその太い毛束を揺らす。太めの黒い眉はきりっとつり上がり、目からも鋭い光線ががこちらに向かって放出されているようだ。
あ、やべ。なんでまたこんなタイミングで。
「えっおかっ……もごっ……あの、私ツムギと言ひまふ! えっと、お世話にらってまふ」
ツムギは振り向いたまま俺の漏らした言葉を拾い、目の前の女が誰かを理解するとぺこりと頭を下げた。
もごもごと口を動かしながら、必死で挨拶するツムギは案外母さんにもうけたようで、初めはきつい目を向けていた母さんだったが、ふっと顔の筋肉を緩めた。
「なに、あんた彼女紹介しに地元に帰ってきたわけ? 家族やら親戚やらがここに住んでる訳じゃあるまいし。おもしろいことするじゃないの」
「そんなんじゃねぇよ」
「違いまふっ」
思いっきりかぶる。
「ははっそんな必死になるなよ。わかってるから、それくらいは。とりあえずお嬢ちゃん、口の中のもん食べちまいな」
「あ、はひっふいまへん……」
ずっと放置していて、まるで廃屋のようになっているんじゃないかと思っていた家は、思っていたよりずっときれいだった。
「掃除してたんだな、ここ」
「こっちで仕事するときはここ使うんだからしょうがないでしょ」
父さんの後を継いで風の民の長になった母さんは、持ち前の責任感と正義感を発揮して、空の国中を飛び回っていた。
「あの、私、ツムギっていいます。いつもハヤテくんには仲良くしてもらってて」
「そう。あたしはカザネ。よろしくね、ツムギちゃん……そういえばなんで二人ともそんな傷だらけなの?」
出た、母さんの直球攻撃。本人に攻撃の意思はないと思うが、さばさばとした物言いは初対面の人には威圧感が半端ないだろうなと思う。
そしてツムギも強張った表情で俺に助けを求めている。
ていうか母さんも、同じ直球で聞くなら他に聞くことあるだろ。こいつの容姿とか。
「色々あったんだよ」
「色々?」
さっと助け船になっているかどうかもわからない助け船を出してやるが、母さんはまだ問い詰めてくる。
自分が納得行くまで、妥協はしない。それが母さん。そのせいで今までどれだけ喧嘩してきたか。
「どうでもいいだろ、そんなこと」
「良くないよ。聞いてるんだから答えろって」
なんて言おうか。正直に言って、もし母さ……
「ハヤテは、私を助けてくれたんです」
「助けた? ツムギちゃんを?」
「はい。あの、地の国まで……」
おいおい。言っちゃったよ、お前。
地の国、という言葉が口元で一瞬止まったのはきっと森で俺の過去を聞いたからだろう。
母さんも一瞬眉を潜めたが、それは本当によく見なければわからないほどで、すぐに真顔に戻った。
「……よくもそんな危険なことを。まあ、無事だったからいいか」
「あの、ごめんなさい。ハヤテくんを危ない目に合わせて……」
「あたしに謝ることないよ。どうせこいつが自分でやったんでしょ。ん、そうだ、お菓子残ってるんだよ。一緒に食べようか」
「えっ……いいんですか」
まだ食べるのかよ。
半ば呆れ気味にツムギに目をやるが、ツムギがその視線に気づく様子はない。
母さんがもちろん、と頷くとツムギはやったあと笑顔になった。
「あんた、ほんとに地の国に乗り込んだんだね」
「まあ」
ツムギが眠りに落ち、小さなテーブルで母さんと向き合う。
「知ってたの、もともと」
「あんた自分の親の仕事わかってる? 一番に連絡回ってきたに決まってるじゃない」
……それは、予測出来てたけど。
俺が黙りこむと、母さんはついに堪えきれない涙をぽろっとこぼし、言葉をもらした。
「……あんたまで、死んだらどうしようかと思った」
それも、予測出来てた。
もしかしたら、仕事も立場もなにもかも放り出して、俺みたいに地の国に乗り込んでくるんじゃないかとまで、考えた。
でも責任感の強い母さんならそんなことはしない。危ないとしても、俺だけだ。そう思ったから、そのままひとりで突っ走った。
「ごめん」
お互い、家族はお互いだけ。
家族を失う辛さはもう十分すぎるほどに知っている。
でも、大切な人をこれ以上失いたくないって気持ちも、分かるだろ?
……母さんは、責任感云々より、それも分かっているからこそ、ここで待ってたんだろ。俺の気持ちを一番に考えて。
『あんた、こんなとこでなにやってんの』
そう言う母さんの声がほんのわずか震えていたことも分かってる。
鋭く俺たちを見つめたその目が、必死で涙を堪えていたことも分かってる。
「明日、送ってやるから。あたしはまだここに残るけど、シエルアまで飛ばしてあげる」
「あぁ。ありがと」
「じゃ、おやすみ」
「うん」
いつかのように言い交わし、俺たちもそれぞれ眠りに落ちた。




