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25 ■森の狭間の小さな少女■



 なに、これ……


 寒さのせいか自然に目を覚ますと、辺りは真っ白だった。どこを見ても白、白、白、白……自分の手ですらぼんやりとしか見えない。


「ハヤテ……?」


 返事はない。かすかに寝息が聞こえる気がするから、近くにはいるのだろう。


 風が吹いて髪が顔にかかる。耳にかけようと髪に触れると触れた髪束は少し湿っていた。


「なんだ、霧か」


 白い靄の正体が分かったことで、濃くなる一方の霧とは反対に、言い様のない不安は少しではあるが晴れていった。


「……ばかさ……ん」


「ん? 誰かいる? 今、なにか言った?」


 ……女の子の声だったよね。ハヤテの声じゃなかったよね。


「おバカさん、って言ったのよ。あたしとあなた以外にはあなたの横で眠りこけてるバカ男以外に誰もいないし、誰かもなにもないでしょ」


 ちょ……、え?


「相変わらず、空の国の奴等はバカなのね。まあ、地の国も変わらないけど」


 可憐な花びらのような声がすぐ近くから聞こえてくる。すごく聞き心地がいい声だ。

 でもこの声、誰の声なんだろ……こんな可愛らしい声なんだから子供に違いない。私を知ってるのは当然みたいな言い方してるけど、全く見当がつかない。

 それにバカバカって……私昨日から何回も馬鹿って言われてる気がする。


 それにしても、声の主が見えない。確かにこんなに濃い霧だったら見えなくても不思議じゃないのかもしれないけど、気配すら感じられないし物音もしない。強いて言うならハヤテの寝息と耳元を飛ぶ虫の羽音ぐらいだ。


 きょろきょろしているとまた声がした。


「そろそろ呆れるわね。まだ見えてないわけ? ここよ、ここ! ほら!」


 だからここってどこなのよ!


 思わず心のなかで突っ込みをいれ、ふと肩に違和感を感じて目をやると、もっと違和感たっぷりの光景があった。


「やっと気付いたわね。全く、鈍いこと」


 肩に乗っていた"それ"は外ハネの短い髪をちょいちょいといじると、プライド高そうに腕を組んでつんとすましている。


「え、あな……た、……嘘でしょ」


「何が嘘よ。あたしにはあなたが今まで気づかなかったことにこそ、嘘でしょって言ってあげたいわ」


 可愛らしい声に似合わず、強烈な憎まれ口をたたくのは親指くらいの背丈しかない少女だった。それも、背中に羽の生えている少女。


「あなた……誰」


「失礼極まりないわね。あなたから名乗ったらどうなの。人の森に勝手に入り込んだくせに」


「ツムギ……ですけど」


 小さな少女は斜めの方向に向けていた顔を戻すと、唇を尖らせた。


「なによ、そのいかにも文句あります的な語尾は」


「いや、ないです。ごめんなさい。文句なんてないです」


 ちょっと満足そうににこりと笑うとスカートの裾をちょいとつまんでお辞儀をした。


「あたしはこの森の妖精よ」


 ……でしょうね。


 毛先が外に向かってランダムにはねている短めの茶髪。髪飾りや服の装飾にはカラフルなお花がいくつか。ふんわりと広がったミニスカートは瞳と同じ深い緑色をしている。そして向こう側が透けるほど薄い緑色の羽が背中に。


 これで妖精じゃないって言われても、納得できないほどの妖精らしさだ。


 それにしても、もっと妖精って可愛いものだとばっかり……


「心の中、あたしに筒抜け」


 う。容赦ない鋭さをもった声に身が縮み上がる。

 いや、あなたは可愛いですよ? 可愛いけど口をきいたら……


「ねえ、ムギ。感謝しなさい? あたしが姿を見せるなんて滅多にないことなんだから」


 む、むぎ。


「なんで姿を見せてくれたの?」


 ここはとりあえず変なあだ名はスルーだ。ちょっと不満そうな顔をしているけど気にしないことにする。それにしてもくるくる変わる表情で面白い。


「……はあ、呆れた。まだ気づいてないの? この霧、危ないわよ。一種の催眠術みたいなのがかかってるわね」


「さっ催眠術?」


 私が驚いて声をあげた瞬間、うう、とうめき声が漏れてきたのに気づいた。


「ごめんな……ほんと、……めん。…………フ、ウカ……許し……」


 この声……ハヤテ?


「あら、ちょっと遅かったかしら」


 妖精のことなんて無視してハヤテを探す。全く周りが見えないから這いつくばって手探りで探すことになるわけだけど、全く見つからない。

 下手に動くとここから離れてしまいそうだし、慎重にならざるをえないからだ。


「なんのためにあたしが姿を見せたか分かってないのね、バカなムギは」


 その一言と共に一瞬視界がひらける。そしてその先には横たわるハヤテの姿。

 気をつけていたつもりだったけどやはり少し離れてしまっていたらしい。


「ハヤテっ」


 たぶんハヤテのところに行くまでに木とか草とか、岩とかはなかったはず。

 そう思って急いで立ち上がり、まっすぐ走ると思いがけず足元にあった小さな岩にひっかかり、ずっこけてしまう。


 あれ、痛くない。これは定番のてんか……


「うっ……ぐ……ってーな……」


 やっぱり私はちょうどハヤテの真上に転けたらしい。

 さっきまでとは違ううめき声をもらしてハヤテが目を覚ます。


「あ……ごめ……」


 とりあえず謝ったが、ハヤテは目をこすって起き上がるとなにも言わずに伸びをしている。ハヤテが目を覚ますと急に霧は晴れていき、今では周りの木々もわずかだが見えるようになった。


「ねっねえ! 大丈夫なの?」


「は? なにが。とりあえずそろそろ行くか」


 怪訝な顔をしてみせるハヤテだがその目尻は少し光っている。

 きっと、フウカちゃんの夢見てたんだ……


「あなた、意外とタフなのね。感心するわ」


「なにがタフだ……って、……ん?」


 ハヤテがふと私を見る。私じゃない。私じゃない。

 私がふるふると首を横に動かすと、ハヤテは次の瞬間には腰に手をやり鋭い目付きで辺りを見回す。


「仮にも助けてあげたのに、なんて対応かしら。ほんと、バカが多くて困るわ」


「そこか」


「はやっ」


 思わず口に出てしまう。さっきまで私のことを疑ってたくせにもう一度声が聞こえた途端、居場所を当ててしまうだなんて。ハヤテの目はもう当たり前のように私の肩辺りに向いている。

 ふわりと飛び立った妖精は私とハヤテの間に浮かんでいる。


「精霊達の霧、まともに受けたみたいだけど平気だったのね」


「平気だなんてことはないがあれくらいの悪夢なら、あいにく今までにも見てきてるからな」


「あら、そう。大変ね」


 自分から聞いたくせに。なんとも素っ気ない。いや、この妖精にしては、大変ね、なんて言葉をかけただけ気を遣ったのかもしれない。


「なんでまた、助けようなんて気になったんだ? 森の妖精は」


「まあ、気まぐれだからね。私たちは」


 私たちってことは、他にもいるんだ。こんなかわいい妖精達が集まったら、きっと綺麗なんだろうな。多分こんなきつい子ばっかりじゃないと思うし……


「なんだ、お前達までこいつに興味持ち始めたか」


「さあ、どうかしらね。確かに精霊の怒りを受けなかったのには驚いたけど」


 精霊の怒り?


「ねえ私たち、怒らせるようなことしたの?」


「……聞くべきところは他にもある気がするけど、まあいいわ。あなたたち、昨日たき火をやったでしょう。あれよ」


「たき火で?」


 なにも殺してないし迷惑なんてかけてないと思うけど……


「精霊は俺たちどころかこいつらより寿命が長い。その分、死んだ仲間も大事にする。いくら死骸とはいえ、それを燃やされたら怒るだろうな」


「それに、煙を吸うのは彼らだからね。ただでさえ地の国から命からがら逃げてきたっていうのに、精霊たちにも喧嘩売るだなんて、ほんとバカね」


 妖精はお腹をかかえてくすくすと笑っている。

 ハヤテもわかっててやったんだ。危険だってことも、もしかしてわかってた? 


「でもまあ、あなたたちついてたわ。ここはもう森の狭間。守りの森には入ってないけど迷いの森を出てるってことはあたし達が干渉してもなにも怒られない。無法地帯だもの」


 なんでも、迷いの森は木々の精霊たちの管轄内。守りの森は妖精たちの管轄内だそうだ。

 ひとつの大きな森を2つに分けて名付けてあるようで、その森の間にはどちらにも属さない森の狭間が存在するという。


「あなたはバカすぎて気に入ったし、あなたもこの子のためにバカなことするなんて、気に入ったわ。あたしの気が変わらないうちだったら、空の国の端まで送ってあげる」


 そういうと小さな妖精は木の葉が茂っているところまで飛ぶと、葉っぱを一枚手にとって戻ってきた。

 ……正確には抱えて、なのだけれど。


「ほら、早くあたしの下まで来なさい」


 遅いわね、とぶつぶつ呟く彼女に慌てて近づくが、ハヤテはその場でじっとしている。


「ハヤテ、早くっ」


「そうよ。あたしの気が変わっちゃったら帰るのにもっともっと時間がかかるのよ? そうなってもいいの? 早くしなさいは……」


 お決まりの角度なのか斜め上を向いて偉そうに捲し立てる妖精がふと言葉を止めた。ハヤテに目を向けて眉をひそめている。


「あなた、今なんて言ったの?」


「ありがとなって言ったんだよ。……そんなにおかしいか」


 うん、おかしい。お礼言ってるのなんてはじめて聞いた。しかも微笑んでる。私、昨日初めてあんたの笑顔見たんだよ?

 ハヤテはいつの間にかぶすっとした表情に戻ってしまっている。


「霧からも助けてもらったし送ってくれるって言うから。感謝して当たり前だろ」


「……あたしのことをお前って呼ぶなんて、いったいどれだけ偉いつもりなのかしら。さっぐずぐずしてないでいくわよっ」


 慌てて言葉を放り出す妖精は少し照れているようにも見える。

 ハヤテがすっとこちらへ近づいてくると、妖精は私たちの頭上で木の葉を破り捨て、くるくると回りだした。


 彼女の身体からはきらきらと輝く粉のようなものが舞い落ちてきて、私たちを包む。


「じゃ、またね」


 その声を最後に辺りは眩しく光り、なにも見えなくなった。




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