24 ■笑顔よ、帰ってこい■
木の葉が風になびく音と二人が土を踏む音以外、なにも音がしない。
そんなにも悲しい過去を背負ってたなんて。
私は予想もしなかったハヤテの身の上話に驚きを隠せないでいた。
ハヤテはいつものように無愛想に自分の過去を語った。でも、私には目には見えない血を淡々と吐き続けているような、すごく辛そうな声色をしているように感じた。それを静かに聞いていた私の目にはうっすらと涙がにじんでいる。
「……同情なんかするなよ」
訪れた沈黙に対抗するように、ハヤテがそっと口を開く。
数少ない彼の言葉の奥には、いつだって暖かい言葉が渦巻いていたはずだ。
無愛想な彼の態度には、いつだって最後まで見守る覚悟があったはずだ。
手を差し伸べることは簡単なこと。でもその手を掴ませた以上、最後まで救ってやらねばならない。それは手を差し伸べた者の責任だ。
ハヤテはそれがわかっているからこそ、中途半端に手を差し伸べたりしなかったのだ。
その代わりいつだって、彼は最後まで、すぐそばで見守っていた。
本当に危ないとき、いつでも自分が手を差し伸べられるように。
「……フウカちゃんと私、似てるの?」
一瞬哀しそうな顔がのぞく。でもその目がこっちに向くと目を見開いて爆笑し始めてしまった。
「おまっ……そん、な……くくっ変な顔……っ!」
「あ、女の子に変な顔とか言っちゃだめでしょー!」
「お前が勝手にやってたんじゃねえかっ!」
ひどーい! と叫びながら、私は地面にたまった枯れ葉を投げつける。
枯れ葉をたくさん身にまとわりつかせたハヤテはそのまま木になってしまったかのように固まると、うおりゃあああああ! と私の倍以上の勢いで枯れ葉を吹っ掛けてきた。
「まあ、似てるな」
「え?」
枯れ葉の掛け合いに、そして笑いすぎて疲れてしまい、二人で座り込む。
何の気なしに聞き返すとハヤテがむっとした顔でぼそりと言葉を漏らした。
「……のろいとことか馬鹿なとこ。フウカと似てるよ、お前」
「ちょっ! それひどくない?」
何を言うのかと思ったら、質問の答えね。
「あと、お人好しなとことか馬鹿みたいに正直なとことかな」
なんか、誉めてる風には聞こえないんだけど、それは私だけ?
でも……
「フウカちゃん、いい子だったんだね」
ハヤテの言葉の奥に秘められた思いだって、今なら少しは分かる。
ハヤテがそんな顔をするくらい、いい子だったんだ。
「てか、寒くなってきたな」
黙って頷くと、ハヤテは腕をさすった。
季節は秋になり、そろそろ辺りは暗くなってきている。
今まで歩き続けてきたから凍えることこそなかったが、このまま時間が過ぎていけばどんどん寒くなっていくだろう。
「んじゃ、たき火でもするか」
「え……そんなことできるの?」
「一応火も使える。仮にも一般人じゃねえんだからな、俺。ここ森だし木もちゃんとあるからいけるはずだ。それに、どうせ今夜は野宿だろ」
「えっもうすぐ着いたりしないの?」
すぐに助けに来てくれたからてっきり近くなのかと思ってた。
目を丸くする私を見て、ハヤテは盛大にため息をつく。
「お前馬鹿か。風に乗ってきたから速かっただけだ。今は悪いけど風なんか使えねえ」
……あ、怪我か。
それだけ言うと、お前もさっさとやれよと言いながら枝を拾い集め始めた。
「あの……ごめんね」
集めた枝を積み上げながら、ピラミッドのような形に組み立てていくハヤテに後ろから声をかけると素っ気なくなにが、と返ってきた。
「だって怪我……私のせいだし。そのせいで今夜帰れなかったんだし」
「別にお前のせいじゃない」
「でも……」
「……あの襲ってきた男」
「え? メープさん?」
「多分、父さんとやりあった男の息子だ。だからお前は関係ない。俺が狙われて当たり前だ」
ぼっ
「ほら、火」
「あ……すごい」
ゆらゆらと揺れるその火は辺りを照らし、暖かく包み込んだ。
私たちの影が木々にかかって、火と同じようにゆらゆら揺れている。
「お前、家族は」
座り込むとすぐ、ハヤテが口を開いた。さっきまでハヤテの話してたのに、すごい話の変わりようだ。
「なんで? そんな大した話ないよ?」
「……じゃあ怪我のお詫びでいいから聞かせろ」
「……家族はお母さんとお父さん。それから私の三人家族」
これでいいのかな、と確認するようにハヤテを見ると、彼は火を見つめながら遠い目をしている。
「……急にここへ来たんじゃ、心配するだろうな」
「まあ、お父さんはね。でもお調子者だから、案外一人で気楽に暮らしてるかもしれない」
おどけたようにあははっと笑ってみせる。
……でも、そんなわけがない。人一倍心配性で親バカで。そんなお父さんが気楽になんて暮らしてるわけがない。
ずっと無意識に心の奥に押し込めて、鍵をかけていた思いが溢れだしそうになる。
「そんなわけないだろ。きっと、心配してる」
その言葉に目頭がじん、と熱くなる。
そんなこと、言わないでよ。いつも黙ってるくせに。話したとしても意地悪なことしか言わないくせに。なんでこんなときだけ、分かったようなこと言うの。
ハヤテの前で泣くなんて、そんなことできない。
ハヤテの方がずっとずっと辛い思いをしてきたはずだ。
「もしかしてなんかあったのか、お前も。話せるなら、話せよ」
ぐっと唇を噛み締め、全身に力を入れて涙がこぼれるのを我慢していたが、とっくに見抜かれていたようだ。
ハヤテが話してくれたのだ。私も、話したい。ちゃんと、私の心も伝えたい。
「……私のお母さんね、二年前にいなくなったの。なにも言わずに、突然」
そう。あの日は朝から、なにかがおかしかった。朝っぱらから太陽が照りつけ、真夏並みの暑さかと思えば、午後になると急に大雨が降りだし、風が吹き荒れ、雷鳴が轟いた。
いつも一緒にいる友達と寒い寒いと寄り添いながら、朝はあれだけ暑かったくせにと文句を言っていたのを覚えている。
そして帰宅すると、いつもリビングで編み物をしているはずのお母さんの姿が家からすっかり消えていた。
買い物かな。私が帰ってくる時間にはいつも帰ってきてくれてるんだけど。まあ、たまにはこういうこともあるよね。
そう思って待ってみても、なかなか帰ってこない。携帯に電話をかけてみても繋がらず、ついに夜になってお父さんが帰ってきた。
「ただいまぁ~」
「お父さんっそんな、そんな呑気にただいまとか言ってる場合じゃないよっ」
帰ってきたお父さんに飛びかかり、しがみつく。お父さんは突然、飛びかかってきた自分の娘を困惑した表情で見ている。
「……母さんが、どうしたんだ?」
「いないの。帰ってきたら家に誰もいなくて、待ってたんだけど。こんな時間まで帰ってこないなんて絶対おかしいよね」
見た目は真面目な風なのに、どんなときでもしょうもない冗談ばっかり言ってるお調子者で、柔らかい笑顔がチャームポイントの私のお父さん。それなのに、そのときはこれ以上ないくらいの無表情だった。
せめて、いつもみたいに適当に笑ってよ。スーパーで迷子になったんじゃないか? とか。近所の犬と遊んでるんじゃないか? とか。木に登ってるんじゃないか? とかさ……そんな適当な冗談言ってくれたら、今日は私だって笑ってあげるから。だから……
「なんとか言ってよ、お父さんっ」
「………………って……まったか」
なに? なんて言ったの?
でも私が聞き返す前に、お父さんはさっとスーツを脱いで歩き出してしまった。そして背中を向けたまま、思い付いたように口を開いた。
「ま、そのうち帰ってくるさ。旅にでも出たんだよ」
ごめんなさい。前言撤回。くだらない。笑えない。
「警察に……」
「連絡するな。母さんは大丈夫だ」
さっきまで適当な冗談を言っていたのが嘘のような、見たこともない引き締まった顔が私に向けられる。まるで、なにかを覚悟したかのような……
「どういうことっ? どうしてそんなことが言えるの! もしかしたら、事件に巻き込ま……」
ツムギ、とお父さんが捲し立てる私の名を呼ぶ。優しいけど、しっかりとした声で。
「母さんは、大丈夫。俺たちも、大丈夫だ」
静かに、しかし確かに頼もしく言い切ったお父さんは瞬間的にふにゃっとした顔に戻り、お風呂お風呂~と歌いながら奥の部屋へ行ってしまった。
「それからもお母さん、帰ってこなくて。だからお父さん、今きっと一人なんだ」
「そうか」
妙に慰めの言葉をかけられるより、静かに頷いてくれるのが今は嬉しい。
ハヤテのお父さんは死んでしまった。私のお母さんはいなくなってしまった。
私はまだ、会える可能性が残っている。
それなのにハヤテから優しく慰められたりなんかしたら、きっと泣いてしまう。
「でもお前、ここに来た意味はあったと思うぞ」
しばらく考えこんでいたハヤテが口を開く。
私のために紡ぎ出される言葉だ。ちゃんと聞きたい。私は目を火からハヤテへとうつした。
「でも私、足手まといになってばっかりで……」
「足手まといだって思うなら、お前もちょっとは風使えるようになれよ」
「え……それはさすがに……」
「無理じゃない。お前、あのばあさんに風の民だって言われたんだろ。なら大丈夫だよ」
いつ聞いたの。そう聞く前にその言葉に隠された彼の思いをまた感じとる。
今、ハヤテも私を風の民として認めてくれた?
「俺が教えてやる。覚悟しとけよ、スパルタだぞ」
そう言ってハヤテはにやりと笑った。
いじめているつもりかもしれないが、私の頬は勝手に緩んでいく。教えてもらえるなんて!
……先に言っておくけど、いじめられるのが趣味なわけじゃ断じてない。
「教えてくれるの? 本当に?」
「……いや嘘」
私のにやけた顔を見て、ハヤテはさっと目をそらした。
なんだ、残念。文句を言う気にはなれない。ハヤテが忙しいのは分かってるしね。
「眠いから今日はもう寝る。教えるのは国に戻って怪我治してからな」
ハヤテはそう言ってぱっとたき火に手をかざして火を消すと、ごろんと横になってしまった。
教えて、くれるんだ……!
風に乗ったりとかしてみたかったんだよね。最初に乗ったときは怖くて怖くてしょうがなかったけど、街中で見かける度に憧れの気持ちが大きくなっていったのだ。
ハヤテのスパルタって聞くと恐ろしいけど、それ以上に楽しみ!
「じゃ、私も寝よっと」
ごろん、と横になるが全く痛くない。もともとふかふかな上にさっきたき火をするために枝を拾ったから、すごく上質なベッドみたいだ。
そういえば、今日は初めてハヤテの笑顔見たな。
うとうとしながら少し考える。
枯れ葉の掛け合いをしていたときの子供のような笑顔。猫のようないたずらっぽい笑顔。それから……
これからちょっとずつでも、笑顔を取り戻してくれたら……な……
深い眠りに吸い込まれていった二人には辺りの異変に気づく術はなかった――




