02 ■異世界へ■
羽ばたく美しい鳥が、ゆったりと流れる雲と共に空を流れてゆく。
目を開けるとすぐに、視界に飛び込んできた空の蒼さに目を奪われた。ため息をつきそうになるほどの美しさだ。
ゆっくりと起き上がり、周囲を見渡すと柔らかな草原に花が咲いている。風がそよぎ、それにあわせて草花も揺れる。
ところどころむき出しになっている岩と細い木以外、視界を遮るものはない。見えるのは、蒼い空だけだ。
ここ、どこ……? ていうか、私……
「死んで、ない……?」
あれだけの竜巻に巻き込まれたのに、死なずにすんだなんて。幸運とか奇跡とか、そんな言葉で言い表せるものじゃない。
立ち上がると、ガサッという音がして振り向くが、そこには誰もいない。人の気配なんてなくて、ただ野原が広がっている。
振り返ったそこにもむき出しになった岩があるのみで、草原もそこまでしか見えなかった。
身体がぎゅっと縮むような感覚がする。
確かに景色はとてつもなくきれいだ。でも、見知らぬ場所に、一人。怖いに決まってるじゃない。
それにあんな巨大な竜巻に飛ばされて、たどり着いたこの場所。どこよ、ここ。まずアメリカかなのかどうかすら怪しい。いや、アメリカだよね。だってアメリカってすごい広いもんね。
とりあえず少し歩いてみると大きな岩を少し越えたところで視界が開けた。
なんかここ、今まで生きてきたところとは違う世界みたい……
そう思わずにはいられない美しさだった。
深く森林が生い茂っている地から台地のように浮き出したこの地には、6つの岩の柱が螺旋状につきだしていた。隣は私がいるところより低く、そのまた隣はまた低く……
多分私の立っているところも同じような柱なんだろう。そして、一番高い柱は、ここ。
私のいる柱を含めると全部で7つの柱が円になっている。自分の立っている柱の色が分かるはずはないがそれぞれの柱で色が少しずつ違い、私の隣はわずかに輝く黄色っぽい岩で出来ていて、そのまた隣は黒い岩、コケが覆っているのか緑がかった岩、やや赤みがかった岩……すべて、この世にこんな美しい岩があるのかというような岩で出来た柱だった。
岩の柱と森に囲まれた中心には数々の家があった。自分の立っている場所があまりに高すぎるのか微かにしか見えないが、確かに家が建ち並んでいる。柱と一緒に家を囲んでいる森は青々と茂っていて、平地にある森となにも変わらないように見える。
緑がかった柱のもとには大きな泉があり、私のいる柱と黄味がかった柱の間に向かって川が流れていた。
人、いるのかな。家があるんだから、いるよね。いや、でもこれまずどうやって降りるんだ?
そのまま下を見下ろしていると、無意識のうちにだいぶ身を乗り出していた。
「危なっ……!」
後ろから切羽詰まった声がする。男の子の声、かな?
「もしかして誰かい……ってきゃっ」
突然、風が吹いた。背中からの声に振り向こうとすると、少し派手な音がして足元が崩れてゆく。
落ちる……!
ふわりと身体が浮く感じがしたけど、二の腕はしっかり捕まれていた。ぐっと引き戻されて彼を見ると、彼は思いっきり顔をしかめていた。
「あの……ありがとう、ございました……」
「気をつけろよ。風くらい読めるだろ」
助けてくれたのは私と同じ年くらいの黒髪の普通の少年だった。細身ではあるが、袖のない黒い服からのぞく腕はこんがりと焼けていて、ついた筋肉がたくましい。
彼はそっけなく返事をすると、腕を組んで背を向けてしまった。
突然現れた不思議な男の子を相手に、何を話せばいいかもわからず黙りこくっていると、彼は突然振り返って私をじっと見つめた。
瞳がきれいだ。真っ黒の、瞳。私が憧れる、瞳。
上から下まで、見つめられる。少し居心地が悪いけど、私はじっと耐える。
そういえば言葉、通じた……よね? ほんとに、どこなんだろう、ここ。日本、てこと? いや、日本は遠すぎるよね、飛ばされるわけないよね。 じゃあこの人が日本人なだけでここは異国の地? アメリカ?
私が色々と考えを巡らせているのを知ってか知らずか、彼はふいと目をそらすと言った。
「帰るぞ。あんた、風の民だろ」
か、風の、なに……?
さっさと少年は歩いていってしまう。とりあえずついていくと彼は隣の柱に一番近いところで立ち止まった。
「先行けよ」
先に行けって……どこに? まさか、あっちの柱にとか、言わないよね……? こんなとこ、跳んだら確実に死ぬ。まっ逆さまに森に落ちて死ぬ。
「風、使えるんだろ?」
えっと……はい? 風を使う?
少し固まっていると不機嫌そうな顔で少年は私を睨んだ。
「じゃああんた、どうやって来たんだよ」
「それが……わからないんだよね…………」
さっきまで不機嫌そうな顔をしていた彼は心底驚いたようで、しかめていた顔は真顔になり、わずかだが目を見開く。
確かに、ここはどことも通じてない。階段があるわけでもないし、私は飛行機やヘリコプターに乗ってきたわけでもない。
「アメリカで旅行してたんだけど……竜巻に飛ばされちゃって。気づいたらあそこで寝転がってた、みたいな……?」
「アメリカってどこだよ……」
彼は驚くことを放棄したらしい。呆れたように呟くと少年は腰につけていたロープのようなものを器用にいじり、2つの輪を作った。
「ここ。足通せ」
私、捕まっちゃう……のかな……?
しょうがないよね、まあ、不法侵入、だもんね。でも、なにされるのかな。すっごく痛い目にあわされたりして……
どうするべきか決めかねて動きを止め、そのロープを見つめていると彼は大きなため息をついて言った。
「おぶってやるって言ってんだよ。手ふさがったら風使えないから、これ使うんだって。わかるか?」
「え、助けてくれるの……?」
「ここに置いて帰ったら、寝覚め悪いからな」
うんざりしたようにそう言い捨てると彼は手に持っていたロープのようなものを投げてよこした。よく見ると、ロープだと思ったものは鞭のようなものらしい。
口は悪いけど、いい人……なのかな。
「あんた、名前は」
「風間ツムギ、です」
「カザマツムギ? ……長い名前だな」
なんとかリュウタロウさんとか、名前長い人なんてもっといそうだけどな。
そんなことを心の中で呟きつつ、左足を輪に通そうと持ち上げる。
「あの、あなたは……」
「ハヤテ」
「……名字は?」
「ミョウジ? なんだそれ。……てか、俺の名前なんかいいから早くしろよ」
やばい。私、もしかしたら、すごい目にあっているのかもしれない。今さらになってそんな気がしてきた。早くしろと急かされたことなんて忘れて、私は動きを止めて考える。
名字がない国って、どこ? 思いっきり言葉通じてるし日本人だよね。なら名字あるよね。名字がない国なんて、聞いたことがない。少なくとも私は。
だってほら、アメリカ大統領だってバラク・オバマじゃない。名字ってやつじゃなくても、なにかあるでしょ……?
風上に向かって目を凝らしている彼にハヤテ君、と声をかける。
「……この国の名前、教えてくれる?」
「空の国、だけど」
彼は、今さら何を聞く、とでもいう風に顔をしかめている。でも私にはもう、彼の表情を気遣う余裕なんてなかった。
そんな国、知らない。私真面目に授業受けてる方だよ? 日本語で空の国、なんて、絶対に知らない。
風を読むとか、風に乗るとか言う言葉。美しすぎる周囲の景色。
……どうやら私は比喩でもなんでもなく、本当に違う世界に来てしまったらしい。