17 □幸せな時間は続かない□
「ねえ、お兄ちゃん」
幼さの残る声に振り向くと、黄色い上着を羽織ったガキが無防備に仁王立ちしていた。
「ね、遊ぼ」
「……なんで」
「僕、迷子になっちゃったんだ。お母さん、お仕事が終わるまできっと気づかないから、遊んで時間を……」
「その親、どこにいるんだ」
「クラディ売ってるお店にいるよ」
砂糖を溶かし熱い空気の渦に巻き込むと、雲のようなものができる。それを棒に巻きつけるとクラディの完成だ。お祭り定番のお菓子ってところだ。
確かクラディの屋台、昼間に見たな。
この遊び盛りのガキの遊び相手をするより、連れていってやる方が楽だろう。
「……ったく。ついてこい」
俺はガキの手を引いて歩き出した。
「おい」
「ハヤテさん……? あっ、ありがとうございます。ご迷惑をおかけしまして……」
「別に。……次は知らねえからな。ちゃんと見てやれよ」
「はい……!」
二軒外れを引いたあと、たどり着いたクラディの店にいたのがガキの母親だった。
俺の母さんとは正反対の気弱そうな女性だ。ちらりとこっちに目を向けたおっさんを気にして小声で喋っている。
この人、多分子供がいなくなったのには気づいていても、それを上司に言えなくて働き続けてたクチだろう。
「あの、ハヤテさん、これよかったら……」
母親が差し出してきたのは大きなクラディだった。ふわふわのその塊は傾いている太陽の光できらきらと輝き、風に揺れている。
懐かしい。ガキの頃によく食べたものだ。
でも俺、もうあんまり甘いもの好きじゃねぇんだけど。
「……どうも。もらっとく」
思わず差し出されたクラディ受けとり、話が終わると、ガキが無邪気にも話しかけてきた。
このまま遊んでもらえると勘違いしているらしい。
「あのね、兄ちゃん、あのね! この服ね、ママが買ってきてくれたんだ」
「服?」
いきなり自慢か。
そのガキは自分の羽織っている上着をぐいぐいと引っ張り、俺に見せつける。
嬉しかったんだったらそんな引っ張るなよ。伸びるぞ。
「うん、rainbowの服だって」
「……へぇ」
「それでねっそれでねっ」
とうに背を向けたはずだったが、俺はもう一度振り返った。
多少なら暇だし、相手はしねえけど見といてやるか。クラディもらっちまったし。少しなら、話し相手になってやってもいい。
「この子の相手していただいて、本当にありがとうございました」
「別に。この後は遊んでやれんのか」
「はい。仕事も終わったので、これから屋台を回ろうかと」
母親と立ち話していると、奥からまたチビが出てきた。
やっと母親の仕事が終わり、一緒に祭りを楽しめるとテンションも上がりっ放しだ。
「ばいばいっハヤテ兄ちゃんっ」
「こらっハヤテさんにそんな口のきき方しないの。……あの、ごめんなさい」
「そんなこと別に気にしないからいいよ。じゃな、チビ」
ありがとうございましたと礼を言いながら頭を下げる親子に背を向け、俺はもうすでに沈みつつある太陽とは逆の方向へと歩き出した。
小さな広場からきゃっきゃと騒ぐ子供の声が響く。小さなやつからそいつらの兄ちゃんや姉ちゃんなんだろうという年のやつまで10人くらいが揃って走り回っていた。
「ね、花火行こうよ!」
「ほんとだ! もうそろそろ始まっちゃうぜ」
子供たちは先を争うように駆け出していった。
俺も久しぶりに花火でも見るか。子供の頃には毎年楽しみにしていた天祭りの花火。無邪気に毎日を楽しんで過ごしていたあの輝く日々。
あの日々は、まさかこんなことになるなんて思ってもいなかった。幸せな時間なんて、長くは続かない。
せっかくだから高いところから見ようと丘に向かっていると派手な屋台の脇を通った。
これ、rainbowの屋台か。あのばあさん、趣味が分からねぇ……あの年でこんな最強に派手な虹色屋根の屋台を開くとは。
さすがにツムギの趣味ではないだろう。
「あ、ハヤテ」
ひゅるるるるるるるーー……ドーーーーーン
ツムギの声に花火の音がかぶる。思わず見上げるときれいな花火が見えた。
ここ、こんなにきれいに見えたっけ。
「なんでこんなとこにいるの?」
「丘で見ようと思って……でもいいや。ここにする」
「えっあっちの方がきれいに見えるんじゃ……」
「ま、始まっちまったんだからいいだろ」
どうせ高いところだとみんなが集まっているだろう。そんなところで見るよりここで見た方がちゃんと見られる。
俺は営業妨害だよと口を尖らせるツムギを無視して座り込んだ。
「はい、これ」
ツムギの声に目をやるとパンが差し出されていた。こいつ、花火に夢中になってるように見えたのに花火の途中で腹がなったの気づいてたのか。
散々いるいらないの押し問答をしたあげく、2つのパンを受け取った。
……なかなかにうまいな、これ。聞いてみるとツムギが作ったという。素直に嫌いじゃないと口に出すと、ツムギは結構嬉しかったようでひとりでくすくすと笑っていた。
単純なやつだな、こいつ。そう思いながら自分の頬が緩んだような気がして、俺はさっとふたつめのパンを頬張った。
「ツムギっ!」
厄介なやつが来たな。
肩を上下させて俺たちのもとへやってきたのはコユキだった。
また無駄な勘ぐりをしてからかってくるだろうと思ったが、それどころではないようだった。
なんでも、子供たちがみんな揃っていなくなったらしい。大人たちが花火の少し前に、片付けをするから子供は固まって花火を見てろと言ったら、終わったときにはみんないなくなってしまっていた。
コユキの話ではそういうことだった。
ツムギはハルトやリンまでもが消えてしまったと聞いて顔を青くしている。
待て、子供たちがみんな消えた? 花火を見とけと言われて?
……ありえない。嘘だ。
あのチビ。母親が買ってきた服だって自慢してたチビ。あいつの母親はついさっき仕事が終わって今から屋台を回ると言っていたはず。
さっきすれちがったばかりの子供たちも今見ることを決めたという風だった。
だいたい地元のやつだっているんだから、みんな一緒に消えるはずがない。
もし違う街から来たやつが迷ったのだとしても、花火の間に動ける距離は知れている。
「ツムギ、探しに行こう?」
なぜ、俺にはなんとも言わない? 俺が次の風の民の長候補というのはわかっているはずだ。一緒に探しに行こうと言わずとも、母さんに知らせておけとぐらい言うのが普通だろう。
コユキは俺を避けているのか。俺に嘘じゃないのかと言われるのが怖くて、避けているのか。
それとも、誰かに聞いたらしいその情報を信じて、俺がそうするのは当たり前だと思ってなにも言わないのか。
……どっちだ。
「うん! ……ハヤテは?」
「行かない」
コユキは先に少し歩き出し、背を向けたままうつむいている。
まさか、こんなに嘘が下手だとは思わなかった。雨の民で一番の切れ者って誰のことだよ。
「なんで!」
「俺には、関係ねえから」
声を荒げるツムギをわざとそっけなくかわすと俺は座ったままもう一度横目でコユキを伺った。
ツムギは俺のことを最低だと吐き捨て、コユキの手をとって走り去っていった。
「いいのかい」
「なにが。……誤解がどうとかなら、どうでもいいからほっといてくれ。俺は……」
「違うよ。あの子たちを放っておいて、いいのかい」
ばば様が服をたたみながら俺に向かって問う。
コユキはなにか隠している気がする。それは確かだ。
まず、いつものような無駄な元気がなかった。いくら子供たちが本当に消えてしまっていたとしても、あんな様子にはならない。
あの双子なら、きっと心の中では真剣だったとしても、顔には笑顔をはりつけて探すはずだ。
それに、二人でひとつだからといつも一緒にいるはずのあの双子のうちのひとりが単独行動をとるのはおか……
「まさか」
また、あいつらが。
全力で地を蹴りあげる。お願いだ、間に合ってくれ……
さらさらという音がかすかに聞こえ、そちらに向かってがむしゃらに走る。たどりついた公園には月の光で大きな影がさしていた。
砂場だったところから大きく飛び出した砂の塊は上に人間を乗せている。
あの髪の色、背格好から見ても、忘れもしないあいつだ。
その前には、ツムギ。
くっそ……
「ふざけんじゃねぇぞ、てめぇらっ!」
砂の上に立つ女がなにか呟いて小さな砂嵐が飛んでくる。
辛うじて消滅させたが、荒くやったがために、散った砂が目に入って視界が濁る。
ぼんやりと、うねる砂の塊がツムギへ向かい包み込んだのが見えた。
「この娘は預からせてもらおう。また遊びに来るぞ、ハヤテ」
「待てサリナっやめろっ」
無我夢中で駆け出すが、間に合うはずもない。助けを求めるツムギの声がわずかに耳に届く。
また、また俺は守れないのか――
ツムギはうねる砂に包まれ、砂と共に消え失せた。
妙な静けさが辺りを包み、俺は地にしゃがみこんだ。