01 ■襲い来る竜巻■
蒼い瞳の少女がまっすぐ前を見つめ、漆黒の髪は風になびく。
人の姿は全く見えず、見渡す限りに草原が広がっている。草原には牛や羊たちがいくらかいたらしいが、彼らはとうに逃げ出してしまっていた。
木々がしなりざわめき、砂は舞い上がる。ここに存在した数々のものたちが行方を知らせず旅に出る。
しかし、少女の蒼い瞳がそちらを向くことはない。少女はただ、まっすぐに前を見つめていた――
……なんて言うと、神秘的な感じがするが、ここにいるのはいたって平凡な17歳だ。
大きくしなる木々や舞い上がる砂に目を向けないのは、それらより遥かにまずい非常事態……というより、それらの原因が目の前にあるから。
その恐ろしいものから目を離せばたちまち食べられてしまいそうで、私は目を離せずにいた。
ゴオオオォォォッ
信じられない。信じたくもない。
「ツムギー、見てみろよ! こーれは愉快だなぁ! こんなに間近で竜巻を見られるなんて、滅多にないぞ!」
飛んでくる石を器用に避けながら、お父さんが私に向かって叫んだ。
そう、竜巻。私の視線の先では天と地を繋ぐ大きな竜巻が、私たち親子に向かって猛進していた。
ここはアメリカ。都会から少し離れたところにあるのんびりとした雰囲気の牧場だ。
蒼い瞳の私だが、ハーフやクォーターなわけではない。
純日本人の私が蒼い瞳な訳は私にもわからない。はっきり言って謎。
お母さんも蒼い瞳だった。でもおじいちゃんは普通の黒目だったし、瞳のことを聞いてもなにも知らないみたいだったから、遺伝なのかも怪しい。
病気なのかと勘ぐってもみたけど、日常生活に支障もないし、「目が蒼いんです!」なんて病院に駆け込むのもなんだか恥ずかしいし、結局は気にしないことに決めた。幸いいじめられるようなこともなかったしね。
だから、アメリカへ訪れたのは蒼い瞳の親戚を訪ねるためとかじゃなくて、本当にただの家族旅行。父と娘、二人だけの。
お母さんは二年前に失踪した。何の前触れもなしに、突然。
涙が止まらない私とは反対に、お父さんはいつもみたいに笑っていた。
「なぁに、きっと旅にでも出たんだよ。しばらくしたら帰ってくるさ」
まあ、家族旅行が父と娘だけっていうのを見れば分かるように、お母さんは帰ってこないのだけれど。
お母さんがいなくなってしばらくして、お父さんが言い始めたのがこれだ。
『お母さんだけ旅に出るのはずるい。俺たちもお金を貯めて、アメリカにでも行こう』
全くもって、馬鹿げてる。何がずるい、よ。お金を貯めて、ってどれだけ貯めるつもりなのよ。自分は何も考えずにじゃんじゃん使っちゃうくせに。
でも、お父さんが私を元気付けようとしてくれているのだけはちゃんとわかっていた。
私の将来の夢は海外で自分のファッションブランドを立ち上げること。お父さんは多分、それを知っていたのだと思う。
はっきりと口に出したことはなかったけど、英語の勉強は特に熱心にやっていたし、本棚にはデザイン関係の本が並ぶ。趣味のお裁縫は自分で服を作るまでになっていたし、これだけ揃えば分かってしまっても不思議じゃない。
ずるいとかなんとか言ってるお父さんの言い訳はよくわからなかったけど、とりあえず私は張り切って節約した。
お母さんがいなくなって外食に頼ることの多かった食事を自炊に変えて、可能な限り電気や水道を節約して。ファッション誌も我慢したし、もちろん友達と遊ぶのも我慢。
たったこれだけで、2年でアメリカに行けるくらいお金を貯めたのは我ながら天晴れだと思う。うん、すごいな私。
私はあの有名な女神像とか映画で有名な町とか、そのあたりを見て回るつもりだったし、もちろんそうだと思っていたのだけれど。
まさかわざわざ竜巻街道なんて呼ばれる地域を選んで旅行するなんて。
しかも、本当に竜巻がこっちに来てるし。
曇り空と野原を繋いだ太い竜巻がすごい音をたててこっちへと向かってくる。化け物みたいだ。
それを視界に認めながらも豪快に笑い声をあげる自分の父親に、私は多少ならずとも危機感を覚えた。
お父さん、自分が死ぬかもしれないって、わかってる?
「とにかく、逃げようっ!」
お父さんの手を引いて、竜巻に背を向ける。必死に走りながらお父さんの方を見ると真剣な表情になっていた。さっきまで、馬鹿みたいに笑ってたくせに。
言葉もなく走り続ける私たちの背中にさっきより強い風が吹き付けてくる。
もはや、走っているというより、竜巻に押されているといった方がいいかもしれない。
「きゃっ」
転がる小石に軽くつまずいたその瞬間、私の身体はふわりと浮いた。
「……ついに、来るべき時が来てしまったか」
さっきまで豪快に笑い声をあげていたお父さんが沈んだ声でそう呟いたのがわずかに聞こえた。
繋いでいた手は簡単にほどけ、くるっと視界が反転する。
重力がどの方向に働いているかもわからないほどいろんな方向に振り回され、手足が千切れてしまうんじゃないかと思うほどだ。
悲鳴なんてあげてる暇はなくて、自分がどう飛ばされているのかもわからない。あまりの怖さに目をつむる。
絶対、死んじゃう…!
「ツムギ……」
自分を呼ぶ声がした気がして、はっとして目を開くと、真っ白の世界。
雪が太陽の光を反射したような鋭い光ではなくて、ミルクのような柔らかい光が私を包む。風は止んで、私はその場に浮いていた。
「ツムギ、迎えに来たわよ……」
頭に直接響いてくる優しい声。姿は見えないけど、その声は確かに……
「おか…………あ……さん……?」
口に出した途端、ミルク色の視界はまた濁り始めた。静かに浮いていた私の身体はまたバランスを崩して、強い風に飛ばされる。
あぁ、私、死んじゃうんだ。だから、お母さんの声が聞こえたんだね……
意識が遠のく中、そんなことを考える。
やりたいこと、まだまだいっぱいあったのにな。お父さん、大丈夫かな。お父さんだけは助かってほしいな……
「ツムギ、お願い。私たちを、助けて……」
その声がしたのは私が意識を失ったあとだった。